追い詰められた状態から逃れ出て生きのびる方法 | プラクティス

追い詰められた状態から逃れ出て生きのびる方法




日本語で、「追い詰められた状態から逃れ出て生きのびる方法」のことを漢字2文字で、「活路」と言います。

例) 「活路を開く」

一方、「活路」には、「生きてゆく手だて。生活手段」という意味もあります。

例) 「活路を断たれる」

「資本主義」に骨の髄まで洗脳されてしまった大人達は、この「活路」をイコール「お金」、そのための「仕事」のことだと勘違いしています。

それが子供達にまで波及して、日本はこの有様です。

脳内に、お金崇拝のお金を頂点とするカースト制度が出来て、そこから逃れられないのです。

その鬱憤が、弱い者へ向かって、上から下、終いには子供達にまで、いじめが広がっています。

何と言うか、損得勘定ばかりで、人間関係が冷たいのです。


では、この「追い詰められた状態から逃れ出て生きのびる」には、どうしたら良いのでしょう。

それは、馬鹿みたいに簡単です。

馬鹿みたいに簡単です。

馬鹿みたいに簡単です。

馬鹿みたいに簡単ですが、馬鹿みたいだから、簡単でもみんなやらない。

やらないから、追い詰められた状態から逃れ出ることが出来ない。

あとは、その毎日の繰り返し。

そして、老化、体力の低下によって、事態はどんどん悪化していきます。

では、その馬鹿みたいに簡単なこととは、何でしょうか。


それは、「馬鹿みたいに体を動かして遊ぶこと」です。


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人はパンのみにて生くる者に非(あら)ず。

同じように、人は金のみにて生くる者に非(あら)ず、なハズです。

ハズですと言うのは、そうなっちゃっているから、です。


人は、一日中、暖房を入れっぱなしの部屋にいたら、どうなりますか。

空気が悪くなって、息苦しくなるでしょう。

そこには、息抜きや、ガス抜きと言って、新鮮な空気と入れ替える必要があります。

これが「遊び」です。

この「遊び」をしないで、損得、効率ばかり追いかけて、おかしくなっているのが現代の日本人です。

でも、話がややこしいのは、その部屋にいる当の本人が、空気の入れ替えをやりたがらない、ということにあります。

そうすると、閉塞感はますます強まり、息苦しさはどんどん悪化して、終いには病むのです。


ここに必要なのが、「馬鹿みたいに体を動かして遊ぶこと」です。

それが、精神的な息抜き、身体的な新陳代謝になります。


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発展途上国の人々の目は輝いていて、日本の人々の目は死んでいる。

特に、子供になるほど、それは顕著になります。


これは、日本人でもうすうす気がついているでしょう。

でも、誰もそのことを、「おかしい」と口にしない。

何とかしようともしない。目が死んだままで良いと思っている。

ニュースでも取り上げませんし、特番でも議論しません。

これって「変」だとは思いませんか。


「変」だとは思わない人は、周りにも自動的に「死んだ魚の目」になるようにします。

子供にも自動的に「死んだ魚の目」になるようにします。

簡単に言うと、自分と同じように周りの人も「死んだ魚の目」になるようにすることが、自然で良いことだと信じて疑わないのです。


しかし、しかし、です。

目が死んでいる人を増やすのが、

自分もそうだから、周りがやっているから、という理由で、良いことになるでしょうか。


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日本は、有機野菜とか、スローライフとか、虫がいない自然とか、

大人に都合の良い「人工的な養殖場」を作って、自然と生きる、自然を楽しむみたいなことを言って、悦に入っています。

自然と言うのは、竪穴式住居とか、海女さんのように海に潜るとか、寝る場所にも虫が居ることを言うのです。

それが、自然です。


子供が遊ぶ空き地をガンガン潰して、公園はカップルがデートするような丘をつくって、球技が絶対に出来ないような作りにしておいて、「子供の球技離れ」とか、いけしゃあしゃあと言うのが、大人です。

そういう大人に都合の良い人工的な養殖場ばかりにしたから、こういうことになっているのです。


これが、ニュースでも取り上げない、特番でも議論しないのは、こういう金も権力も持っている大多数の大人が、聞きたくないからです。

お金にならない、緊急性も低い、金と権力をもっている大人を敵にまわす恐れがある、そんなことは得にならないので、しないでおこうと言う訳です。

でも、これで子供達は、どうなりましたか。

野球で育った団塊の世代だって、道で遊ぶのはダメ、空き地は無し、公園での球技は禁止、こんなダメダメダメで、好きに遊べって、不可能でしょう。

その不可能なのは、大人の自己満足のために、公園がカップル向けになったから、です。

タワーマンションの下に、芝生があると、おしゃれに見えるから、です。

このように大人は、子供が「死んだ魚の目」になるよう「人工的な養殖場」を与えてきたのです。


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こうなると子供は、ゲームに行きます。

親も、子供がゲームをやっている間は静かなので、許容します。

しかし、子供とのキャッチボールがない親子関係って、何なのでしょうか。

外で、子供と遊ばない親子関係って、人間なのに動物の親子以下です。

ま~。今では親の方も、自分がやってこなかったので、外でボールをキャッチする能力が無いのですが…。


話を分かりやすく、カップルがファミレスで座って、お互いスマホをいじっているとします。

そして、何時間も経過しました。

この関係って、何なのでしょうか。

そりゃ、付き合っているからカップルだとか言うのでしょう。

でも、それって、肉体関係なだけ、じゃないですか。

そして、親子関係も、肉親関係なだけ、じゃないですか。


話をもっと分かりやすく、スマホいじりカップルを魔法で50歳にします。

すると、いきなり別れるでしょう。

なぜなら、肉体関係が切れるから、です。

それ以外の関係が無いから、です。

同じように、親子の子も、魔法で50歳にします。

すると、関係が切れると思いませんか。

なぜなら、それ以外の関係が無いから、です。


最近、世間で「絆」とか言われているのは、このように大人が年を取って、メッキが剥がれてきたからです。

でも、何をしていいのか分からないので、「絆が大事」と周りを説得することで、関係性を強化しようとしているのです。

何と言うか、年を取って振られた中年男性が、今までやってこなかったのに、自分が寂しくなったものだから、急に、「絆が大事」とか言い出すようなものです。

これって、何てことはない、そいつが個人的に心細くなったから、という自己中なだけです。


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このように、「追い詰められた状態」は、大人の脳が作っているのです。

「人工的な養殖場」の中にいるから、閉塞感を感じるのです。

「人工的な養殖場」から出て、「馬鹿みたいに体を動かして遊ぶこと」をしないから、活路が開かないのです。


活路が断たれているのも、活路が開けないのも、自分が外に出ないから。

「人工的な養殖場」の中にいて、エサが落ちてくるのを待っているから、目が死ぬのです。


その昔、泳げたいやき君と言う、奴隷賛歌の歌が大ヒットしました。

それは、養殖場の外へ出ると、死んでしまうからやめましょう、という、とんでもない歌です。

戦時中に、洞窟に閉じこもって決して降伏せずに死んで行った時のメンタリティと、何も変わっていないのです。

ニートにしても、引きこもりにしても、酷い会社を辞めないのも、いじめグループから逃げないのも、メンタリティという意味では、まったく同じです。

そして、そこに共通するのが、「遊び」が無い、「目が死んでいる」なのです。

嘘だと思ったら、周りを見渡してみてください。


「今日は思いっきり体を動かして、思いっきり笑った、よ~し、引きこもるぞ~!」

とか居ないのです。


でも、「馬鹿みたいに体を動かして遊ぶこと」をしなかったら、泳げたいやきくんのように、外へ出ると死んでしまうから、ここで座して死を待ちましょう、みたいな話になってしまうのです。

現代には、ここに居てもダメなことは解っているけど、体が動かなくて、何年も経過している人は、五万といます。

外へ出ると死んでしまうから、ここで座して死を待ちましょうと言う訳です。


でも、その閉塞感、その息苦しさ、その辛さの檻は、内側から鍵がかかっているのです。

ですから、いつでも好きな時に、外に出ることが出来るのです。

頑丈な檻の中に、頑丈な鍵をかけられて、外側からロックされている訳では無いのです。

先に、ここに居てもダメなことは解っているけど、体が動かなくて、何年も経過している人は、五万といると言いましたが、そこに居る人たちは、刑務所に収容されている訳では無いのです。

逃げようと思えば、いつでも逃げられる。

でも、逃げない。

なぜならば、奴隷マインドが脳に染み付いてしまっているのです。

外に出るくらいなら、死んだ方がマシだと、リアルに思っています。

彼ら、彼女らにとっては、それが現実なのです。


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では、この「追い詰められた状態から逃れ出て生きのびる」には、どうしたら良いのでしょう。

それは、馬鹿みたいに簡単です。

馬鹿みたいに簡単です。

馬鹿みたいに簡単です。

馬鹿みたいに簡単ですが、馬鹿みたいだから、簡単でもみんなやらない。

やらないから、追い詰められた状態から逃れ出ることが出来ない。

あとは、その毎日の繰り返し。

そして、老化、体力の低下によって、事態はどんどん悪化していきます。

では、その馬鹿みたいに簡単なこととは、何でしょうか。


それは、「馬鹿みたいに体を動かして遊ぶこと」なのです。


それを実際にやってきたのが、「スキーツアー」だったのです。

その効果は、コメントを見てみてください。

リクリエーションは、クリエーションと同じくらい、いや、それ以上に大事なことなのです。


クリエーションの活路、閉塞感の突破のカギは、リクリエーション(遊び)にあります。


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行こうよ♩ 
行こうよ♩ 
あいかわらずな僕ら♩
o(〃^▽^〃)o