視線が逸れている
今回は、「視線が逸れている」と言う話。
この話をするために、最近あった実話を紹介します。

先日、スキーツアーの申し込みがあったのですが、嬉しいことに、こちらから断りました。
なぜ嬉しいかと言うと、「泊まり込みでもやりたいならプロに習った方が良い」からです。
もともと、このスキーツアーは、滑れない人、滑れてもボーゲンな人、パラレルターンで滑りたい人、そういう人向けに開催しています。
これだけ出来れば、一般人の中では、スキーが上手というレベルになるから、です。
しかし、今回はそのレベルを超えて上手くなりたい、という気持ち。
そのために、泊まり込みでもやりたい、という行動力。
この2つがあれば、スキーツアーなんて要らないのです。

さて、ここから、「視線が逸れている」と言う話の本題に入ります。
視線とは、思っている方向ではなく、見ている方向です。
たとえば、彼女のことを思っていても、隣の美人に目がいっている。
彼氏のことを思っても、隣のイケメンに目がいっている。
こういうことって、よくある話です。
で、自分が、そういうことをされた場合に、相手の「思っている」というのは、信用できるでしょうか。
できる訳がありません。
言っていることと、やっていることが違うのですから、「信じろ」と言う方が無理な話です。
とは言え、思っている方は思ってはいるから、それは本当なのです。
だから、「思っているか」どうかと聞かれれば、思っているとこたえてしまう。
そして、話がこんがらがっていきます。
正確には、その人は、思っていることと、見ていることが、違うのです。
ですから、相手に正確に伝えるには、
「あなたは、思っていることと、やっていることが、支離滅裂で自分でも制御できないのね」
となります。

周りや、ニュースや、ブログなどを見ていると、
「視線が逸れまくっている」人ばかりが、目につきます。
視線が逸れてないのは、受験生ぐらいなのではないか、とさえ思います。
多くの大人は、将来の自分と関係のないことばかり、やけに熱心に見ているのです。
それは、子供が、テレビに夢中なのと、とてもよく似ています。
でも、それって自分の将来と何も関係ないでしょう。
ただテレビに夢中な人は、自分が見たいから、あれやこれや見た方が良い理由をつけて、見てしまうのです。
良いですが、それを続けると、
受験生なら落ちますし、企業なら採用しません。
これって、さっきの話と同じで、
彼女のことを思っていて、隣の美人に目がいって夢中になる人は、振られるのです。
その後で、本当はこういう風に思っていたんだと嘆いても、後の祭りになります。

こういう例は、いくらでもあって、
お金でも、売り上げでも、豊かさでも、成功でも、何でも良いですが、
そういうことを思っていて、ネットサーフィンに目がいっている人々。
出会いが欲しい、モテたいと思っていて、
まったくそれに貢献しないものに、目がいっている人々。
それらに夢中な人々は、それをした方が良い理由、しないと悪い理由を山ほど並べ立てます。
別に、それはその人の人生ですから、それで構わないのですが、
それって、
「彼女のことは本当に思っているけど、隣の美人の方に目がいって夢中になってしまうのは、仕方が無いんだ!」
とか言うようなものです。
この例なら、わかる女性も、自分のことになると、一気にわからなくなってしまいます。
言うなれば、
「ダイエットのことは本当に思っているけど、スイーツに目がいって夢中になってしまうのは、仕方が無いの!」
とか、普通に言います。
別に構いませんが、医者に糖尿病だと診断された時も、そういう風に抗議するのでしょうか。
な~んか、わたしは悪くない、俺は悪くない、という言い訳がましいのです。
よくドラマや映画などで、「わたしは悪くない」「俺は悪くない」とか言いながら、刃物をもって人に襲いかかるシーンがありますが、どう見たって、そいつが悪い。
でも、当人は、それを認めないのです。

たとえば、あなたがボクシングの選手だとします。
ボクシングの試合中に、客席にアイドル並みの可愛い子が居て、思わずそっちに目が奪われてしまいました。
そこに相手の渾身のストレートパンチが来て、あえなくダウン。
その時に、相手や審判に、
「今のは違うんだ! 俺は試合に勝ちたいんだ! チャンピオンになりたいとも思っている! 俺は悪くない! 客席に居るあの子がいけないんだ!」
とか、抗議したら、それが認められると思いますか。
阿呆でしょう。馬鹿でしょう。救いようのないくらい大馬鹿でしょう。
でも、3分の試合を、3日、3週間、3ヶ月…とすれば、同じことをしている人は、いくらでも居ます。
あなたの思いは何でしょう。
日々、思っているだけで、その思いから視線を逸らしてはいないでしょうか。


この話をするために、最近あった実話を紹介します。

先日、スキーツアーの申し込みがあったのですが、嬉しいことに、こちらから断りました。
なぜ嬉しいかと言うと、「泊まり込みでもやりたいならプロに習った方が良い」からです。
もともと、このスキーツアーは、滑れない人、滑れてもボーゲンな人、パラレルターンで滑りたい人、そういう人向けに開催しています。
これだけ出来れば、一般人の中では、スキーが上手というレベルになるから、です。
しかし、今回はそのレベルを超えて上手くなりたい、という気持ち。
そのために、泊まり込みでもやりたい、という行動力。
この2つがあれば、スキーツアーなんて要らないのです。

さて、ここから、「視線が逸れている」と言う話の本題に入ります。
視線とは、思っている方向ではなく、見ている方向です。
たとえば、彼女のことを思っていても、隣の美人に目がいっている。
彼氏のことを思っても、隣のイケメンに目がいっている。
こういうことって、よくある話です。
で、自分が、そういうことをされた場合に、相手の「思っている」というのは、信用できるでしょうか。
できる訳がありません。
言っていることと、やっていることが違うのですから、「信じろ」と言う方が無理な話です。
とは言え、思っている方は思ってはいるから、それは本当なのです。
だから、「思っているか」どうかと聞かれれば、思っているとこたえてしまう。
そして、話がこんがらがっていきます。
正確には、その人は、思っていることと、見ていることが、違うのです。
ですから、相手に正確に伝えるには、
「あなたは、思っていることと、やっていることが、支離滅裂で自分でも制御できないのね」
となります。

周りや、ニュースや、ブログなどを見ていると、
「視線が逸れまくっている」人ばかりが、目につきます。
視線が逸れてないのは、受験生ぐらいなのではないか、とさえ思います。
多くの大人は、将来の自分と関係のないことばかり、やけに熱心に見ているのです。
それは、子供が、テレビに夢中なのと、とてもよく似ています。
でも、それって自分の将来と何も関係ないでしょう。
ただテレビに夢中な人は、自分が見たいから、あれやこれや見た方が良い理由をつけて、見てしまうのです。
良いですが、それを続けると、
受験生なら落ちますし、企業なら採用しません。
これって、さっきの話と同じで、
彼女のことを思っていて、隣の美人に目がいって夢中になる人は、振られるのです。
その後で、本当はこういう風に思っていたんだと嘆いても、後の祭りになります。

こういう例は、いくらでもあって、
お金でも、売り上げでも、豊かさでも、成功でも、何でも良いですが、
そういうことを思っていて、ネットサーフィンに目がいっている人々。
出会いが欲しい、モテたいと思っていて、
まったくそれに貢献しないものに、目がいっている人々。
それらに夢中な人々は、それをした方が良い理由、しないと悪い理由を山ほど並べ立てます。
別に、それはその人の人生ですから、それで構わないのですが、
それって、
「彼女のことは本当に思っているけど、隣の美人の方に目がいって夢中になってしまうのは、仕方が無いんだ!」
とか言うようなものです。
この例なら、わかる女性も、自分のことになると、一気にわからなくなってしまいます。
言うなれば、
「ダイエットのことは本当に思っているけど、スイーツに目がいって夢中になってしまうのは、仕方が無いの!」
とか、普通に言います。
別に構いませんが、医者に糖尿病だと診断された時も、そういう風に抗議するのでしょうか。
な~んか、わたしは悪くない、俺は悪くない、という言い訳がましいのです。
よくドラマや映画などで、「わたしは悪くない」「俺は悪くない」とか言いながら、刃物をもって人に襲いかかるシーンがありますが、どう見たって、そいつが悪い。
でも、当人は、それを認めないのです。

たとえば、あなたがボクシングの選手だとします。
ボクシングの試合中に、客席にアイドル並みの可愛い子が居て、思わずそっちに目が奪われてしまいました。
そこに相手の渾身のストレートパンチが来て、あえなくダウン。
その時に、相手や審判に、
「今のは違うんだ! 俺は試合に勝ちたいんだ! チャンピオンになりたいとも思っている! 俺は悪くない! 客席に居るあの子がいけないんだ!」
とか、抗議したら、それが認められると思いますか。
阿呆でしょう。馬鹿でしょう。救いようのないくらい大馬鹿でしょう。
でも、3分の試合を、3日、3週間、3ヶ月…とすれば、同じことをしている人は、いくらでも居ます。
あなたの思いは何でしょう。
日々、思っているだけで、その思いから視線を逸らしてはいないでしょうか。

