頭の整頓には語彙が必要 | プラクティス

頭の整頓には語彙が必要

物が散らかっている場合、整理で要る物と要らない物を仕分けをして、整頓で整えます。

そこで、整頓の方法ですが、物の整頓なら、たとえば棚に順番に入れたりします。


では、物がない頭の中の整頓には、どうしたら良いでしょうか。


頭の中を整頓するためには、語彙が必要です。

語彙がないと、おもちゃ箱に全てを入れるようなもので、またぐちゃぐちゃになってしまうからです。

一方、語彙があれば、たとえば、「緊急」「重要」「資料」というように、頭の中もスッキリします。


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簿記という学問は、頭の中を整頓するのに、とても役立ちます。

簿記は、仕分けと言って、お金に必ず整頓する言葉をつけます。

それを勘定科目と言います。

この勘定科目があることで、お金の整理整頓が出来るのです。


これを人間の頭の中に、当てはめてみましょう。

一般の人がやるお金の使い方は、単式簿記と言って、勘定科目がありません。

ですから、お金の整理整頓が出来ないのです。

たとえば、1回に1万円の食事をしたとして、それが福利厚生費なのか、交際費なのか、わからないのです。

わからないままに1回に1万円の食事を見れば、高すぎますので無駄遣いしたと思ってしまいます。

しかし、その1万円の内訳が、誕生日会だとしたらどうでしょう。

そこにはしっかりした意味がありますから、1万円は高くないのです。

このように、整頓する言葉があることで、思考の流れが明確になってくるのです。


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同じことで、何度も、何度も、悩む人が居ます。

考えようとしても、考えがまとまらない。

そのうち、何が何だかわからなくなって、もう、いいやとなってしまう。

そして、同じことの繰り返し。

自己嫌悪。


こういうことで、スピリチュアルとか、占いとか、自分の世界とか、あるいはコミュニケーションのセミナーとか、明後日の方向へ行ってしまう人が増えています。

それも、めちゃくちゃ多く増えています。

個人が気軽にブログで情報発信が出来るようになって、そういうものに気軽にアクセスできるようになった結果、明後日の方向へ行く人が増えているのです。


でも、よく考えてみてください。

頭の中に勘定科目(仕分けする語彙)がない人が、それらをしたから思考がまとまるでしょうか。

確かに、部屋の整理や、トイレ掃除などをすれば、頭がすっきりしたように感じるでしょう。

でも、だからと言って、思考が整理された訳ではないのです。


思考の整理のためには、それに適切な語彙が必要なのです。


こうやって聞けば、「そりゃそうだ」と思いませんか。

コンピューターだって、フォルダに名前をつけて、その中にファイルを入れるから整理が出来るのです。

それなのに、そのフォルダの名前が「フォルダ1」、「フォルダ2」、「フォルダ3」とかだったら、いざ何かをしようとする時に、何が何だかわからなくなってしまうのは、当然なのです。

その時に、もうイイヤと、ネットでゲームしたり、占いの運勢を見たり、スピリチュアルな読書にふけったり、感動的な映画を観たりして、心が洗われた(頭がスッキリした)ように感じても、それは…、なのです。


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これは、単なるブログの1ページで、ほとんどの人が、さらっと流してしまうしょう。

でも、書いてあることの重みは、かなりあることです。


なぜなら、これを知らないと無限ループから抜け出す手がかりさえ無いからです。


もっと言えば、自分で考えることすら出来ない自分になってしまう、からです。


たとえば、家計が苦しいとしましょう。

その時に、家計簿を付けずに、ネットをしたり、メールしたり、携帯かけたり、小説みたり、掃除をしたりして、心が洗われた(頭がスッキリした)ように感じて、そんな日々から抜け出せない人は、いくらでも居ます。

すると、住めば都で、いつの間にか、こういう自分こそが自分であるという風になってしまうのです。

そしたら、この人は、死ぬまでず~っと同じことで頭を悩ますのです。

なぜなら自分はそういう自分で、変わることはないと宣言してしまっているからです。

変わることがないのなら、死ぬまでず~っと同じことで頭を悩ますということです。

そして、悪化すると、それを無くすための安易な妄想をかきたてます。

お金持ちと結婚すれば…とか、宝くじが当たれば…とか、ネットで一攫千金すれば…とか、妄想しだすのです。

単に、語彙が足りないだけの話だったのに、人生がとんでもなく悪い方向へ行ってしまうのです。

こうなってしまった当人は自覚していませんが、当人は、自分で考えることすら出来ない自分になっているのです。


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