自己実現とは? | プラクティス

自己実現とは?

日本人は、

自分がそう思った、誰かからそう聞いた、本に書いてあった、

そういう受け売りで、独自の解釈で、言葉の意味を変えてしまう傾向が多分にあります。

今回は、その中でも、「またこれか…」と呆れる「自己実現」について、書いておきます。

ネットには、わかってない人が、聞きかじったことをわかったように言うという連鎖で、元と全然違うように伝えられています。


これは仏教などでも一緒で、日本の仏教は単なる宗教で、もともとのオリジナルとは名前が一緒なだけで、全然違うもの、です。

お釈迦様の袈裟は、その辺に落ちていた布切れであって、日本の仏教(宗教)のように機能性に優れた温かい服、新しい服、立派な服ではありません。袈裟の黄色は、もともとお釈迦様が着ていた服(糞尿や汗の黄ばみで汚れた布)の黄色で、お釈迦様が言う「足るを知る」と言うのは、このレベルです。なのに、日本の仏教を名乗っている人は、開祖より豪華な服を着て、(色欲まみれで)仏教を学びました(「足るを知る」を知りました)、とか思っているのです。おそらく、お釈迦様が見たら、人は2500年経っても勘違いから目が覚めないのかと思われるでしょう。でも、日本人は、名前だけそういうものに、あやかりたいのです。借り物の翼が欲しいのです。本当に内容が欲しかったら名前は何でもいいハズです。でも、日本人は、キラキラネームをつける親と同じように、仏教や釈迦など大層な名前だけ拝借して、中身は無視する傾向があります。

でも、大事なのは、呼び名ではなくて、中身なハズです。

自己啓発やスピリチュアルでよく言われる「自己実現」も、このように酷いものです。

宗教と同じように騙す人は騙していい気持ちでしょうが、騙される人は悲惨です。


何故なら、嘘をありがたく頂戴してしまうから、です。


では、オリジナルの「自己実現」をみていきましょう。

「自己実現」は、人間の欲求5段階説で有名な、アブラハム・マズローが提唱したものです。

アブラハム・マズローは、著書の中で、こう言っています。

「人は常に本来のレベルより低い所に定着している。
 しかし、人はみな自分の可能性を十分に現実化し、なれるものすべてになろうとする自己実現に向かう傾向を持っている。自己実現する人こそ、本来の人間なのだ。
 それは、何か特別な才能などを加え持った人ではなく何も奪われていない普通の人間なのである。」

 アブラハム・マズロー


つまり、「自己実現」とは、「何か特別な才能などを加え持った人ではない」のです。

何も奪われていない普通の人間」なのです。

世間で言われている事と、あまりの違いにビックリした人も多いのではないでしょうか。

でも、これこそがオリジナルの意味なのです。


日本の仏教、宗教、自己啓発、スピリチュアル、成功法則で言われているようなものは、オリジナルとは似ても似つかない権威催眠にかかった信者達の妄言に過ぎません。

ただ、その信者達が多勢に無勢なので、悪貨が良貨を駆逐するの原理で、現実では、嘘が本当としてまかり通っているのです。


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