自分らしさ | プラクティス

自分らしさ

「自分らしさ」の話。

ワールドカップで日本チームは、「自分達らしいプレーが出来なかった」と言っていました。

この言葉の意味とは何でしょう。

その言葉の意味とは、「自分達らしいプレーが出来ていたら勝っていた」ということです。

これは、スゴイことです。


分り易いように、試合を、模擬試験にしてみましょう。

全国の実力テストで、散々な結果に終わった男子が、

「自分らしい解答が出来なかった」

と言ったら、どう思いますか。

何と言うか、スゴイでしょう。


何なんでしょう、「自分らしい解答」って。


実際は、山を張っていたところが外れて、実力不足で歯が立たなかったってことでしょう。


それを「自分らしい解答が出来なかった」って…。


言うまでも無く、「自分らしい解答が出来なかった」のが敗因じゃありません。

山を張って、自分らしい解答をしようとしたから、負けたのです。

つまり、自分らしさを十二分に発揮したから、敗れたのです。


敗因は、「自分らしい解答」をしようとしたから、なのに、あろうことか「自分らしい解答が出来なかった」からと真逆な話にすり替えているのです。


「自分らしい解答が出来ていたら合格していた」

そりゃ、そうです。

「自分たちらしいプレーが出来ていたら勝っていた」

そりゃ、そうです。

「自分らしく生きればうまく行く」

非の打ちどころがなく、その人の妄想の中では、その通りです。

悲しいくらいにその通りです。


こうやって妄想の世界では何でもアリになっていくのです。


念のため言っておきますが、ワールドカップの日本代表が駄目だと言っている訳ではありません。

「自分たちのサッカーが出来なかった」とか言う言い訳は、止めた方がいいと言っているのです。

なぜなら、それは、

全国の実力テストで、散々な結果に終わった男子が、

「自分らしい解答が出来なかった」

と言うのと同じくらい、責任回避だからです。


負けは良いのです。酷い点数をとっても良いのです。

でも、自分の責任にせず、問題や体調、「自分らしさが発揮できなかった」せいにしはじめたら、そこで自分の成長は止まってしまいます。

「自分らしさ」なんて、大衆を扇動するために作られた造語です。

別に自分らしくなんて思わなくても、誰もがみんな自動的に、「自分らしい」のです。

ネコが10匹いたら、同じネコでも、みんな多種多様に「自分らしい」のです。

そんな、犬猫でも出来ることに価値はありません。

価値があると思わさせられている人は、扇動したいマスコミやミュージシャンの宣伝文句に、のせられているだけです。


こういうことは、プロの選手になった時に、一般教養として叩き込んでおくべきでしょう。

玉投げ、玉蹴りの能力がいくら高くても、教養の低さ、人間の底の浅さが露呈してしまいます。

影響力のある人の発言は、さらに勘違いする人を生み出してしまうのですから、その責任も大きいのです。

もっと勉強するべきでしょう。


自分らしさは、妄想です。

それも、悪い妄想です。

本当の自分くらい悪い妄想です。

サッカーで酷い試合だった。受験で酷い点数だった。鏡の前に立つと三段腹だ。

それが、本当の自分なのです。それが、自分らしさなのです。


現実にうまく行ってないのに、うまくいってる自分なんて、現実に居ないのです。

現実に居ない自分を自分だと思うことを妄想と言います。


自分らしさなんか在りません。あるいは、鏡の前の自分が「自分らしい」のです。

本当の自分なんて居ません。あるいは、鏡の前の自分が「本当の自分」なのです。

自分らしさ、本当の自分は妄想です。

それはただ自意識過剰、虚栄心やエゴが強いだけ、です。

自分は自分、それ以上でも、それ以下でもありません。

人は、いつでも自分らしいし、いつでも本当の自分なのです。


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