「本気」とか「やる気」とか | プラクティス

「本気」とか「やる気」とか

「やりたいことが何もない」と言う人と、

「やる気がある」とか「本気出す」とか言う人は、まったく正反対のようで、意外と似ています。


この話に行く前に、まず「素」と「無」の違いを認識してください。

「素」は、バッチリ練習してきて、力が抜けた状態です。

「無」は、何もしてこなくて、力が抜けた状態です。

たとえば、3年間、フランス料理の勉強をしてきた人が、適当に作るフランス料理が「素」。

今まで何もしてこなかった人が、「やる気」や「本気」を出して作るフランス料理が「無」です。


たとえば、1年間、受験勉強をしてきて、肩の力を抜いて望むのが「素」。

1年間、ろくに勉強せず、その時の気分で、「やる気」や「本気」を出して望むのが「無」です。


この「やる気」や「本気」と、「やりたいことが何もない」と言う人。

すごい似ているでしょう。

何が似ているかと言えば、「やってこなかった」という事実の認識能力の欠如が、似ているのです。


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「やってこなかった」という事実の認識能力が欠如している人は、これまでの経歴や実績ではなく、今現在の「やる気」や「本気」という感情を見て欲しいと願い、感情でどうにかなると思っています。

でも、どうにかなってこなかったから今なのです。

あるいは、その「やる気」や「本気」を一ヶ月あげるので形にしてきてくださいと親切に教えてあげても、特に何もしてこないのです。

一体、その人の「やる気」や「本気」とは、何なのでしょう。


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これらは偏差値が底辺の最低ランクの学生達の話ではありません。

最高ランクを卒業した社会人でも、そうなのです。

おそらく、明日、会社が潰れたら「やりたいことが何もない」と言う人が、いくらでも居るのではないでしょうか。

会社から、「明日から来なくて良い」と言われたら「やったー!」と言える人が、どれだけ居るでしょうか。


ここで重要なポイントは、「それってお金の問題ではない」と言うことなのです。

学生だって、学校が嫌なら退学して、他で好きなことを学べば良いのです。

バイクでも、料理でも、ダンスでも、極めたら良いでしょう。

でも、そうしないのは、退学しても、他に行くところが無いから、です。


これは重要なので、繰り返します。

「学校がイヤ」「会社が最低」こう言う人は、「そこから解放されるのはもっとイヤ」なのです。

何故なら、責任転嫁や言い訳が出来なくなってしまうから、です。


本当の原因は、「自分から、やりたいことが何もない」ことにあります。


ニートや、引きこもりなど、衣食住が保証されても、何もしないで不幸そうな人が居ることからも、それは明らかです。

ですから、お金や時間があれば、もっとやりたいこと、幸せな生活が出来るハズ、と思うのはおかしいのです。

やらない人は、お金と時間があったって、やらないのです。

「素」と「無」で言えば、自分自身が「無」の人は、お金と時間をいくらかけても、「無(ゼロ)」にかけるのですから、ゼロなのです。


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「無」に「本気」をかけても、ゼロ。

「無」に「やる気」をかけても、ゼロ。

自分自身がゼロなら、何をかけても、ゼロになります。


今までやってこなかったのに、急に「本気」や「やる気」になるのは、このように危険なことです。


たとえば、学生は卒業が近くなると、急に「就職しよう」とします。

それは、働きたいから、やりたいからではなくて、卒業後の先が無いから、です。

たとえば、女性は年齢が行くと、急に「結婚しよう」とします。

それは、旦那の世話をしたいからではなくて、独身の先が無いから、です。


これの恐ろしいのは、高校生が大学生になるまでは、「本気」で「やる気」があること、です。

そうなるまでは、自分でも「本気」や「やる気」があるのです。

他には、資格の取得までは「本気」だった、「やる気」があった人なども同様です。


で、大学生が勉強しないとか、若者が3年も仕事が続かないとか、シングルマザーが増えたり、おかしくなっています。

それは、皮肉な事に、「本気」や「やる気」になったから、です。


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バイクいじりが好きな人は、バイクいじりを「本気」や「やる気」になってやりません。

イチローが野球を「本気」や「やる気」になってやりませんし、

さかなくんが魚の研究を「本気」や「やる気」になってやりません。

何故なら、なる必要がないから、です。

無理に動こうとしなくても動けるのです。

これが、「素」です。


一方、「無」の人は、やりたい訳じゃ無いので、「本気」や「やる気」が必要となるのです。


「やる気」や「本気」と、「やりたいことが何もない」が、すごい似ているとは、こういう訳です。


高校生が、大学に入るのに「本気」や「やる気」を必要とするのは、本当はおかしいのです。

ただ、日本ではそれがほぼ全てなので、問題がぼやけているだけ、です。

本来のあるべき姿は、大学は、大学で勉強したいことがある人に来てもらいたいのです。

でも、そうじゃない人が、「やる気」や「本気」を出して頑張るから、大学に入ったのに勉強しない学生という、おかしなことになるのです。

笑い話のようですが、マラソンで有名な小出監督は、駅伝に出たくて大学生になったという経緯があります。

これでも、ただ単に将来の不安(=安定を求めて)で大学を決めるよりは良いのです。

何故かと言えば、「大学で、やりたいことがある」からです。

そして、そういう人は、「本気」や「やる気」を必要とせずに毎日、走っているものです。

「本気」や「やる気」になったから、ではなく、それらを必要とせずに、走れるのです。

意識せずとも自然と走れる。


ですから、「本気」や「やる気」がある時点で、何かが、おかしいのです。


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