やる気が有ろうが無かろうが

やる気が有ろうが無かろうが、やることは、変わりません。


・解説
仮に、車に乗りたければ、まず免許をとるために、少なくても30時間以上の「学科」と「実技」が必要です。
やる気が有ろうが無かろうが、やることは、変わりません。
コーチに頼ろうが頼るまいが、やることは、変わりません。
好きだろうが嫌いだろうが、やることは、変わりません。
で、教習所に通っている人は、別に、ワクワクとか、やる気があるとか、好きだからとか、行くとお金がもらえるとか、そういうのがあるから行っている訳ではありません。
ただ、必要だから、行っているのです。
晴れの日も、雨の日も、やる気が有ろうが無かろうが、好きだろうと嫌いだろうと、関係なく、教習所に通います。
これと、夢の実現は、同じです。
車の免許をとれる人ならば、夢の実現は、簡単なのです。
ややこしくしているのは、当人の脳で、
「学科」の勉強をしないで免許が欲しいとか、
「実技」の試験を受けないで免許が欲しいととか、
やる気が出たら教習所に行くとか、
やる気が出ないから教習所に行かないとか、
この「学科」は苦手だから飛ばすとか、
この「実技」は怖いからやりたくないとか、
自分は車に乗りたいだけで免許が欲しい訳じゃないとか、
そういう無駄なことを願ったり、思ったりせずに、やれば良いのです。
なぜなら、やることは、変わらないからです。
免許が欲しかったら、やる気が有ろうが無かろうが、やるしかないのです。
やる気の問題にしている時点で、何かがおかしいのです。
だって、教習所に通っている時は、別に、ワクワクとか、やる気がとか、好きとか、行くと儲かるとか、そういうのを無しに動けていたでしょう。
それが何故か、夢のことになると、ワクワクとか、巨大なモチベーション等が必要不可欠だと言い張る人が多いのです。
それって、
やる気が出たら教習所に行くとか、
やる気が出ないから教習所に行かないとか、
言っているのと同じです。
やる気が出るまで待とうが、コーチに相談しようが、メンターに頼ろうが、上手く行くノウハウ本を読もうが、運命的な出会いを望もうが、何でも良いですが、
やることは、変わらないのです。
どんだけ先延ばししようが、
どんだけ後回しにしようが、
どんだけ願っても、どんだけ逃げても、
やることは、変わらないのです。
教習所が、すごいやる気じゃないといけないとしたら、みんな免許持ってないです。
「今日は高速教習だから、とてもワクワクする」とか、
「坂道発進は出来る気がしないから行かない」とか、
そんなことを、いちいち考えてはいないのです。
夢も、これと一緒です。
やる気が有ろうが無かろうが、いちいち考えず、やることです。
やる気が出なきゃやらないって、やる気が出ないから教習所に行かないと言っているのと同じです。
すごいワクワクしたら、教習所に行くって、おかしいのです。
別に、みんなすごいワクワクするから行っている訳ではありません。
ただ、必要だから行っているのです。
じゃ~、夢が無いかと言うと、そんなことはなくて、免許を取れば、ドライブが出来る自分が実現するのです。

やる気が有ろうが無かろうが、やることは、変わりません。
免許取得の時は、やる気に左右されず、それが出来ていた。
他のこともそれと同じである。
このことに、早く気が付くのがコツです。


「自分から追い込むか、他人から追い込まれるか」