バッターの自覚を

先日、高校野球で延長50回の末に、決着がついたという話がありました。
ここでは細かい話は置いておいて、何故こうなってしまうかと言うと、バッターが打たないからです。
これと、人生は、とても似ています。
どうも日本人は、バッターでもあるという自覚が、無さすぎる気がします。
ここ一ヶ月でも良いので、何かに向けてフルスイングした経験は、あるでしょうか。
フルスイングですから、三振しても良いのです。
とにもかくにも、何かを思いっきりやった経験です。
仮に、夢が、金でも、出世でも、恋人でも、ダイエットでも、何でも良いですが、それに向けてのフルスイングです。
おそらく、きっと、フルスイングどころか、バットを振ってもいないのではないでしょうか。
それは、バッターの自覚が無さすぎるからだと思うのですが、どうでしょうか。

仮に、2014年という試合が、0点続きで、続いているとします。
頑張っているのに0点続きだとすれば、それは守備ばかりしているからです。
バッターの時に、見送り三振ばかりしているからです。
とにもかくにも、スイングしなければ、得点にはならないのです。
0点という現状を打破しようと思えば、自分からバットを振るしかありません。
最初は、ファールや内野ゴロでアウトになるでしょうが、それが嫌だと見送り三振をしたら、一生、点が入らないのです。
人生、ずっと0点のまま、です。
延長50回になったって、100回になったって、0点のままです。
いくら守備を頑張ったって、0点のままです。
なぜなら、自分から打ちにいかないからです。
人生という野球を守備だけやっていれば良いみたいに、勘違いすると、ずっと待夢(タイム)みたいになっていくのです。

言うまでもなく、バッターとして打たなければ、得点は入りようがありません。
守備を頑張っていれば、誰かが代わりにホームランを打ってくれる訳ではないのです。
でも、そういう妄想をしている人は、少なくないのでは、ないでしょうか。
それは、バッターの自覚が無さすぎるのです。
お金にしても、より多くバイトをするとか、
出世なら、顧客が喜びそうなことをするとか、
恋人が欲しいなら、パーティーに参加するとか、
ダイエットなら、全力疾走してみるとか、
まぁ、何でも良いのですが、こういう風にバッターとして打たないことには、得点が入らないのです。
言われてみれば当たり前ですが、
バッターの自覚がない人にとっては、盲点だと思うのです。

