生みの喜び | プラクティス

生みの喜び




生みの喜びとは、イコール、生みの苦しみです。


赤ちゃんの出産は、喜ばしいことでありながら、苦しいことでもあります。


登山は、苦しいことでありながら、喜ばしいことでもあります。


ですから、苦しいことを避けると、同時に、喜ばしいことも避けることになります。


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本当に「苦しい」ことを避ける人に、本当に「喜ばしい」ことはやってきません。

何故なら、この2つは、2つで1つのセットだからです。

出産は、苦しいと嬉しいがいっぺんにやってくるのです。

登山も、苦しいと嬉しいがいっぺんにやってくるのです。


その途中で、「苦しい」からはやく「楽になりたい」と、中絶や下山してしまう人は、「苦しみ」はなくなるけれども、同時に、「喜び」もなくなってしまうのです。


すなわち、今の自分を優先して、今の自分が苦しみたくない、今の自分が楽をしたい、そういう思考回路でいる間は、夢が叶うことも、なりたい自分になることも、ないのです。


なぜなら、当の本人が、苦しくなると途中で、中絶や下山をしてしまうからです。


思ったより苦しくなったら、はやく今の自分が楽になりたいから中絶。

ちょっとでも苦しくなったら、はやく今の自分が楽になりたいから下山。

「はやく今の自分が楽になりたい」と思う人は、「今の自分が苦しみたくない」、「今の自分が楽をしたい」という思考回路を捨てない限り、出産の喜びも、登頂の喜びも、感じることはかなわないのです。


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