なってからどうするの | プラクティス

なってからどうするの




よく、ある職業になりたいと言う人がいます。


これは本当によくある大間違いで、職業は、夢でもゴールでもありません。


それなのに、夢やらゴールやらに決めつける人が後を絶えません。

これって、何故だと思いますか。

それは、「そうなれば安泰」と決めつけて、楽しようと思っているからです。


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たとえば、正社員になりたい、結婚してお嫁さんになりたい。

よく勘違いされる夢もどきです。

しかし、そういう人は、自分がなることがゴールなので、それが達成されると、あとはその立場にしがみつくだけ、なのです。


たとえば、この正社員をデザイナー、お嫁さんをアイドルに置き換えて考えてみましょう。

デザイナーにしても、アイドルにしても、なりたい人は多く居ますが、現実は、なってからの方が何十倍も大変なのです。

毎年、毎年、多くのミュージシャンがデビューして、多くの漫画家がデビューして、多くの小説家がデビューして、そして消えて行きます。


みんな「なること」が大変だと思って、「なったら安泰」みたいに考えています。

「なること」がゴールで、「なったらハッピーエンド」みたいな現実にありもしないイメージなのです。

が、これは、そう思っちゃいけない思考の毒なので、自分に酔う前に、冷水をかぶって目を覚ましましょう。

現実は、なることなんて簡単で、なってからが大変なのです。


たとえば、結婚なんて簡単です。

子づくりも簡単。

就職も簡単。

資格の取得も簡単です。


いや、自分にはそれが難しくて、それらが夢なんだと言う人がいるかもしれませんが、それらが大変だと弱音を吐くなら、その道は、やめておいた方が良い。


なぜなら、そうなってからの道の方が、よほど大変だからです。


他にも、よくあるのが、起業したいとか、経済的な自立とか、社長になりたいとかですが、そういうのはとても簡単で、いま決意すれば、その途端に社長です。

たったこれくらいのことを躊躇して、すぐ出来ない人は、なってから先の決断の連続なんて出来る訳がないのです。

漫画家だって、1ヶ月で数ページも描けない人は、仮に漫画家になっても、連載できませんから、やっていけないのです。

果たして、就職の面接にビクビクする人が、商品の売り込みや、企画の発表ができるでしょうか。


ある職業になりたいと言う人は、自分の希望を言うばかりで、なってから自分がやることについて、何も考えて無いのです。


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何かになりたいは、地位や、名誉、利権が欲しいという我欲であることが、ほとんどです。

すなわち、自分のやりたいことではない場合が、ほとんどだと言うことです。

自分のやりたいことじゃないことを自分から選んで幸せになれる訳がないじゃないですか。


しかし、これが伝わらない。

何故なら、欲に目がくらんでいるからです。


正社員になりたがる人は、自分がやりたいことではなくて、安定が欲しいのです。

花嫁になりたがる人は、自分がやりたいことではなくて、安定が欲しいのです。

その仕事をバリバリやりたいとか、炊事、洗濯、料理をするのが何よりの幸せという訳ではない。

そうではなくて、ともかく、安定。

安定は、経済的なものもあれば、世間体などもあるでしょう、人によっては老後かもしれません。


でも、これが悪い訳ではありません。

安定が欲しいなら、安定を得れば良いでしょう。


でも、現実は、その「安定」を望んだ当の本人が、「これは自分のやりたいことじゃない」とか言い出すのです。


これ、端から見ると、精神異常者、です。

目の前に、カレーとシチューがあって、シチューを選んでおきながら、スパイスが足りないとか言うようなものだからです。

自分が選んだのに、自分が何を望んで、何を得たのか、わかってないのです。


で、こういう人は、カレーを選べば良かったと後悔するのですが、本当にそうでしょうか。

カレーを選んだら、辛すぎるとか言って、やっぱりシチューの方が良かったと言うのではありませんか。


こうやって、おかしくなって、若者はすぐ会社を辞める、すぐ離婚する、世の中になってきているのです。


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そもそもの大前提に戻りましょう。

一体、どこの誰が、正社員は楽とか、結婚生活は楽とか、ある職業になると楽とか、実際はそうでないのに決めたのでしょう。

それは、他でもない、その当人なのです。

すなわち、当の本人の楽をしたいという我欲が根本的な原因なのです。

もともと仕事は楽じゃないし、子育ても大変なのです。それを楽できそうという動機でやったら、裏切られるに決まっています。

でも、その裏切られるのは他人が騙したのではなく、自分で自分を騙したのが原因なのです。

もともと、世の中は甘くないのです。甘く見える自分の目の方がおかしいのです。


とは言え、本当に現実に甘い話は無いのでしょうか。


実は、楽な生活はあります。

それはどういう生活でしょうか。

誰かに、おんぶに抱っこしてもらう生活です。


公務員として国に寄りかかり、高収入の親や旦那にぶら下がる生活です。


もし、あなたが楽な生活を望むなら、あなた以外の誰かを犠牲にすることで、確かに、あなたは楽になります。

もし、庇護下にいるのに、それを大変とか勘違いしているなら、その庇護から外に出て、独立しましょう。

本当の大変とはどういうものか、骨身に沁みることでしょう。


マリーアントワネットが、素敵な服と、豪華な食事と、広い家に住めたのは、民衆の犠牲の上だったのは、周知の事実です。

宝くじや、FXなどの投資にしたって、あなた以外の誰かが犠牲になるから、濡れ手に粟の大金が手に入るのです。

いま国は増税しようとしていますが、それだって議員や公務員を養うためで、それ以外の国民が犠牲になるから、大金が手に入る訳です。

同じ穴の狢(むじな)とは良く言ったもので、これに文句を言う国民も、自分がもらう側の立場になった途端に、もっと取ろう、もっと取ろうと、誰かを犠牲にしはじめるのです。


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なぜ、こういう不毛な争いが増えていっているのでしょうか。

それはひとえに、日本国民全体が、もっと欲しい、もっと欲しいと感謝を忘れているからです。

そして、海水を飲むように、もっと欲しいと海水を飲んで、海水を飲むことで体内の塩分が増え、体内の塩分が増えることで水分が欲しくなり、その水分を海水にもとめるので、飲めば飲むほど苦しくなってくるのです。

もっと欲しい、もっと欲しいと自らアリ地獄に飛び込み、自分はこんなに苦しいのだから、もっともらっても良いんじゃないか、というアリ地獄のアリのようになって、さらなる犠牲者を増やしていくのです。




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