簡単じゃないから楽しい

(写真は、一流レストランが提供するカレー)
カレーと言うのは、面白いもので、
凝ろうと思えばどこまでも凝れますし、
凝らずに作ろうと思えば、どこまでも凝らずに済みます。
前者はもちろん美味しいのですが、後者でも食べられなくはなく、そこそこ美味しいものです。
そして、これは「人生をどう楽しむか」と、とても、とても良く似ているのです。
たとえば、ある主婦が居たとしましょう。
Aさんは、レトルトのカレーでイイやと、毎回、レトルトのカレーを作っていました。
Bさんは、頼まれもしないのにカレーに凝って、手作りスパイスのカレーを作っていました。
そして、なんやかんやで、1年が過ぎたとしましょう。
さて、この場合、料理の時間を楽しんだのは、どちらでしょうか。
あるいは、料理の時間が、苦痛だったのは、どちらでしょうか。

ここに人生を楽しむ、あるいは、苦しむコツがあります。
上記のAさんは、料理がイヤだから、レトルトのカレーで済ましたのに、やればやるど面白くなくなっていって、レトルトで作ることさえも面倒になってくるのです。
面倒なことを避けて、簡単なレトルトにしたのに、そのお蔭で、どんどん面白くなくなって、簡単なことさえも苦痛になっていきます。
いくら手抜きしても、料理の時間そのものはゼロにはならないからです。
一方、Bさんは、簡単なレトルトにしないで、面倒なルー作りからしたお蔭で、やればやるほど面白くなって、楽しくなっていくのです。
しかも、1年も経てば、相当、料理の腕も上がります。
カレー以外の物を作っても、美味しく出来るようになるのです。
ここまで読めば、どちらが人生を楽しんで、豊かな生活を送っているか、おわかりでしょう。
人生の楽しみ、豊かさとは、こういうところにあります。
事実、料理を楽しむ人は、食生活も豊かなのです。
そして、そうなるコツは、「簡単じゃないから楽しい」ということを実際にやって体感することです。

逆に、人生を貧しく、つまらなくするコツは、簡単で誰でも出来ることに、手を出すことです。
たとえば、時給1000円と時給800円のカレー屋さんがあったとします。
時給1000円の方は、カレールーをかけるだけの簡単作業です。
時給800円の方は、野菜を切ったり、たまねぎを炒めたり、何でもかんでもやらされます。
この時に、多くの人は、時給1000円の方を喜んで選択してしまうのです。
しかし、これをすると、最初は良くても、徐々に日々がツマラナクなってしまいます。
毎日、毎日、注文を受けたら、カレールーをよそうだけの毎日。
時計を見ては、はやくバイトの時間が終わらないかなと思う日々。
あるいは、バイト同士で無駄な話で盛り上がって、若さとお金をいかに効率よく交換するか、みたいな話になります。
一方、800円の方を選んだら、大変です。
覚えることは沢山あります。やることもいっぱいあります。時給1000円のバイトと比べたら、ぜんぜん割に合わないと思うでしょう。
バイト同士で、無駄話をしている時間もありません。
しかし、そのお蔭で、時計を見なくても、あっという間に時間が過ぎます。
さて、それから半年後。
ずっと同じところに働いていると仮定して、楽しく活き活きと生活(仕事)をしているのは、どちらだと思いますか。

この話は、多くの人にとって、わかるようになるまで、とても時間を要します。
仮に、今この記事を読んでも、いまいちピンと来ない人も居るでしょう。
特に、簡単なことに手を出している人にとっては、まず、わからない話です。
と言うか、わかりたくない話です。
なぜなら、そういう人は、そういう自分を意地でも保持しようとするから、です。
いつもレトルトで済ます主婦は、自分の正当性をいかんなく主張するでしょう。
時給1000円を選んだバイトは、自分の判断が正しいことを証明しようとするでしょう。
そして、それは確かに、正しいのです。
合っているのです。正しいのです。
非常に合理的ですし、非常に効率的です。
しかし、だからこそ、どんどん自分が機械のようになっていって、ツマラナクなっていくのです。
お金や手間と引き換えに、何か、大事な物を失うのです。

その大事な物とは、「楽しさ」です。

