間に合わせない 真に合わす
ほとんど知られていませんが、「ひらめき」には、
「良いひらめき」と「悪いひらめき」があります。
世間でよく言う、アイデアとか、ひらめきと言うのは、大抵、「悪いひらめき」です。
それは、何故でしょうか。
それは、間に合わそうとする、浅知恵だからです。
たとえば、仕事で何かが足りなくて、何かで間に合わすとします。
「悪いひらめき」は、そうなってから、「ひらめき」を得ようとします。
だから、「悪いひらめき」なのです。
「悪いひらめき」は、とりあえず、間に合わせようとします。
間に合わすとは、もう少し、正確に言うと、過去に戻そうとするのです。
仮に、復縁にどんなにミラクルなひらめきを閃いたとしても、それは「悪いひらめき」なのです。
理由は、復縁される側の立場になれば、わかります。
こう世の中を観察してみましょう。
醤油がなかったから、そばつゆで間に合わすことを閃いた。
髪が爆発してたから、帽子で間に合わすことを閃いた。
お金がなかったから、とりあえずアルバイトで間に合わすことを閃いた。
恋人がいなかったから、とりあえず異性の知り合いとお茶しに行くことを閃いた。
つまらないから、とりあえず無料のゲームをしてみることを閃いた。
こういう「ひらめき」を「ナイスアイデア」と見なしている場合が、多くはないでしょうか。
これらは、根本的なところが疎かになって、手段や枝葉で何とかしようとしているので、「悪いひらめき」なのです。

では、根本的なところとは、何でしょう。
それは、真(ま)に合わすことです。
真(ま)に合わすとは、そもそもはどうあるべきか、真(しん)に合わすことです。
たとえば、ダイエットの真の成功者は、太らない人です。
太って、痩せる人ではありません。太らないようにする人です。
たとえ良いダイエット法をひらめいたとしても、そのひらめきを求めている時点で、もうおかしいのです。
これは、健康の真の成功者が、暴飲暴食の糖尿病から奇跡の生還をした人ではなく、糖尿病にならないようにした人であるのと一緒です。
真(ま)に合わすとは、こういう重要なことにフォーカスすることです。
「良いひらめき」は、真に合わそうとすることで、わいてくるのです。

世間では、パブロフの犬のように、何かがあってから、問題解決をしようとします。
しかしそれは、最高にうまくいったとしても、「悪いひらめき」なのです。
倒産しそうになったけど、ウルトラCで乗り切った。
三行半を突きつけられたけど、極秘のテクニックで何とかした。
こういう奇跡的なひらめきやら方法やらテクニックを知りたがる人が多いですが、それらを求めること自体が、何かがおかしいのです。
先の例でも、
醤油がなかったから、そばつゆで間に合わすことを閃いた。
↑これが仕事だったら、良いアイデアでも何でもありません。
補充を何でしておかなかったんだと、怒られるでしょう。
髪が爆発してたから、帽子で間に合わすことを閃いた。
↑これが仕事だったら、良いアイデアでも何でもありません。
何でもっと早くから準備しなかったんだと、注意されるでしょう。
お金がなかったから、とりあえずアルバイトで間に合わすことを閃いた。
恋人がいなかったから、とりあえず異性の知り合いとお茶しに行くことを閃いた。
つまらないから、とりあえず無料のゲームをしてみることを閃いた。
↑これらは思考が学生レベルのままで、良いアイデアでも何でもありません。
計画性無しの行き当たりばったり、だからです。
ですから、「とりあえず」の前に、「そもそもどうあるべきか」を考えることが、最重要なのです。

この基本的な「そもそもどうあるべきか」を考えることが、一番大事な頭を使うことです。
でも、何故か世間では、これが最後まで疎かになり、これまでの自分で出来ることで間に合わそうとします。
今の(これまでの)自分で出来そうなこと。やれそうなこと。
そういう間に合わせの悪いひらめき、アイデアを得ようとしますし、それを考えることだと勘違いしています。
そして、間に合いそうなことを思いつくと、いいアイデアを思いついたと嬉しくなってしまうのです。
その場合、自分が過去に出来たことをするのですから、創造性はゼロです。
創造的な(頭を使う)ことをしないで済むから、嬉しいと言う訳です。
これは、会社で、頭の固い人を見れば、よくわかるハズです。
過去にやったことの範囲内で、何とかしようとして、端から見ると、何でこうしないんだと不思議に思える、あれです。
でも、それとまったく同じことを自分の番になったら、やっているのです。
そこに気がつかないのは、単に10年前の仕事のやり方をしている人に対して、自分は3年前だから、頭が柔軟だと勘違いしているだけ、なのです。
そこから数年経つと、やっぱり、これはこういうものだから、こういう決まりだから、と言う風に思考停止してしまうのです。
ミイラ取りが立派なミイラになってしまう。
そういう人は、
これまでの自分が生きてきたことを話そうとしますし、
これまでの自分の記憶と照らし合わせて良い悪いを判断しようとしますし、
これまでの自分がやってきたことを再現しようとしますし、
これまでの自分が楽しかったことをリピートしようとします。
つまり、過去の常識に縛られたまま、思い出の世界に生きていて、現在に生きてないのです。

過去のつまらない常識に縛られて生きる。
そういう人は、他の人も過去のつまらない常識で縛ろうとします。
そして過去にやったこと、今を間に合わすことで、何とかしようとします。
それで何とかならないと、絶望してしまうのです。
組織や会社で言うと、出来ない理由、やれない訳を山ほど思いつくのですから、周りの生産性を下げます。
個人で言うと、これまでの自分で間に合わそうとして、新しいことや、新たなものを作り出すことを避けるのですから、自分自身の生産性を無意識に著しく下げてしまうのです。
これが、ほんの数十年前だったら、社会の変化が遅かったですから、まだ良かったのです。
間に合わせの悪いひらめきも、昔だったら、アイデアマンでした。
出世して、社長になることも、簡単でした。実際、そういう社長さんは多く居ます。
部長や課長になっている人も、実際、多く居ます。
しかし、そういう人が今では、コンクリートのように上に覆い被さって、新しい芽が出るのを阻害しているのです。
間に合わせで生きてきたOLは、お局のようになって、つまらない常識を押し付けます。
間に合わせで生きてきた部長は、立場をかさに、古いこれまでのやり方を教えます。
素直だったり、気が弱かったりすると、その教えを素直に、しぶしぶ学びます。
そして、そういう子は、上司に気に入られますから、いつの間にか同類項になってしまうのです。
だったら、歯向かったら良いのかと言うと、そうではなく、そんなことをし続けてたら、どこだって首になってしまいます。
また、単に歯向かうのは、5年前の常識ではなく、1年前の常識でやりたいと言うだけのやっぱり間に合わせという点で、いつの間にか同類項になってしまうのです。
ですから、大事なのは「そもそもどうあるべきか」を考えることなのです。
でも、何故か世間では、これが最後まで疎かになり、これまでの自分で出来ることで間に合わそうとします。
「そもそもどうあるべきか」を考えることが難しいのであれば、間に合わせようとしないことです。

間に合わせようとしないとは、現実的に達成しようとしないこととは違います。
通勤電車に間に合うように猛烈にダッシュ、みたいなことをしない、ということです。
そもそもどうあるべきかを予め考えておくことです。
特に現代では、コンビニや携帯、ナビのお陰で、それを考えなくて済むようになっています。
それは大変便利なことですが、頭を使わなくなる訳ですから、便利な一方で、馬鹿になるのです。
頭を使わないことに慣れ親しんでしまうと、それがクセになり、いざ頭を使わなければならない場面でも、過去に覚えた解答で何とか間に合わせをしようとする創造性ゼロの人間になってしまうのです。
これが、怖いのです。
これでも、そこそこ出世できたりしますから問題は深刻で、ある時にそれが通用しなくなると、一気に落ちてしまいます。
あの人は今みたいな芸能人、アスリートみたいになってしまうのです。
昔は、終身雇用でしたから、サラリーマンならそうならずに済んだのですが、今では、頭が固いと見なされたら、リストラされてしまうのです。
家庭でも、離婚もされてしまいます。
社会が欲しいのは、現状に対応出来る戦力であり、現状では使えないポケベルのような人は、たとえ昔にものすごく役に立って功労したとしても、通用しなくなってしまうのです。

最近、ITの活用術を教える機会があったのですが、ITの活用のポイントは、いかにITを活用しないか、なのです。
多くの人は気がついていませんが、電話だって、ITなのです。
でも、電話を使わない生活は考えられないでしょう。
ですから、電話は使います。メールも必須ですからメールも使います。
あと、会社だったらHPでしょう。これも無くて良い訳がありませんから使います。
後は、お店によっては会員登録、病院だったら携帯メールでの順番確認(ずっと並んでなくて済む)など。
それくらいです。
たったこれだけをしっかり覚えれば良いのです。
しかし、現状では、この基礎をしっかりやらず疎かにして、携帯電話の便利機能とか、ラインの楽しみ方とか、どうでも良いことに拘って、頭を悪いひらめきの方向へ使っている人が多いのです。
大事なのは、大事なことをちゃんとやることです。
そして、何よりも重要なのは、「間に合わそうとしない」、「これまでの自分で出来そうなことをしない」、面白そうなこと、儲かりそうなことに手を出すのではなく、大事なことをちゃんとやることです。
基礎はつまんなくて、画期的なメソッドや知識を欲しがる人は本当に後を絶えないのですが、いちばん役立つのは、基礎なのです。
この事実は、未来永劫かわりません。
走り込みをしないで、有能な野球選手とか、サッカー選手とか、テニスプレイヤーとか、そういうのは無いのです。
走り込みがつまんないから、いきなり試合に出て活躍できる方法が知りたいという人も後が絶えませんが、本当にもう頭がどうかしています。
そういう間に合わせは、長く続きません。
そういう悪いひらめきを求めちゃいけないし、クセになるからやっちゃいけないのです。

考えるとは、そもそもどうあるべきかを考えることです。
しかし、現代日本の考えるは、解答をより多く覚えた人みたいになり、そういう人が一流大学に。
メソッドを覚えた人が、カウンセラーや、コーチや、コンサルタントに。
体育でも教科書を覚えた旧態依然の人が、数多く居ます。
しかし、それらの知識は、覚えた時から時間が経っているでしょう。
たとえば、未だに、1192(いいくにつくろう)鎌倉幕府と覚えている人がいますが、今では鎌倉幕府の年号は、1185年です。
歴史の分野でもこうなのですから、他の分野も凄まじいスピードで変化しているのです。
カナヅチ克服スイミングスクールでは、バタフライが泳げるようになる人が続出していますが、これって一般のスイミングスクールでも、そうなってしかるべき、なのです。
なのに、何故そうなっていないか。
昔に教えられたこと、昔に覚えたこと、それが情報更新されずに、同じように教えているからなのです。
そして、出来ない人が居ると、大人になってからの習得は難しいから、みたいな常識でさっと流してしまうのです。
しかし、カナヅチ克服スイミングスクールでは、アラサー、アファフォーの女性でも、バタフライが泳げるようになっています。
力が弱いとされる女性、それも、たった数時間で、です。
こういうことが、世の中には、まだまだ沢山あるのです。
行き詰まりや、閉塞感だと思っているものは、実は、人々がこういうものだと、つまらない常識を覚えて、それを下に押し付けているだけなのです。
間に合わせようとした結果、解答だけ覚えて、それに合わない場合は切り捨てる、そういうお役所仕事になって、本来の仕事を忘れているのです。

本来の仕事とは、何でしょう。
それは、そもそもどうあるべきか、未来を考えることです。
ネットの検索で手段を探したり、脳の検索で方法を探ったりすることではありません。
なぜなら、それらは全て過去のものだからです。
過去に大流行したポケベルは、もう、売れないのです。
多くの書籍に答えを探しても、そこに答えは無いのです。
なぜならば、その人とあなたは別人だからです。
やりたいことも、育った時代背景も、違うからです。
ですから、未来を考えずに、間に合わせようとしてはいけません。
たとえ、これが答えだと言う風に書いてあったとしても、それはあなたの答えではないのです。
ましてや、未来の答えではありません。
未来の答えは、自分探しのように探し求めるものではなく、
あなたが、これから作り出すものだから、です。

あなたが、これから作り出す未来は、たとえば、こういうことです。
とりあえず、でも、間に合わせ、でもなく、そもそもどうありたいか忘れないことです。
でないと、怠惰な日々に、どんどん流されていってしまいます。


繰り返しますが、
とりあえず10キロ走るとか、
とりあえず部屋の掃除をするとか、
そういう間に合わせ思考は、思考停止で、悪いひらめきですから、やってはいけません。
それは、過去に戻そうとしているだけでしょう。
どうしてもそう思ってしまう人は、さっさと引っ越しをしましょう。でないと、悪いクセが抜けないからです。
引っ越しをするくらい自分を変えないと、そもそもどうあるべきかを真剣に考えられなくなっているからです。
過去、これまでの現状に、居着いては、これからの発想は出て来ないのです。
分かりやすく言うと、明日からアメリカに出張しなければならないとなったら、どんな人も、新しいアイデアがどんどん出てくるのと一緒です。
でも、日本にずっと居るつもりだと、そういう新しいアイデアは、絶対に出て来ないのです。
何年も赤字を出して倒産する会社は、その何年の間に新しいアイデアが出たかと言うと、そうではなく、ずっと自分の殻に閉じこもって、とりあえずの間に合わしアイデアが出て来ないかと待ったあげくに、出て来ないで倒産したのです。
それは、部屋が大好きな引きこもりが、外に出ないで、お金が尽きるのと本質的な意味で何も変わりません。
ですから、とりあえずや、間に合わせを止めて、早く外に出ることです。
そもそもどうありたいか忘れないことです。

そもそもどうありたいかのイメージを持ち、それを忘れないようにしましょう。
そうして行動していけば、夢は叶います。


「良いひらめき」と「悪いひらめき」があります。
世間でよく言う、アイデアとか、ひらめきと言うのは、大抵、「悪いひらめき」です。
それは、何故でしょうか。
それは、間に合わそうとする、浅知恵だからです。
たとえば、仕事で何かが足りなくて、何かで間に合わすとします。
「悪いひらめき」は、そうなってから、「ひらめき」を得ようとします。
だから、「悪いひらめき」なのです。
「悪いひらめき」は、とりあえず、間に合わせようとします。
間に合わすとは、もう少し、正確に言うと、過去に戻そうとするのです。
仮に、復縁にどんなにミラクルなひらめきを閃いたとしても、それは「悪いひらめき」なのです。
理由は、復縁される側の立場になれば、わかります。
こう世の中を観察してみましょう。
醤油がなかったから、そばつゆで間に合わすことを閃いた。
髪が爆発してたから、帽子で間に合わすことを閃いた。
お金がなかったから、とりあえずアルバイトで間に合わすことを閃いた。
恋人がいなかったから、とりあえず異性の知り合いとお茶しに行くことを閃いた。
つまらないから、とりあえず無料のゲームをしてみることを閃いた。
こういう「ひらめき」を「ナイスアイデア」と見なしている場合が、多くはないでしょうか。
これらは、根本的なところが疎かになって、手段や枝葉で何とかしようとしているので、「悪いひらめき」なのです。

では、根本的なところとは、何でしょう。
それは、真(ま)に合わすことです。
真(ま)に合わすとは、そもそもはどうあるべきか、真(しん)に合わすことです。
たとえば、ダイエットの真の成功者は、太らない人です。
太って、痩せる人ではありません。太らないようにする人です。
たとえ良いダイエット法をひらめいたとしても、そのひらめきを求めている時点で、もうおかしいのです。
これは、健康の真の成功者が、暴飲暴食の糖尿病から奇跡の生還をした人ではなく、糖尿病にならないようにした人であるのと一緒です。
真(ま)に合わすとは、こういう重要なことにフォーカスすることです。
「良いひらめき」は、真に合わそうとすることで、わいてくるのです。

世間では、パブロフの犬のように、何かがあってから、問題解決をしようとします。
しかしそれは、最高にうまくいったとしても、「悪いひらめき」なのです。
倒産しそうになったけど、ウルトラCで乗り切った。
三行半を突きつけられたけど、極秘のテクニックで何とかした。
こういう奇跡的なひらめきやら方法やらテクニックを知りたがる人が多いですが、それらを求めること自体が、何かがおかしいのです。
先の例でも、
醤油がなかったから、そばつゆで間に合わすことを閃いた。
↑これが仕事だったら、良いアイデアでも何でもありません。
補充を何でしておかなかったんだと、怒られるでしょう。
髪が爆発してたから、帽子で間に合わすことを閃いた。
↑これが仕事だったら、良いアイデアでも何でもありません。
何でもっと早くから準備しなかったんだと、注意されるでしょう。
お金がなかったから、とりあえずアルバイトで間に合わすことを閃いた。
恋人がいなかったから、とりあえず異性の知り合いとお茶しに行くことを閃いた。
つまらないから、とりあえず無料のゲームをしてみることを閃いた。
↑これらは思考が学生レベルのままで、良いアイデアでも何でもありません。
計画性無しの行き当たりばったり、だからです。
ですから、「とりあえず」の前に、「そもそもどうあるべきか」を考えることが、最重要なのです。

この基本的な「そもそもどうあるべきか」を考えることが、一番大事な頭を使うことです。
でも、何故か世間では、これが最後まで疎かになり、これまでの自分で出来ることで間に合わそうとします。
今の(これまでの)自分で出来そうなこと。やれそうなこと。
そういう間に合わせの悪いひらめき、アイデアを得ようとしますし、それを考えることだと勘違いしています。
そして、間に合いそうなことを思いつくと、いいアイデアを思いついたと嬉しくなってしまうのです。
その場合、自分が過去に出来たことをするのですから、創造性はゼロです。
創造的な(頭を使う)ことをしないで済むから、嬉しいと言う訳です。
これは、会社で、頭の固い人を見れば、よくわかるハズです。
過去にやったことの範囲内で、何とかしようとして、端から見ると、何でこうしないんだと不思議に思える、あれです。
でも、それとまったく同じことを自分の番になったら、やっているのです。
そこに気がつかないのは、単に10年前の仕事のやり方をしている人に対して、自分は3年前だから、頭が柔軟だと勘違いしているだけ、なのです。
そこから数年経つと、やっぱり、これはこういうものだから、こういう決まりだから、と言う風に思考停止してしまうのです。
ミイラ取りが立派なミイラになってしまう。
そういう人は、
これまでの自分が生きてきたことを話そうとしますし、
これまでの自分の記憶と照らし合わせて良い悪いを判断しようとしますし、
これまでの自分がやってきたことを再現しようとしますし、
これまでの自分が楽しかったことをリピートしようとします。
つまり、過去の常識に縛られたまま、思い出の世界に生きていて、現在に生きてないのです。

過去のつまらない常識に縛られて生きる。
そういう人は、他の人も過去のつまらない常識で縛ろうとします。
そして過去にやったこと、今を間に合わすことで、何とかしようとします。
それで何とかならないと、絶望してしまうのです。
組織や会社で言うと、出来ない理由、やれない訳を山ほど思いつくのですから、周りの生産性を下げます。
個人で言うと、これまでの自分で間に合わそうとして、新しいことや、新たなものを作り出すことを避けるのですから、自分自身の生産性を無意識に著しく下げてしまうのです。
これが、ほんの数十年前だったら、社会の変化が遅かったですから、まだ良かったのです。
間に合わせの悪いひらめきも、昔だったら、アイデアマンでした。
出世して、社長になることも、簡単でした。実際、そういう社長さんは多く居ます。
部長や課長になっている人も、実際、多く居ます。
しかし、そういう人が今では、コンクリートのように上に覆い被さって、新しい芽が出るのを阻害しているのです。
間に合わせで生きてきたOLは、お局のようになって、つまらない常識を押し付けます。
間に合わせで生きてきた部長は、立場をかさに、古いこれまでのやり方を教えます。
素直だったり、気が弱かったりすると、その教えを素直に、しぶしぶ学びます。
そして、そういう子は、上司に気に入られますから、いつの間にか同類項になってしまうのです。
だったら、歯向かったら良いのかと言うと、そうではなく、そんなことをし続けてたら、どこだって首になってしまいます。
また、単に歯向かうのは、5年前の常識ではなく、1年前の常識でやりたいと言うだけのやっぱり間に合わせという点で、いつの間にか同類項になってしまうのです。
ですから、大事なのは「そもそもどうあるべきか」を考えることなのです。
でも、何故か世間では、これが最後まで疎かになり、これまでの自分で出来ることで間に合わそうとします。
「そもそもどうあるべきか」を考えることが難しいのであれば、間に合わせようとしないことです。

間に合わせようとしないとは、現実的に達成しようとしないこととは違います。
通勤電車に間に合うように猛烈にダッシュ、みたいなことをしない、ということです。
そもそもどうあるべきかを予め考えておくことです。
特に現代では、コンビニや携帯、ナビのお陰で、それを考えなくて済むようになっています。
それは大変便利なことですが、頭を使わなくなる訳ですから、便利な一方で、馬鹿になるのです。
頭を使わないことに慣れ親しんでしまうと、それがクセになり、いざ頭を使わなければならない場面でも、過去に覚えた解答で何とか間に合わせをしようとする創造性ゼロの人間になってしまうのです。
これが、怖いのです。
これでも、そこそこ出世できたりしますから問題は深刻で、ある時にそれが通用しなくなると、一気に落ちてしまいます。
あの人は今みたいな芸能人、アスリートみたいになってしまうのです。
昔は、終身雇用でしたから、サラリーマンならそうならずに済んだのですが、今では、頭が固いと見なされたら、リストラされてしまうのです。
家庭でも、離婚もされてしまいます。
社会が欲しいのは、現状に対応出来る戦力であり、現状では使えないポケベルのような人は、たとえ昔にものすごく役に立って功労したとしても、通用しなくなってしまうのです。

最近、ITの活用術を教える機会があったのですが、ITの活用のポイントは、いかにITを活用しないか、なのです。
多くの人は気がついていませんが、電話だって、ITなのです。
でも、電話を使わない生活は考えられないでしょう。
ですから、電話は使います。メールも必須ですからメールも使います。
あと、会社だったらHPでしょう。これも無くて良い訳がありませんから使います。
後は、お店によっては会員登録、病院だったら携帯メールでの順番確認(ずっと並んでなくて済む)など。
それくらいです。
たったこれだけをしっかり覚えれば良いのです。
しかし、現状では、この基礎をしっかりやらず疎かにして、携帯電話の便利機能とか、ラインの楽しみ方とか、どうでも良いことに拘って、頭を悪いひらめきの方向へ使っている人が多いのです。
大事なのは、大事なことをちゃんとやることです。
そして、何よりも重要なのは、「間に合わそうとしない」、「これまでの自分で出来そうなことをしない」、面白そうなこと、儲かりそうなことに手を出すのではなく、大事なことをちゃんとやることです。
基礎はつまんなくて、画期的なメソッドや知識を欲しがる人は本当に後を絶えないのですが、いちばん役立つのは、基礎なのです。
この事実は、未来永劫かわりません。
走り込みをしないで、有能な野球選手とか、サッカー選手とか、テニスプレイヤーとか、そういうのは無いのです。
走り込みがつまんないから、いきなり試合に出て活躍できる方法が知りたいという人も後が絶えませんが、本当にもう頭がどうかしています。
そういう間に合わせは、長く続きません。
そういう悪いひらめきを求めちゃいけないし、クセになるからやっちゃいけないのです。

考えるとは、そもそもどうあるべきかを考えることです。
しかし、現代日本の考えるは、解答をより多く覚えた人みたいになり、そういう人が一流大学に。
メソッドを覚えた人が、カウンセラーや、コーチや、コンサルタントに。
体育でも教科書を覚えた旧態依然の人が、数多く居ます。
しかし、それらの知識は、覚えた時から時間が経っているでしょう。
たとえば、未だに、1192(いいくにつくろう)鎌倉幕府と覚えている人がいますが、今では鎌倉幕府の年号は、1185年です。
歴史の分野でもこうなのですから、他の分野も凄まじいスピードで変化しているのです。
カナヅチ克服スイミングスクールでは、バタフライが泳げるようになる人が続出していますが、これって一般のスイミングスクールでも、そうなってしかるべき、なのです。
なのに、何故そうなっていないか。
昔に教えられたこと、昔に覚えたこと、それが情報更新されずに、同じように教えているからなのです。
そして、出来ない人が居ると、大人になってからの習得は難しいから、みたいな常識でさっと流してしまうのです。
しかし、カナヅチ克服スイミングスクールでは、アラサー、アファフォーの女性でも、バタフライが泳げるようになっています。
力が弱いとされる女性、それも、たった数時間で、です。
こういうことが、世の中には、まだまだ沢山あるのです。
行き詰まりや、閉塞感だと思っているものは、実は、人々がこういうものだと、つまらない常識を覚えて、それを下に押し付けているだけなのです。
間に合わせようとした結果、解答だけ覚えて、それに合わない場合は切り捨てる、そういうお役所仕事になって、本来の仕事を忘れているのです。

本来の仕事とは、何でしょう。
それは、そもそもどうあるべきか、未来を考えることです。
ネットの検索で手段を探したり、脳の検索で方法を探ったりすることではありません。
なぜなら、それらは全て過去のものだからです。
過去に大流行したポケベルは、もう、売れないのです。
多くの書籍に答えを探しても、そこに答えは無いのです。
なぜならば、その人とあなたは別人だからです。
やりたいことも、育った時代背景も、違うからです。
ですから、未来を考えずに、間に合わせようとしてはいけません。
たとえ、これが答えだと言う風に書いてあったとしても、それはあなたの答えではないのです。
ましてや、未来の答えではありません。
未来の答えは、自分探しのように探し求めるものではなく、
あなたが、これから作り出すものだから、です。

あなたが、これから作り出す未来は、たとえば、こういうことです。
とりあえず、でも、間に合わせ、でもなく、そもそもどうありたいか忘れないことです。
でないと、怠惰な日々に、どんどん流されていってしまいます。


繰り返しますが、
とりあえず10キロ走るとか、
とりあえず部屋の掃除をするとか、
そういう間に合わせ思考は、思考停止で、悪いひらめきですから、やってはいけません。
それは、過去に戻そうとしているだけでしょう。
どうしてもそう思ってしまう人は、さっさと引っ越しをしましょう。でないと、悪いクセが抜けないからです。
引っ越しをするくらい自分を変えないと、そもそもどうあるべきかを真剣に考えられなくなっているからです。
過去、これまでの現状に、居着いては、これからの発想は出て来ないのです。
分かりやすく言うと、明日からアメリカに出張しなければならないとなったら、どんな人も、新しいアイデアがどんどん出てくるのと一緒です。
でも、日本にずっと居るつもりだと、そういう新しいアイデアは、絶対に出て来ないのです。
何年も赤字を出して倒産する会社は、その何年の間に新しいアイデアが出たかと言うと、そうではなく、ずっと自分の殻に閉じこもって、とりあえずの間に合わしアイデアが出て来ないかと待ったあげくに、出て来ないで倒産したのです。
それは、部屋が大好きな引きこもりが、外に出ないで、お金が尽きるのと本質的な意味で何も変わりません。
ですから、とりあえずや、間に合わせを止めて、早く外に出ることです。
そもそもどうありたいか忘れないことです。

そもそもどうありたいかのイメージを持ち、それを忘れないようにしましょう。
そうして行動していけば、夢は叶います。

