退屈なのは成長してないから
退屈そうな学生は、元気があるなら、
「金」、「セックス」、「ゲーム」に走ります。
元気がないなら、
「死んだ魚の目」をしてただ何となく生きます。
ここでは、学生としていますが、そういう学生が社会人になる訳ですから、社会人でも一緒です。
ただ、言葉は、お化粧をするのに便利なもので、中身は変わらなくても、綺麗な言葉で装飾すると、あら不思議。
綺麗なものに見えてくるのです。
たとえば、
「金」を「バイト」、
「バイト」から「社会勉強」にすると、とても高尚なものに、聞こえます。
たとえば、
「セックス」を「恋愛」
「恋愛」から「純愛」にすると、とても高尚なものに、聞こえます。
これは、ヤンキーがよく使うテクニックですね。
たとえば、
「ゲーム」を「リクリエーション」
「リクリエーション」から「友達とのコミュニケーションツール」にすると、
とても高尚なものに、聞こえます。
これはゲーム会社の販促担当が、いかにも言いそうなことです。
で、元気がある学生は、
「金」、「セックス」、「ゲーム」で無為に過ごし、
元気がないなら、
「死んだ魚の目」をしてただ無為に過ごすのです。
どちらにせよ同類項なら、「どうせアホなら踊らにゃ損、損」ということなのでしょう。
その証拠に、踊っている方のグループは、リアルが充実しているリア充と言って、何だか成功者扱いされているようです。

この根は、異常に深くて、社会人になってからも続きます。
踊ったアホなグループが、うちらは成功者だと、色々なものを売るのです。
分りやすいのが、恋愛系の商材です。
婚活を含む、出会い系。恋愛ゲーム系などです。
即物的ならば、すぐ恋人がゲットできる、ですし、
賢しければ、恋愛をゲームとして売ったりします。
前者は学歴がない人が売りがちで、後者は一流大学出の人が売りそうなことです。
これらは見事に、「金」と「セックス」と「ゲーム(感覚)」を含みます。
ここで踊ると、気持ちいいですよ、と言う話なのです。

話を戻して、
退屈そうな学生が、
「金」、「セックス」、「ゲーム」に走るのは、
本当にリア充で、本当に成功者なのでしょうか。
バイトしまくって、合コンしまくって、ゲーム感覚に酔いしれる。
確かに、死んだ魚の目をして何もしないのは間違いなく失敗ですから、それに比べると成功者、かもしれません。
しかし、冷静に見れば、どちらも本来の目標を見失っている訳ですから、成功者とは言い難いのです。

では、本来の目標とは、何でしょうか。
それは、なりたい自分になる、と言うことです。
死んだ魚の目をしている人は、他人の目や世の中の尺度を気にするばかりで、自分で自分を良くすることを忘れてしまっているのです。
一方、リア充も一緒で、他人の目や世の中の尺度を気にするばかりで、自分で自分を良くすることを忘れてしまっているのです。
リア充の方を補足すると、学生は恋人がいるのが普通(だから作る)とか、バイトはいくつか経験するもの(だから、やる)とか、留年だけはしないように(必要最低限の単位をとって)卒業するとか、要領よく世間の尺度に合わせているだけ、なのです。
どちらも、自分がありません。
自分がないのですから、なりたい自分なんて、さらに望むべくもないのです。

世の中が退屈だから、何もしないのと、
世の中が退屈だから、映画、ゲーム、ショッピングに走るのと、
これは、根本的なところでは、何も変わりません。
学生で言うと、前者は1日何もしないでぼけっと過ごす。
後者は、半日バイトして、そのお金で、夜、居酒屋に行くようなものだからです。
しかし、後者が成功者と言われる傾向にあるのは、上記で説明した通りです。
そりゃ、学生の本分を徹底的に無視すれば、その理屈は成り立ちますが、学生の本分からすると、成功者でもなんでもないことは、誰にでもわかるでしょう。

長くなるので、ここで、そのものズバリを言ってしまうと、
退屈なのは成長してないから、です。

世の中が退屈だから、死んだ目をするしかない訳でもなく、
そういう時は、「金」、「セックス」、「ゲーム」に興じれば良い訳でもなく、
あれこれ言い訳して、自分の殻から出ないから、退屈なのです。
自分の殻から出れば、退屈なんて全て吹き飛びます。
そうしないで、他の事で誤魔化そうとするから、充実感がなく、満たされず、面白くなく、退屈なのです。
退屈なのは、成長してないから。
退屈なのは、大きく成長した自分になろうとしてないから、です。


72歳から、ドラムを始めて、ライブデビューを果たしたレディ
「金」、「セックス」、「ゲーム」に走ります。
元気がないなら、
「死んだ魚の目」をしてただ何となく生きます。
ここでは、学生としていますが、そういう学生が社会人になる訳ですから、社会人でも一緒です。
ただ、言葉は、お化粧をするのに便利なもので、中身は変わらなくても、綺麗な言葉で装飾すると、あら不思議。
綺麗なものに見えてくるのです。
たとえば、
「金」を「バイト」、
「バイト」から「社会勉強」にすると、とても高尚なものに、聞こえます。
たとえば、
「セックス」を「恋愛」
「恋愛」から「純愛」にすると、とても高尚なものに、聞こえます。
これは、ヤンキーがよく使うテクニックですね。
たとえば、
「ゲーム」を「リクリエーション」
「リクリエーション」から「友達とのコミュニケーションツール」にすると、
とても高尚なものに、聞こえます。
これはゲーム会社の販促担当が、いかにも言いそうなことです。
で、元気がある学生は、
「金」、「セックス」、「ゲーム」で無為に過ごし、
元気がないなら、
「死んだ魚の目」をしてただ無為に過ごすのです。
どちらにせよ同類項なら、「どうせアホなら踊らにゃ損、損」ということなのでしょう。
その証拠に、踊っている方のグループは、リアルが充実しているリア充と言って、何だか成功者扱いされているようです。

この根は、異常に深くて、社会人になってからも続きます。
踊ったアホなグループが、うちらは成功者だと、色々なものを売るのです。
分りやすいのが、恋愛系の商材です。
婚活を含む、出会い系。恋愛ゲーム系などです。
即物的ならば、すぐ恋人がゲットできる、ですし、
賢しければ、恋愛をゲームとして売ったりします。
前者は学歴がない人が売りがちで、後者は一流大学出の人が売りそうなことです。
これらは見事に、「金」と「セックス」と「ゲーム(感覚)」を含みます。
ここで踊ると、気持ちいいですよ、と言う話なのです。

話を戻して、
退屈そうな学生が、
「金」、「セックス」、「ゲーム」に走るのは、
本当にリア充で、本当に成功者なのでしょうか。
バイトしまくって、合コンしまくって、ゲーム感覚に酔いしれる。
確かに、死んだ魚の目をして何もしないのは間違いなく失敗ですから、それに比べると成功者、かもしれません。
しかし、冷静に見れば、どちらも本来の目標を見失っている訳ですから、成功者とは言い難いのです。

では、本来の目標とは、何でしょうか。
それは、なりたい自分になる、と言うことです。
死んだ魚の目をしている人は、他人の目や世の中の尺度を気にするばかりで、自分で自分を良くすることを忘れてしまっているのです。
一方、リア充も一緒で、他人の目や世の中の尺度を気にするばかりで、自分で自分を良くすることを忘れてしまっているのです。
リア充の方を補足すると、学生は恋人がいるのが普通(だから作る)とか、バイトはいくつか経験するもの(だから、やる)とか、留年だけはしないように(必要最低限の単位をとって)卒業するとか、要領よく世間の尺度に合わせているだけ、なのです。
どちらも、自分がありません。
自分がないのですから、なりたい自分なんて、さらに望むべくもないのです。

世の中が退屈だから、何もしないのと、
世の中が退屈だから、映画、ゲーム、ショッピングに走るのと、
これは、根本的なところでは、何も変わりません。
学生で言うと、前者は1日何もしないでぼけっと過ごす。
後者は、半日バイトして、そのお金で、夜、居酒屋に行くようなものだからです。
しかし、後者が成功者と言われる傾向にあるのは、上記で説明した通りです。
そりゃ、学生の本分を徹底的に無視すれば、その理屈は成り立ちますが、学生の本分からすると、成功者でもなんでもないことは、誰にでもわかるでしょう。

長くなるので、ここで、そのものズバリを言ってしまうと、
退屈なのは成長してないから、です。

世の中が退屈だから、死んだ目をするしかない訳でもなく、
そういう時は、「金」、「セックス」、「ゲーム」に興じれば良い訳でもなく、
あれこれ言い訳して、自分の殻から出ないから、退屈なのです。
自分の殻から出れば、退屈なんて全て吹き飛びます。
そうしないで、他の事で誤魔化そうとするから、充実感がなく、満たされず、面白くなく、退屈なのです。
退屈なのは、成長してないから。
退屈なのは、大きく成長した自分になろうとしてないから、です。


72歳から、ドラムを始めて、ライブデビューを果たしたレディ