自分をどうしたいのか
夢と言うと、どうも他人とか、物とか、地位とか、自分の外側のことばかり言う人が多いのですが、それは単なる我欲、物欲、名誉欲です。
それらの欲は、夢とは言いません。
イケメンの彼が欲しいでも、可愛い彼女が欲しいでも、それは色欲であって、夢ではありません。
では、夢とは何でしょう。
夢とは、「自分をどうしたいのか」です。
このブログでは、何度ものび太くんが出てくるのですが、それはみんなが知っているからです。
たとえば、のび太くんが、宿題もやらずに、しずかちゃんと一緒にお風呂に入りたいとか願ったら、どー考えても、色欲でしょう。
でも、この色欲は、不思議なことに、「のび太くんが勉強、運動、性格が学年1位」になって、しずかちゃんに交際を申し込むのなら、その夢は、実現してしまうのです。
仮に、しずかちゃんに振られても、他の女子が黙ってませんから、いずれ誰かと実現します。
夢とは、そういうものです。
一方、自分「が」、自分「が」と我欲の我を張って、
自分「を」どうしたいのか、すなわち自分を変えないで、他人や、物や、地位を欲しがると、どれも上手くいきませんし、上手くいかないのを強引にやると、犯罪になります。
のび太くんが勉強せず、大学に落ちて、しずかちゃんに告白しても、振られます。
それを出木杉のせいや、学歴社会のせいや、しずかちゃんの見る目がないせいにして、強引に付きまとったら、ストーカーとして逮捕までされてしまうのです。
出来る人ほどまだまだと言うのと反対に、出来ない人ほど自惚れが強く、自分のせいを他人のせいにすり替えるのが上手いのです。
高望みはとても結構なのですが、高望みするなら、その高いところまで登ることが必要です。
でないと、本当に地獄絵図に出てくる、貞子みたいな餓鬼になってしまいます。

夢に、「もらう」とか、「やって来る」とか、「選ばれる」みたいなイメージがあったら、要注意です。
何故ならそれらは、上記でも説明した通り、夢ではないからです。
自分で自己催眠をしているか、他者からマインドコントロールされているか、あるいはその両方でしょう。
食っちゃ寝して、大学受験に落ちたジャイ子のところに、何故かある日突然、出木杉くんが迎えに来ないように、
食っちゃ寝して、大学受験に落ちたのび太のところに、何故かある日突然、しずかちゃんが迎えに来ないのです。
「もらう」とか、「やって来る」とか、「選ばれる」みたいなイメージは、妄想です。
それは、待っていればもう1回、学生時代が来る。
今を耐えればもう1回、バブルがやって来る。
それくらい救いの無い妄想です。
そこまでして自分を変えたくないくらいですから、よほど頑固で、よほど頭が固くなってしまっているのです。

固い頭で、柔らかい発想をするのは、不可能です。
それは、固い体で、新体操をするようなものだから、です。
ですから、まず固い頭を何とかする必要があるのですが、その何とかするにも、判断をする当人の頭が既に固いのですから、柔らかくしたいとも思えないのです。
思わないから、しない。
しないから、「今を耐えればもう1回、バブルがやって来る」、「待っていればもう1回、青春時代が来る」みたいな妄想にすがって、それを真実と思い込むことしか出来なくなってしまうのです。
しかし、「今を耐えればもう1回、バブルがやって来る」でしょうか。
「待っていればもう1回、青春時代が来る」でしょうか。
来る訳がありません。
で、こういう風に言うと、またすぐ早合点して、絶望した「フリ」をするのです。
その「フリ」とは、「マジかよ無理だと泣く前に」みたいに、怒り、泣き、喚くのです。

絶望とは、望みが絶たれることです。
望みが絶たれるの熟語が、絶望です。
ですから、望みがある状態を絶望とは言わないのです。
たとえば、高嶺の花、しずかちゃんが、「一生懸命に勉強や運動に打ち込む姿を見せてくれたら、のび太くんに惚れるかもしれない」と言ったとしましょう。
あるいは、高嶺の花、出木杉くんが、「一生懸命に勉強やダイエットに打ち込む姿を見せてくれたら、ジャイ子に惚れるかもしれない」と言ったとしましょう。
この場合、絶望でも何でもありません。
どちらかと言うと、望みあり、です。
望みありなのですから、その望みに向かって行ったら良いでしょう。
そうすれば夢が叶うのですから。
でも、この恵まれた望みありの条件でも、やらないで、絶望した「フリ」をする人が絶えないのです。
これ、わざと幼くして、のび太くんの例にしていますが、現実の大人の社会でも、この恵まれた条件でも文句を言って、やらない人が多いのです。

やらない人の言い分を簡潔にまとめて、一言で表現すると、こうです。
「自分は変わりたくない、でも欲しい」
あるいは、こうです。
「無料でくれ」
あるいは、こうです。
「駄目な自分を受け入れて、そしてあなたのものは全部ちょうだい」
とまぁ、こういうことです。
共通するのは、「自分を変える気がない」のです。
で、もらえるだけもらいたい。
社会を見ても、自分の技術が上がってないのに給料をもっとくれ、とか。
自分の容姿が下がっているのに美男美女と付き合いたい、とか。
すごいくらいに相手のことを考えない人が、自分の果てしない我欲をひたすら満たそうとしています。
1度、裸になって、自分の体をまじまじと見てみましょう。
あるいは、会社を辞めて、再就職口を探してみましょう。
たとえそうなっても、大丈夫な人だけが、何かを要求する権利があるのです。
裸になったら、誰も相手にしてくれない人に、何かを要求する権利はないのです。
それは、AKB48で、歌もヘタ、踊りもヘタ、笑顔もない娘が、自分はセンターに立ちたい、お金持ちになりたい、嵐の何々くんと付き合いたい、とか言うようなもの。
思うのは勝手だけれども、その前にやることがあるだろうと言う話です。

ですから、夢とは、まず「自分をどうしたいのか」なのです。
しずかちゃんと釣り合いたいなら、出木杉君のように。
出木杉君と釣り合いたいなら、しずかちゃんのように。
そうなるように、生きていくことです。
外のものの前に、内の自分を手に入れることです。
ケーキやラーメンを欲しがる前に、理想の体の自分を欲しがるのです。
外に構う前に、自分に構うことです。
どだい、ケーキやラーメンは無くても良い、あっても一瞬だけ良い思いをするだけですが、理想の体の自分は、生きている限り良い思いが続きます。
どっちが良いか、という話です。
1年後には何も思い出せない飲み会での刹那の快楽と、その間に勉強したしっかりした仕事の知識、どっちが良いか、という話です。
いま答えがわからなくても、半年、1年経ったらわかるでしょう。

たとえば、ダイエットなんてそうですが、
理想の自分は「自分がやりたくない」というところに居るので、
どんなに部屋にこもって、どんなに本を読んで、どんなにあれこれ考えても、
決して、正解は出てきません。
なぜなら、理想の自分は、「自分がやりたくないな」というところに居るからです。
のび太くんで言えば、避けてきた勉強とスポーツをした先に、のび太くんがなりたかったのび太くんが居るのです。
今の自分がやりたいネットや、今の自分が飲みたい酒の先には、なりたい自分は居ないのです。
でも、現在ののび太くんにしてみれば、それは信じられませんし、それ以外のことは、やりたくもないのです。
多くの人も、これと一緒です。
やりたくないことの先に、やりたいことがあるのです。
ですから、やりたくないことをしていない場合、それは単なる先送りなのです。

このブログでは、水泳やら、スケートやら、スキーやら、美術館巡りやら、結構いろいろなことをしています。
そこでの参加者さんは、「やりたくない」と思っていた人が多いのです。
でも、やってみたら、行ってみたら…。
「どうしてもっと早くやらなかったんだろう!」
という人が、続出しているのです。
その中には、スキーの才能や、水泳の才能、スケートの才能、美術の才能など、自分の中に眠っていた自分でも気が付かない自分の才能に出会って、喜んでいる人が沢山います。
勉強がてんでダメだった子が、資格試験に合格していくうちに、自分は結構できるんじゃないかと思い始めて、さらに上の資格を狙っています。
で、みんなにもこういう才能が、ザクザクと眠っているのです。
でもそれは、「やりたくない」という思いの先にあるのです。
例えが適当かは解りませんが、家の大掃除やら、引っ越しをするまでは、とても億劫だったけれども、いざやり始めて見たら、面白くなってくるような、あの感じです。
今が、どんな状態であれ、なりたい自分をイメージすることです。

「なりたい自分になるためには、何でもする!」
ちょっとの改善ではなく、ベストを狙う。
ベストを狙うからパワーが出るのです。
これから、夏本番。
夏に向けて、部屋の全て、自分の全てを模様替えしてみましょう。
「これまでで最高の自分になる」ことこそ、誰にとっても間違いなく、最高の夢だからです。


それらの欲は、夢とは言いません。
イケメンの彼が欲しいでも、可愛い彼女が欲しいでも、それは色欲であって、夢ではありません。
では、夢とは何でしょう。
夢とは、「自分をどうしたいのか」です。
このブログでは、何度ものび太くんが出てくるのですが、それはみんなが知っているからです。
たとえば、のび太くんが、宿題もやらずに、しずかちゃんと一緒にお風呂に入りたいとか願ったら、どー考えても、色欲でしょう。
でも、この色欲は、不思議なことに、「のび太くんが勉強、運動、性格が学年1位」になって、しずかちゃんに交際を申し込むのなら、その夢は、実現してしまうのです。
仮に、しずかちゃんに振られても、他の女子が黙ってませんから、いずれ誰かと実現します。
夢とは、そういうものです。
一方、自分「が」、自分「が」と我欲の我を張って、
自分「を」どうしたいのか、すなわち自分を変えないで、他人や、物や、地位を欲しがると、どれも上手くいきませんし、上手くいかないのを強引にやると、犯罪になります。
のび太くんが勉強せず、大学に落ちて、しずかちゃんに告白しても、振られます。
それを出木杉のせいや、学歴社会のせいや、しずかちゃんの見る目がないせいにして、強引に付きまとったら、ストーカーとして逮捕までされてしまうのです。
出来る人ほどまだまだと言うのと反対に、出来ない人ほど自惚れが強く、自分のせいを他人のせいにすり替えるのが上手いのです。
高望みはとても結構なのですが、高望みするなら、その高いところまで登ることが必要です。
でないと、本当に地獄絵図に出てくる、貞子みたいな餓鬼になってしまいます。

夢に、「もらう」とか、「やって来る」とか、「選ばれる」みたいなイメージがあったら、要注意です。
何故ならそれらは、上記でも説明した通り、夢ではないからです。
自分で自己催眠をしているか、他者からマインドコントロールされているか、あるいはその両方でしょう。
食っちゃ寝して、大学受験に落ちたジャイ子のところに、何故かある日突然、出木杉くんが迎えに来ないように、
食っちゃ寝して、大学受験に落ちたのび太のところに、何故かある日突然、しずかちゃんが迎えに来ないのです。
「もらう」とか、「やって来る」とか、「選ばれる」みたいなイメージは、妄想です。
それは、待っていればもう1回、学生時代が来る。
今を耐えればもう1回、バブルがやって来る。
それくらい救いの無い妄想です。
そこまでして自分を変えたくないくらいですから、よほど頑固で、よほど頭が固くなってしまっているのです。

固い頭で、柔らかい発想をするのは、不可能です。
それは、固い体で、新体操をするようなものだから、です。
ですから、まず固い頭を何とかする必要があるのですが、その何とかするにも、判断をする当人の頭が既に固いのですから、柔らかくしたいとも思えないのです。
思わないから、しない。
しないから、「今を耐えればもう1回、バブルがやって来る」、「待っていればもう1回、青春時代が来る」みたいな妄想にすがって、それを真実と思い込むことしか出来なくなってしまうのです。
しかし、「今を耐えればもう1回、バブルがやって来る」でしょうか。
「待っていればもう1回、青春時代が来る」でしょうか。
来る訳がありません。
で、こういう風に言うと、またすぐ早合点して、絶望した「フリ」をするのです。
その「フリ」とは、「マジかよ無理だと泣く前に」みたいに、怒り、泣き、喚くのです。

絶望とは、望みが絶たれることです。
望みが絶たれるの熟語が、絶望です。
ですから、望みがある状態を絶望とは言わないのです。
たとえば、高嶺の花、しずかちゃんが、「一生懸命に勉強や運動に打ち込む姿を見せてくれたら、のび太くんに惚れるかもしれない」と言ったとしましょう。
あるいは、高嶺の花、出木杉くんが、「一生懸命に勉強やダイエットに打ち込む姿を見せてくれたら、ジャイ子に惚れるかもしれない」と言ったとしましょう。
この場合、絶望でも何でもありません。
どちらかと言うと、望みあり、です。
望みありなのですから、その望みに向かって行ったら良いでしょう。
そうすれば夢が叶うのですから。
でも、この恵まれた望みありの条件でも、やらないで、絶望した「フリ」をする人が絶えないのです。
これ、わざと幼くして、のび太くんの例にしていますが、現実の大人の社会でも、この恵まれた条件でも文句を言って、やらない人が多いのです。

やらない人の言い分を簡潔にまとめて、一言で表現すると、こうです。
「自分は変わりたくない、でも欲しい」
あるいは、こうです。
「無料でくれ」
あるいは、こうです。
「駄目な自分を受け入れて、そしてあなたのものは全部ちょうだい」
とまぁ、こういうことです。
共通するのは、「自分を変える気がない」のです。
で、もらえるだけもらいたい。
社会を見ても、自分の技術が上がってないのに給料をもっとくれ、とか。
自分の容姿が下がっているのに美男美女と付き合いたい、とか。
すごいくらいに相手のことを考えない人が、自分の果てしない我欲をひたすら満たそうとしています。
1度、裸になって、自分の体をまじまじと見てみましょう。
あるいは、会社を辞めて、再就職口を探してみましょう。
たとえそうなっても、大丈夫な人だけが、何かを要求する権利があるのです。
裸になったら、誰も相手にしてくれない人に、何かを要求する権利はないのです。
それは、AKB48で、歌もヘタ、踊りもヘタ、笑顔もない娘が、自分はセンターに立ちたい、お金持ちになりたい、嵐の何々くんと付き合いたい、とか言うようなもの。
思うのは勝手だけれども、その前にやることがあるだろうと言う話です。

ですから、夢とは、まず「自分をどうしたいのか」なのです。
しずかちゃんと釣り合いたいなら、出木杉君のように。
出木杉君と釣り合いたいなら、しずかちゃんのように。
そうなるように、生きていくことです。
外のものの前に、内の自分を手に入れることです。
ケーキやラーメンを欲しがる前に、理想の体の自分を欲しがるのです。
外に構う前に、自分に構うことです。
どだい、ケーキやラーメンは無くても良い、あっても一瞬だけ良い思いをするだけですが、理想の体の自分は、生きている限り良い思いが続きます。
どっちが良いか、という話です。
1年後には何も思い出せない飲み会での刹那の快楽と、その間に勉強したしっかりした仕事の知識、どっちが良いか、という話です。
いま答えがわからなくても、半年、1年経ったらわかるでしょう。

たとえば、ダイエットなんてそうですが、
理想の自分は「自分がやりたくない」というところに居るので、
どんなに部屋にこもって、どんなに本を読んで、どんなにあれこれ考えても、
決して、正解は出てきません。
なぜなら、理想の自分は、「自分がやりたくないな」というところに居るからです。
のび太くんで言えば、避けてきた勉強とスポーツをした先に、のび太くんがなりたかったのび太くんが居るのです。
今の自分がやりたいネットや、今の自分が飲みたい酒の先には、なりたい自分は居ないのです。
でも、現在ののび太くんにしてみれば、それは信じられませんし、それ以外のことは、やりたくもないのです。
多くの人も、これと一緒です。
やりたくないことの先に、やりたいことがあるのです。
ですから、やりたくないことをしていない場合、それは単なる先送りなのです。

このブログでは、水泳やら、スケートやら、スキーやら、美術館巡りやら、結構いろいろなことをしています。
そこでの参加者さんは、「やりたくない」と思っていた人が多いのです。
でも、やってみたら、行ってみたら…。
「どうしてもっと早くやらなかったんだろう!」
という人が、続出しているのです。
その中には、スキーの才能や、水泳の才能、スケートの才能、美術の才能など、自分の中に眠っていた自分でも気が付かない自分の才能に出会って、喜んでいる人が沢山います。
勉強がてんでダメだった子が、資格試験に合格していくうちに、自分は結構できるんじゃないかと思い始めて、さらに上の資格を狙っています。
で、みんなにもこういう才能が、ザクザクと眠っているのです。
でもそれは、「やりたくない」という思いの先にあるのです。
例えが適当かは解りませんが、家の大掃除やら、引っ越しをするまでは、とても億劫だったけれども、いざやり始めて見たら、面白くなってくるような、あの感じです。
今が、どんな状態であれ、なりたい自分をイメージすることです。

「なりたい自分になるためには、何でもする!」
ちょっとの改善ではなく、ベストを狙う。
ベストを狙うからパワーが出るのです。
これから、夏本番。
夏に向けて、部屋の全て、自分の全てを模様替えしてみましょう。
「これまでで最高の自分になる」ことこそ、誰にとっても間違いなく、最高の夢だからです。

