体重計は敵か味方か | プラクティス

体重計は敵か味方か




体重計は敵か味方か。

この話は、わかる人にはわかるけど、わかんない人には何を言っているのか、さっぱり伝わらないおそれがある話です。

わからなくても、そういうものですから、気にしないでください。何度か読んでいると、そのうちわかる時が来ます。



体重計は体重計。

それ以上でも、それ以下でもありません。

でも、人間は、単なる物に対しても、敵か、味方か(好きか、嫌いか)に分けようとします。

この「体重計は敵か味方か」は、体重に興味がない人にとっては、いまいちピンと来ないと思うので、そういう人は、体重計をテストという風に置き換えると実感しやすいでしょう。


テストは、敵か、味方か(好きか、嫌いか)。

体重計は、敵か、味方か(好きか、嫌いか)。


この回答は簡単で、やらなかった人にとっては敵。サボった人にとっても敵。

やった人にとっては味方。

そう見えるのです。


体重計そのものは、まったく、なんにも、ぜんぜん、変わらなくても、見る人の脳がそう変えるのです。

見る人の脳が変える。

これは、とても重要なポイントなので、よく覚えておきましょう。


何故、これが重要かと言うと、やった人は意識して行動して認識を変えた、つまり自分で自分の脳を制御した訳です。

一方、やらなかった人にとっては、自分の意志ではなく、自分の脳の制御を自分でも出来なくなった結果、認識を変えられたのです。


たとえば、高いところにあるリンゴが食べたかった場合。

木によじのぼって、リンゴをゲットした人は、木の枝は味方になるのです。

なぜなら、木の枝につかまることで、リンゴがゲットできたから、です。

一方、木の枝に邪魔されて、リンゴがゲットできなかった場合。

木の枝を、脳は勝手に敵にしてしまうのです。


この違いがわかりますか。


ゲットできた場合は、木に敵も味方も無い。あえて言うと味方かなと自分の意志で決めています。

一方、ゲットできなかった場合は、自分の意志で決める前に、脳が勝手に敵ということにして処理してしまうのです。

あえて言うと敵かなと自分の意志で決めている訳ではないのです。

つまり、自分自身の脳の制御能力を失ってしまう訳です。


これが、自分は悪くない、相手が悪いんだという自己防衛本能の働き、なのです。


リンゴがとれないのは、自分の能力不足ではなく、木が高いのがいけないんだ、という訳です。

これって、小学生が言いそうなこと、ではありません。

大の大人が、この理屈で、相手が悪いの大合唱をしているのが、今の世の中なのです。


体重計が嫌い。

体重計は敵。

テストが嫌い。

テストは敵。


繰り返しますが、体重計に敵、味方など無いのです。単なる物ですから。

テストにも、敵、味方など無いのです。単なる紙ですから。

それなのに、一方的な見方をするのは、何かがおかしいのです。


そのおかしさのことをコンプレックスと言います。

コンプレックスとは、劣等感ですが、まっとうな劣等感ではなく、自分は悪くないという劣等感なのです。

まっとうな劣等感は、太っているのがイヤならば痩せるのです。それで終了。

自分は悪くないという劣等感は、太っているのがイヤなんだけど、そんな自分は悪くない、悪いのは体重計や人を外見で判断する周りの人である等、考える人です。


後者の人は、今の自分がイヤなのに、今の自分は悪くないという、「一体、自分はどうしたいのか」が無い人なのです。


で、今の自分がイヤという負のオーラをまき散らし、

さらに、今の自分は悪くないという負のオーラをまき散らし、

しかもその自分の内側の問題を、外のせいにして、周りに八つ当たりの負のオーラをまき散らすのです。


繰り返しますが、体重計に敵、味方など無いのです。単なる物ですから。

テストにも、敵、味方など無いのです。単なる紙ですから。


他にもそうで、健康診断書が良い、悪い、好き、嫌いとかって、おかしいのです。

健康診断書に書いてある数値は、現実の自分の状態を反映しただけです。

その数値がおかしいのではなくて、自分自身がおかしいのです。


それなのに、健康診断書の数値がおかしいと思うのは、何かがおかしいのです。


そのおかしさとは先に説明した通り、とれないリンゴは自動的に敵と見なす脳の働きなのです。

これは、オート、自動的に脳がそうしてしまうのです。

自分でよくよく考えて、リンゴが食べたかったけど枝が邪魔してリンゴがとれなかった、だからあのリンゴの枝は敵と見なそう、と自分の意志で決めた訳でもないのに、勝手に敵ということにしてくれるのです。

自分じゃない自分が勝手に自分の好きや嫌いを変えてしまう。

自分じゃない自分が勝手に自分の敵や味方を決めてしまう。

自分じゃない自分が勝手に自分の好みや思考を変えてしまう。


これって、とんでもなく怖ろしいことなのですが、

この怖さ、この恐ろしさを実感できている人は、とても少ないのが現状なのです。


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