思考と行動のズレ
人間、年をとると、どうしても思考と行動の間にズレが出来ます。
子供の頃は、「やりたい」という思いと「行動」が一致していました。
しかし、大人になるにつれて、思いはあっても、「行動しない」という風になります。
これに心当たりのない大人なんて居ないでしょう。
そこで、多くの大人は、間違った選択をします。
それは、思いを強くすれば、行動出来るハズと考えるのです。
あるいは、強く思えるものがあれば、行動出来るハズと考えます。
悲しいかな、これが思考と行動のズレに、ますます拍車をかけます。
周りも、自分も、それで全然うまくいってないのに、死ぬまでその事に気がつかずに、どこかに「強く思えるものがあれば…」と無い物ねだりをして、一生を終えるのです。

子供のフットワークが軽いのは、余計なことを考えないから、です。
大人のフットワークが重いのは、余計なことを考えるから、です。
子供は、「やりたい」→「やる」。
大人は、「やりたい」→「でもどうしようかな」で考えているうちに旬が過ぎて、やらない。
この「でもどうしようかな」とか、「納得出来たら」とか、「勉強してから」とか、「やり方がわからない」とか、「失敗したらどうしよう」とか、そういう余計なことを考えます。
で、結局、動けない。
後は、同じ事の繰り返しです。
思うのがいけないのに、思いを強くすればとか、強く思えるものがあればとか、明後日の方向へ行ってしまう。
そして、どうでも良い事は、止められても、やります。
それは、夏休みの宿題を「いつかやろう」と思っていながら、それじゃないことをするようなものです。

夏休みが終わって、ずっと「やろうと思っていました」なんて、何の言い訳にもなりません。
まるで、「思いはあったから自分は悪くない」というような思考です。
もし、その思考が正しいとすると、
その人の子供が食事を作ってもらえず餓えて死んでも、
ずっと「食事は作ろうと思っていました」で、無罪になってしまいます。
でも、こういう大人が増えているでしょう。
この餓死でさえ極端な例ではなく現実に起こっています。
で、どうでも良い事は、止められても、やるのです。
こうなると、不幸のどん底へ一直線です。

自分はそこまで酷くないから大丈夫と思う人は多いものです。
でも、糖尿病になる人は、最初から酷かった訳ではありません。
自分はまだまだ大丈夫と高をくくって、最終的に、大丈夫じゃなくなったのです。
ずっと「酒と甘い物は控えようと思っていました」は、先の子供を死なせてしまう親と同じで、自分を病気にさせてしまう大人なのです。
