不利なところから | プラクティス

不利なところから




行動しない人が、なぜ行動しないのか。

そこには、1つの「やっちゃいけない間違え」があります。

それを「呪縛」と言っても良いかもしれません。

その「呪いの縛り」、「呪縛」とは何でしょうか。


その「やっちゃいけない間違え」、「呪縛」とは、

「有利になったら始めよう」です。

あるいは、「不利なうちはやめておこう」です。


この考えは、「考え方そのもの」が「呪いの縛り」になります。


何故なら、どんなことでも、初めは不利なところからしか始まらないからです。

この人たちが思っていること、言っていることは、


「自分は、自転車に乗れるようになったら、自転車に乗る」


こう言っているのと変わらないのです。

完全に、頭がおかしくなってしまっています。


「自分は、あらかじめバスケが上手だったら、バスケをする」

「自分は、あらかじめギターが弾けるんだったら、演奏をする」

「自分は、あらかじめ勉強が出来るんだったら、受験をする」


要は、努力や練習は無しで、美味しいところだけもっていけるなら、やると言っている訳です。


これが、行動しない人の行動原理。

「有利になったら始めよう」、「不利なうちはやめておこう」なのです。


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泳げない人が、泳げるようになったら泳ごうとか、

勉強できない人が、頭が良くなってから勉強しようとか、

仕事ができない人が、仕事が出来るようになってから仕事しようとか、


前後関係、因果関係をまったく無視した空想をもつに至ったのは、体や脳に汗をかいてないことに起因するでしょう。

動かない人が、動かないことで、もっと動かなくなるのです。

動かないとは、体もそうですが、それに付随する脳も、動かなくなっている。

だから、前後関係、因果関係が破綻していても、当人がそれを知覚できないのです。

それは、さも、酔っている人が、自分は正常だと言い張るようなものです。


でも、泳げない人が、泳げるようになったら泳ぐとか有り得ないのです。

有り得ないので、その人は、いつまで経っても出来るようにならないのです。


同様に、仕事ができない人が、仕事が出来るようになってから仕事しようとかは有り得ないのです。

自転車に乗れない人が、自転車に乗れるようになってから自転車に乗ろうとするくらい不可能です。


でも、たったこれだけのことが自覚できない。

これはもう、「呪縛」と言っていいでしょう。


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行動しない人の行動原理は、

「有利になったら始めよう」、「不利なうちはやめておこう」です。


この理屈でいくと、自転車に乗れないうちは自転車に乗るのはやめておこう。

自転車にのれるようになったら、自転車に乗ろう。

と、こうなるのです。


まったくもって論理が破綻していますが、当人の中では、これが正しいのです。


これは学歴などとは関係ありません。

頭の良さとかではなく、むしろ子供より、頭の良いとされる大人の方が、「呪縛」にかかっています。

「呪縛」にかかると、当人の中では、たとえ論理が破綻していても、それが正しいのです。


今どき、女房は家のことだけしとけ、とか、結婚したら妻は外で働かなくてもいい、とか時代錯誤ですが、当人の中では、それが正しくて、間違っているのは周りと思い込むようなものです。


これと同レベルで、「自転車にのれるようになったら、自転車に乗る」というのは、当人の中で、正しいのです。


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「物事は不利から始まる」

しかし、世の中を冷静に客観的に、子供のような目で見るならば、ありとあらゆることは、不利から始まるのです。

たとえば、赤ちゃんは、最初から二足歩行が出来ません。

「二足歩行が出来から歩かない」

「二足歩行が出来るようになったら歩く」

そんな馬鹿なことを言う赤ちゃんは居ないのです。


でも、赤ちゃんでさえしないそういうことを、大の大人が大真面目にするのです。


赤ちゃんは、他にも、ありとあらゆることが出来ません。

他の動物に比べても、圧倒的に、不利なところからのスタートです。


でも、「有利になったら始めよう」、「不利なうちはやめておこう」とかしないのです。


まず、ハイハイをしてみる。

それが出来たら、立ってみる。

それが出来たら、歩いてみる。

その過程で、何度も、倒れたり、転んだりしますが、そのたびごとに起き上がって、ついには、走れるようにまでなるのです。


これと、他の様々なことは、まったく一緒です。

算数だったら足し算から、引き算へ行って、掛け算、割り算へ。

国語だったら、ひらがな、カタカナ、漢字、熟語へ。

英語だったら、アルファベット、単語、発音、文章へ。


どの分野にも先達者が居て、みんな不利なところから、スタートするのです。

あのホリエモンだって、身内に借金してのスタートだったのです。

楽天の三木谷だって、さんざん勉強して、留学までして、それなのに創業時には、地方の商店街を一店、一店、営業回りしていたのです。

イチローだって、練習が終わってから一人残って、何百も素振りをしていたのは有名な話です。


自我が肥大して、誇大妄想をするようになってしまうと、こういうことが見えなくなってしまうのです。

で、どこかにシード権みたいな秘密の裏口があって、そこを通ると、いきなり有利になれる、そう信じているのです。

そう信じているからこそ、「あいつは卑怯な手を使って、あの地位に登りつめた」とか平気で言うのです。

なぜ、こういう嫉妬や陰口が言えるかと言えば、当人がどこかにシード権みたいな秘密の裏口があって、そこを通ると、いきなり有利になれる、そう信じているからです。


そう信じていると、世の中は、その人の目には本当にそう見えてくるのです。


万事、この論理ですから、「そういう卑怯な手を使った奴は制裁して良い」みたいな論理を構築して、人にいちゃもんをつけるのです。

不良でも、チンピラでも、ネットにうようよしている悪質な書き込みも、この手の屁理屈が手に取れます。

さらに、誇大妄想が膨らめば、被害妄想にまで膨れ上がり、犯罪にまで至るのです。


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「やっちゃいけない間違え」、「呪いの縛り」から抜けないと、人生は、飛ぶ鳥が落ちる勢いで、悪くなってしまいます。

終いには、誇大妄想、被害妄想にまで膨れ上がり、それが正しいと信じて疑えなくなってしまうのです。


ですから「有利になったら始めよう」、

「不利なうちはやめておこう」とは、考えないことです。


何故なら、どんなものでも最初は不利から始めるのが普通、だからです。

ホリエモンでさえ、最初は、借金して、中古のパソコンで、誰も知らない零細企業からのスタートだったのです。

周りの企業に比べれば、不利も、不利、とても不利です。

でも、そこをすっとばして、「有利になってから」みたいなことは、有り得ないのです。

どんなに能力があっても、いきなり上場からのスタートとか、有り得ないのです。

最初は、誰でも不利から始めるのです。


いま、どんなに有名なパティシエでも、最初はド下手だったのです。

それを自分が料理が出来たら、ケーキを作るとか言ってたら、いつまでたっても作れるようにはならないのです。

下手でも何でも良いから、作ってみることでしか、腕は上達しないから、です。


今年も半年が過ぎました。

この半年間で、新しい何かが、身に着きましたでしょうか。

もし、身についていない場合、

「有利になったら始めよう」、

「不利なうちはやめておこう」という考えが、根付いている危険性があります。

この考え方そのものが、「呪縛」ですから、大きくならないうちに抜けましょう。

でないと、本当に、上記に挙げた人のようになってしまいます。


最初は、誰でも不利から始めるのです。

最初は、誰でも不利から始めるのです。

最初は、誰でも不利から始めるのです。

これは事実ですので、腑に落ちるまで、何度も咀嚼しましょう。


生まれながらにして、二足歩行できた人、自転車に初めて乗ってそこから転ぶことなく乗れた人、そういう人は居ないのです。

イチローでも、ホリエモンでも、実戦経験を経て、強くなっていったのです。

水泳選手だって、最初から泳げた訳ではなく、カナヅチだったのです。

努力や、練習を避けて、美味しいところだけかっさらいたいとか、実戦経験を避けて、強くなりたいとか、そういう邪(よこしま)な心が芽生えたら、その根をすぐに刈り取りましょう。

邪な心で行く道は、近道なようでゴールには絶対に辿り着かない邪道です。

邪道で一時、うまくいっても、長続きしないのは、世間の犯罪やニュースで知っているハズです。


最初は、誰でも不利から始めるのです。

最初は、誰でも不利から始めるのです。

最初は、誰でも不利から始めるのです。

これは事実ですので、腑に落ちるまで、何度も咀嚼しましょう。


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