苦みが醍醐味 | プラクティス

苦みが醍醐味



「醍醐味」とは「本当の面白さ」を味になぞらえた表現です。

たとえば、野球は9回の裏からが醍醐味(9回の裏からが本当に面白い)みたいに使います。


で、このブログでは、本当の面白味。

醍醐味を伝えようとしている訳ですが、醍醐味は味覚で言うなら、「苦い」のです。

言うなれば、「みょうが」や「ゴーヤ」や「ビール」のようなものです。


もし、子供がこのブログの文章を読んだとしたら、それは子供が「ビール」を飲むようなものですから、

「マズい」

「美味しくない」

「こんなのを美味しいと言う人の気が知れない」

「感覚がどうかしてるんじゃないの」

と言うことに、なってしまいます。


で、子供は自己中心的ですから、自分をマズイ気持ちにさせた相手を批判するのですが、こちらは大人ですから、その気持ちもわかるのです。

たとえ、「ビールは苦くて、こんなのを美味しいと有り難がる大人は間違っている」と子供が言っても、その意見に賛成できるのです。

それも正しい。

でも、子供は、その感覚が理解できない。それが子供が子供たる所以です。


たまに、子供でも醍醐味がわかる子が居ますが、それはかなり賢い子だけです。

かなり賢い子なら、「自分はビールが苦くてマズいと思うけど、周りを見れば美味しいと言っている人もいるのだから、自分の意見が正しいというわけでもなく、自分が苦みをまだ理解できないだけなんだ」とわかるのです。

でも、これは、かなり賢い子だけです。

多くは、自分がそう思うのだから、それが正しい、周りが間違っている、となってしまいます。

これが、子供の限界です。


ですから、このブログが、「耳障り」でも、「つまんない」でも、「おもしろくない」でも、それはその人にとって正しいし、それについても賛成なのです。

「ビール」は「苦い」、「マズい」、「おいしくない」と言われるようなものです。

その気持ちもわかります。

でも、だからと言って、「ビール」を甘くする気は、さらさらありません。

それは、「ビール」は「苦い」から「甘くすべき」と言う子供の意見は、受け入れられませんし、受け入れる必要も無いからです。


ちゃんと大人になれば、「苦い」のが、「苦い」ままで美味しく感じられるようになります。

それが、「醍醐味」です。

「醍醐味」は、子供が勝手に夢想するような「甘い」スイーツのような味ではありません。

「醍醐味」は、マラソンを走りきった後の「水」のような味なのです。


子供はきっと、「水」なんて美味しくないと言うでしょう。

それは、まだ人生に全力を出しておらず、「醍醐味」を理解できる舌が出来てないからなのです。


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