その先に何があるか
世の中は、出来ると楽しいし、出来ないと楽しくないものです。
勉強でも、運動でも、仕事でも、出来れば楽しいのです。
逆に、出来なければ全然楽しくありません。
当たり前のようですが、とても見過ごされている重要なポイントです。
なぜなら、今の世の中では、出来なくても楽しいと錯覚させる騙しのテクニックが沢山あるからです。
たとえば、恋愛ドラマなんて、わかりやすいでしょう。
出来なくても楽しいと錯覚させます。
あるいは、ゲームなんかも、わかりやすいでしょう。
出来なくても楽しいと錯覚させます。
これは、脳内麻薬と似たようなもので、ナチュラルハイを引き起こし、それに依存させます。
恋愛ドラマにハマれば、次なる新作が観たくなりますし、
ゲームにハマれば、次なる新作が欲しくなります。
でも、これらにハマって、1年とか経ったらどうでしょう。
脳内の快感と引き換えに、お金と時間を出して、一体、何を得たでしょうか。
それで、自分は「もっと素敵な自分」になったでしょうか。

話を分かりやすく、極端にしてみます。
恋愛ドラマにハマった娘が、部活も行かず、勉強もあまりせず、家に引きこもりがちで、18歳から28歳の10年間をそれに費やしたとしましょう。
そりゃ、その渦中はハマっているから楽しいかもしれませんが、30歳を目前にして、目が覚めたらどうでしょう。
失われた時間とお金と若さは、戻って来ません。
この恋愛ドラマを、ゲームにしても、TVにしても、映画にしても、スピリチュアルにしても、グルメにしても、飲み会にしても、どれも一緒です。
たとえば、飲み会をしまくって、「もっと素敵な自分」になれる訳がないからです。
(のんべえが、なりたい自分の人は良いかもしれませんが、そういう人はまず居ないでしょうし、万が一、居たとしても、その先には病気が待ってます)
特に女性は、「もっと素敵な自分」になるのを避け、
「もっと素敵な自分」に見せようとするので、注意が必要です。
企業は売らんとするために、
着やせする服を着れば、「もっと素敵な自分」になれるとか言いますが、それは嘘です。
正確には、着やせする服を着れば「もっと素敵な自分」に見せられるだけで、「もっと素敵な自分」になる訳ではない、です。
コンシーラーで隠せば見えなくなるだけで、なくなる訳ではないのです。
即席で、騙し通せるのは、同窓会の一日くらい。
それは、「もっと素敵な自分」になることとは、違います。

このように、出来なくても、楽しいと錯覚させるものは、とても恐ろしいのです。
人をどんどん駄目にしていってしまいます。
ゲームでも、アニメでも、ドラマでも、ミュージシャンでも、グルメでも、お酒でも、ギャンブルでも、何かにハマって、それ以外のことをせずに来なかった人は、いくらでも居ます。
すると、どうなるでしょう。
最初に言った言葉を思い出してみてください。
世の中は、出来ると楽しいし、出来ないと楽しくないのです。
何かにハマって居た人は、時間をそのハマることに使ってしまったので、出来るようになっていないのです。
だから、出来ない。出来るようになってない。
出来ないから、現実の世の中が楽しくない。
楽しくないから、何もしなくても快楽をくれる、ゲームでも、アニメでも、ドラマでも、ミュージシャンでも、何かに逃げてしまうのです。
素敵な恋愛ドラマにハマる人たちは、自分たちは競馬やパチンコにハマる人たちとは違うと思っていると思いますが、どちらも「もっと素敵な自分」にならないという点でパチンコや競馬にハマるのと変わらないなのです。
出来なくても、楽しい一時の快楽の先には、
「もっと素敵な自分」は居ないのです。

勉強でも、運動でも、仕事でも、出来れば楽しいのです。
逆に、出来なければ全然楽しくありません。
当たり前のようですが、とても見過ごされている重要なポイントです。
なぜなら、今の世の中では、出来なくても楽しいと錯覚させる騙しのテクニックが沢山あるからです。
たとえば、恋愛ドラマなんて、わかりやすいでしょう。
出来なくても楽しいと錯覚させます。
あるいは、ゲームなんかも、わかりやすいでしょう。
出来なくても楽しいと錯覚させます。
これは、脳内麻薬と似たようなもので、ナチュラルハイを引き起こし、それに依存させます。
恋愛ドラマにハマれば、次なる新作が観たくなりますし、
ゲームにハマれば、次なる新作が欲しくなります。
でも、これらにハマって、1年とか経ったらどうでしょう。
脳内の快感と引き換えに、お金と時間を出して、一体、何を得たでしょうか。
それで、自分は「もっと素敵な自分」になったでしょうか。

話を分かりやすく、極端にしてみます。
恋愛ドラマにハマった娘が、部活も行かず、勉強もあまりせず、家に引きこもりがちで、18歳から28歳の10年間をそれに費やしたとしましょう。
そりゃ、その渦中はハマっているから楽しいかもしれませんが、30歳を目前にして、目が覚めたらどうでしょう。
失われた時間とお金と若さは、戻って来ません。
この恋愛ドラマを、ゲームにしても、TVにしても、映画にしても、スピリチュアルにしても、グルメにしても、飲み会にしても、どれも一緒です。
たとえば、飲み会をしまくって、「もっと素敵な自分」になれる訳がないからです。
(のんべえが、なりたい自分の人は良いかもしれませんが、そういう人はまず居ないでしょうし、万が一、居たとしても、その先には病気が待ってます)
特に女性は、「もっと素敵な自分」になるのを避け、
「もっと素敵な自分」に見せようとするので、注意が必要です。
企業は売らんとするために、
着やせする服を着れば、「もっと素敵な自分」になれるとか言いますが、それは嘘です。
正確には、着やせする服を着れば「もっと素敵な自分」に見せられるだけで、「もっと素敵な自分」になる訳ではない、です。
コンシーラーで隠せば見えなくなるだけで、なくなる訳ではないのです。
即席で、騙し通せるのは、同窓会の一日くらい。
それは、「もっと素敵な自分」になることとは、違います。

このように、出来なくても、楽しいと錯覚させるものは、とても恐ろしいのです。
人をどんどん駄目にしていってしまいます。
ゲームでも、アニメでも、ドラマでも、ミュージシャンでも、グルメでも、お酒でも、ギャンブルでも、何かにハマって、それ以外のことをせずに来なかった人は、いくらでも居ます。
すると、どうなるでしょう。
最初に言った言葉を思い出してみてください。
世の中は、出来ると楽しいし、出来ないと楽しくないのです。
何かにハマって居た人は、時間をそのハマることに使ってしまったので、出来るようになっていないのです。
だから、出来ない。出来るようになってない。
出来ないから、現実の世の中が楽しくない。
楽しくないから、何もしなくても快楽をくれる、ゲームでも、アニメでも、ドラマでも、ミュージシャンでも、何かに逃げてしまうのです。
素敵な恋愛ドラマにハマる人たちは、自分たちは競馬やパチンコにハマる人たちとは違うと思っていると思いますが、どちらも「もっと素敵な自分」にならないという点でパチンコや競馬にハマるのと変わらないなのです。
出来なくても、楽しい一時の快楽の先には、
「もっと素敵な自分」は居ないのです。
