裏・継続は力なり
継続は力なり。
継続は力なりは、「今は実力不足であっても、修練を積んでいけば、いずれ大成できる」という意味のことわざです。
これが表の意味。

ここからが、裏の意味。
裏・継続は力なりは、
「今は実力があっても、修練を積まなければ、いずれ出来なくなる」という意味のことわざです(いま作りました)。

世間では、どうも「継続は力なり」を「やる人にしか関係ないこと」だと思っている節があります。
「あの人は続けてコツコツやって、まさに継続は力なりだね」
みたいな感じです。
こういう風な言葉が出ると言うのは、無意識に「自分は継続していない」的なものが入ってはいないでしょうか。
実は、それが勘違いなのです。
人は、生きている限り、誰でもみんな「継続は力なり」をしているのです。
ただ、プラスの方向へ継続しているものだけを、世間では「継続は力なり」と表現しているだけのこと。
しかし、「継続は力なり」は、マイナスの方向へも作用するのです。
すなわち、「やらない」ことの継続も力になっていくのです。
一言で言えば、「負の継続は負の力なり」となります。

電卓などで計算をする場合。
プラスの記号は、わざわざ付けずに省略します。
そして、マイナスの時だけ、マイナスの記号を表示します。
これと同じように、継続は力なりも、「+継続は+力なり」と「ー継続はー力なり」があるのです。
で、筋肉や頭は、「使わないだけで衰えていく」ものなので、ただ単に、「やらない」だけでも、マイナスになっていくのです。
ここを勘違いしている人が、とても多いので、このポイントはよく押さえておきましょう。
たとえば、性格的に良い人で、他人に対して悪いことをしない人でも、筋肉や脳を使わないのであれば、マイナスの継続をしていることになるのです。
自分は悪い事をしていないから、マイナスではないと言い張っても、何かやらないと筋肉や頭は衰えていきます。
運動を長らくしてこなかった人が、年をとって、体が動かなくなって来た時に、「自分は何も悪い事をしてないのにどうして」と力説しても、運動をやらなかったというだけで、「ー継続はー力なり」となり、出来ることも、出来なくなってしまう、ということです。

負の継続は負の力なり。
これの怖いところは、全人類が対象で、例外はない、というところです。
イチローだから、この例には当てはまらないということはなく、「+継続は+力なり」をやめた途端に、一気に「ー継続はー力なり」となります。
ここまでやったから、もう安泰と言うことはなく、どこまで行っても、やめた途端に、一気に落ちるのです。


しかし、良い知らせもあります。
「+継続は+力なり」
これも、全人類が対象で、例外はない、というところです。
今まったくの初心者だからって、この例には当てはまらないということはなく、「+継続は+力なり」をやりはじめた途端に、一気にプラスの方向に転じていきます。
ここまで落ちたから、もう絶望と言うことはなく、どこまで行っても、やった途端に、一気にプラスの方向に転じるのです。


ちょっと、想像してみてください。
毎日、毎日、小額だけれども、借金が貯まっていく人生って、どうでしょうか。
そうは言っても、小銭だから気にしない、そんな気になるでしょうか。
ならないでしょう、普通。
でも、「やらない」って、そういうことなのです。
「やらない」継続って、「ー継続はー力なり」となり、負が貯まって行くのです。
抽象的でイメージがわかない人は、「脂肪=借金」だと思ったら良いでしょう。
運動を「やらない」だけで、「脂肪=借金」が貯まっていく、毎日ってことです。
いや、自分は脂肪は関係ないから、みたいに他人事のように考える人も多いですが、筋肉や心肺機能も衰えていくのです。
これは頭もそうで、大学生が卒業の時には、入学時より馬鹿になってしまうように、頭を使わないと、頭も衰えていきます。

時間は、小銭のように、失っても音がなりません。
筋力が落ちても音がしませんし、脳力が落ちても音がしません。
しかし、音がしない、自分が気がつかないからといって、失ってない訳ではありません。
誰でも、確実に「やらない」と失われます。
「ー継続はー力なり」です。
「やらない」だけで、むかし運動部だった人も、階段の上り下りで息を切らすくらいになります。
しかし、「+継続は+力なり」で、「やる」とプラスの力がついてくるのです。
たとえ、糖尿病と心臓病を持つおじいちゃんでさえ、エベレストに登れるようになったりします。

写真の三浦さんは、現役を引退して食っちゃ寝の生活をしていました。
ある日、近所の500mくらいの山に登ろうとしたら、キツくて山頂まで行けずに、半分くらい登って帰って来たそうです。
その時に、自分より遥かに年上な老夫婦が、談笑しながら山登りをしている姿を目の当たりにして、自分はこんなにも衰えたのかとショックを受けたそうです。
この話で、とても重要なのは、この人は言ってもプロスキーヤーだった、ということです。
運動している人でさえ、こうなるのです。
負の継続は負の力なりの怖さは、ここにあります。
しかし、「プラスの継続は力なり」の力もすごいものがあって、近所の山も登れずに半分で引き返してきた人が、病気もあり、年もとったのに、一番過酷なエベレストの登頂に成功したのです。

このように、継続は力なりは、マイナスにも作用します。
そして、少なくない人が、マイナス方向へ力を使い、マイナスをたくわえてます。
それは、日々、借金を増やして行く人生のようなものです。
なぜプラスも選べるのに、マイナス方向へ力を使うのでしょう。
時が経つにつれ、マイナスが増えて行く人生って、楽しいですか。
人は、プラスの「継続は力なり」をすれば、右側に。
→→→→→→→→→→

←←←←←←←←←←
人は、マイナスの「継続は力なり」をすれば、左側になります。
老婆は一日にしてならずで、朝起きたら、いきなり右側、いきなり左側とか、急激に変わりません。
継続することで、プラスの方にも、マイナスの方にも、日々、力になって行きます。

このように、継続は力なりは、
やる人にとっては、
「今は実力不足であっても、修練を積んでいけば、いずれ大成できる」
「+継続は+力なり」ということになり、
やらない人にとっては、
「今は実力があっても、修練を積まなければ、いずれ出来なくなる」
「ー継続はー力なり」ということになるのです。

継続は力なりは、「今は実力不足であっても、修練を積んでいけば、いずれ大成できる」という意味のことわざです。
これが表の意味。

ここからが、裏の意味。
裏・継続は力なりは、
「今は実力があっても、修練を積まなければ、いずれ出来なくなる」という意味のことわざです(いま作りました)。

世間では、どうも「継続は力なり」を「やる人にしか関係ないこと」だと思っている節があります。
「あの人は続けてコツコツやって、まさに継続は力なりだね」
みたいな感じです。
こういう風な言葉が出ると言うのは、無意識に「自分は継続していない」的なものが入ってはいないでしょうか。
実は、それが勘違いなのです。
人は、生きている限り、誰でもみんな「継続は力なり」をしているのです。
ただ、プラスの方向へ継続しているものだけを、世間では「継続は力なり」と表現しているだけのこと。
しかし、「継続は力なり」は、マイナスの方向へも作用するのです。
すなわち、「やらない」ことの継続も力になっていくのです。
一言で言えば、「負の継続は負の力なり」となります。

電卓などで計算をする場合。
プラスの記号は、わざわざ付けずに省略します。
そして、マイナスの時だけ、マイナスの記号を表示します。
これと同じように、継続は力なりも、「+継続は+力なり」と「ー継続はー力なり」があるのです。
で、筋肉や頭は、「使わないだけで衰えていく」ものなので、ただ単に、「やらない」だけでも、マイナスになっていくのです。
ここを勘違いしている人が、とても多いので、このポイントはよく押さえておきましょう。
たとえば、性格的に良い人で、他人に対して悪いことをしない人でも、筋肉や脳を使わないのであれば、マイナスの継続をしていることになるのです。
自分は悪い事をしていないから、マイナスではないと言い張っても、何かやらないと筋肉や頭は衰えていきます。
運動を長らくしてこなかった人が、年をとって、体が動かなくなって来た時に、「自分は何も悪い事をしてないのにどうして」と力説しても、運動をやらなかったというだけで、「ー継続はー力なり」となり、出来ることも、出来なくなってしまう、ということです。

負の継続は負の力なり。
これの怖いところは、全人類が対象で、例外はない、というところです。
イチローだから、この例には当てはまらないということはなく、「+継続は+力なり」をやめた途端に、一気に「ー継続はー力なり」となります。
ここまでやったから、もう安泰と言うことはなく、どこまで行っても、やめた途端に、一気に落ちるのです。


しかし、良い知らせもあります。
「+継続は+力なり」
これも、全人類が対象で、例外はない、というところです。
今まったくの初心者だからって、この例には当てはまらないということはなく、「+継続は+力なり」をやりはじめた途端に、一気にプラスの方向に転じていきます。
ここまで落ちたから、もう絶望と言うことはなく、どこまで行っても、やった途端に、一気にプラスの方向に転じるのです。


ちょっと、想像してみてください。
毎日、毎日、小額だけれども、借金が貯まっていく人生って、どうでしょうか。
そうは言っても、小銭だから気にしない、そんな気になるでしょうか。
ならないでしょう、普通。
でも、「やらない」って、そういうことなのです。
「やらない」継続って、「ー継続はー力なり」となり、負が貯まって行くのです。
抽象的でイメージがわかない人は、「脂肪=借金」だと思ったら良いでしょう。
運動を「やらない」だけで、「脂肪=借金」が貯まっていく、毎日ってことです。
いや、自分は脂肪は関係ないから、みたいに他人事のように考える人も多いですが、筋肉や心肺機能も衰えていくのです。
これは頭もそうで、大学生が卒業の時には、入学時より馬鹿になってしまうように、頭を使わないと、頭も衰えていきます。

時間は、小銭のように、失っても音がなりません。
筋力が落ちても音がしませんし、脳力が落ちても音がしません。
しかし、音がしない、自分が気がつかないからといって、失ってない訳ではありません。
誰でも、確実に「やらない」と失われます。
「ー継続はー力なり」です。
「やらない」だけで、むかし運動部だった人も、階段の上り下りで息を切らすくらいになります。
しかし、「+継続は+力なり」で、「やる」とプラスの力がついてくるのです。
たとえ、糖尿病と心臓病を持つおじいちゃんでさえ、エベレストに登れるようになったりします。

写真の三浦さんは、現役を引退して食っちゃ寝の生活をしていました。
ある日、近所の500mくらいの山に登ろうとしたら、キツくて山頂まで行けずに、半分くらい登って帰って来たそうです。
その時に、自分より遥かに年上な老夫婦が、談笑しながら山登りをしている姿を目の当たりにして、自分はこんなにも衰えたのかとショックを受けたそうです。
この話で、とても重要なのは、この人は言ってもプロスキーヤーだった、ということです。
運動している人でさえ、こうなるのです。
負の継続は負の力なりの怖さは、ここにあります。
しかし、「プラスの継続は力なり」の力もすごいものがあって、近所の山も登れずに半分で引き返してきた人が、病気もあり、年もとったのに、一番過酷なエベレストの登頂に成功したのです。

このように、継続は力なりは、マイナスにも作用します。
そして、少なくない人が、マイナス方向へ力を使い、マイナスをたくわえてます。
それは、日々、借金を増やして行く人生のようなものです。
なぜプラスも選べるのに、マイナス方向へ力を使うのでしょう。
時が経つにつれ、マイナスが増えて行く人生って、楽しいですか。
人は、プラスの「継続は力なり」をすれば、右側に。
→→→→→→→→→→

←←←←←←←←←←
人は、マイナスの「継続は力なり」をすれば、左側になります。
老婆は一日にしてならずで、朝起きたら、いきなり右側、いきなり左側とか、急激に変わりません。
継続することで、プラスの方にも、マイナスの方にも、日々、力になって行きます。

このように、継続は力なりは、
やる人にとっては、
「今は実力不足であっても、修練を積んでいけば、いずれ大成できる」
「+継続は+力なり」ということになり、
やらない人にとっては、
「今は実力があっても、修練を積まなければ、いずれ出来なくなる」
「ー継続はー力なり」ということになるのです。
