わかるということ | プラクティス

わかるということ



英語で、「わかった」のことは、「I SEE」と言います。

「I SEE」とは、文字通り、「私は 見た」と言うことです。


一方、日本語の「わかった」は、一体、どうなってしまったのでしょう。

「I SEE」でも、「I GOT IT」でもなく、適当に使われています。

「わかった」が、単なる相槌(あいづち)のように、あるいは、感情を表す感嘆詞みたいに、使われています。

親が叱る時に「わかった!?」とか、試験問題の解答をひらめいた時に「わかった!」とか。

でもそれって、「I SEE」では無いでしょう。

仮に、公園の隣が道路で、外に飛び出すと危ないのを親が子供にわからせたい場合は、交通安全のビデオを見せて、人形が轢かれるところを見せれば良いのです。

そうすれば、嫌でも子供は「わかる」=「I SEE」のです。

口で言っても聞かないって、そんなのは当たり前です。見えないのですから。

たとえばタバコも、健康診断の時に、肺の色を見せてあげればいいのです。まっくろですから。

その方が、口で言うよりも、よっぽど効果があります。


試験問題の解答をひらめいた時の「わかった!」も同様です。

こう言う人は、「わかった!」つもりになっているのです。

そして、往々にしてその答えが間違っていたりするのです。

その場合、何が「わかった!」だったのでしょう。

本当に正解を知っている場合は、たんたんと答えを書くのです。

思い出せない場合は、「思い出した!」なのです。

すぐ「わかった!」と言う人は、早合点、早とちり、よく確認しないことが多いのです。


日本人の活字離れは飛ぶ鳥が落ちる勢いで加速しています。

パソコンにしても、携帯にしても、みんなマニュアルを読まないのではなく、読めなくなってきています。

活字だらけの文章を読む力がないのです。

活字を読む力が衰えているとは、ダイレクトに頭が悪くなってきている、ということです。


それだけではなく、活字を読むには、根気や、落ち着き、集中力を要します。

つまり、根気や、落ち着き、集中力も衰えているのです。


ツィッターやブログや、小説などは娯楽には役立ちますが、根気や、落ち着き、集中力に関して言えば、やはり衰えてしまうのです。

たとえば、そういうものに慣れてしまうと、いつの間にか、教科書が読めなくなってしまうのです。

教科書が読めなくなる方向に頭が変わってしまうのなら、知識を得て頭が良くなっているようでも、その実、IQは下がっているということです。


みんなすぐ「わかった」と言います。

わたしなんか、わかんないことばかり、です。

ですから、同じ本を何度も読みます。

みんなは1回だけ、です。

どうも、1度読んで「わかった」みたいです。


でも、よく考えてみてください。

教科書を1回読んで、「わかった」と本当に言える人は、どれだけ居るでしょうか。


もし、それが本当なら、テストで毎回100点になっているハズです。

わかっているのですから。


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・補足

この記事を読んで、自分はわかったのではなく、知っただけと勘違いする人のために、補足を書きます。

仮に、知った状態なら、歴史のテストは100点になるハズです。なぜなら知っているから、です。

でも、誰も、そうはなってない。

ですから、本を1度読んだくらいじゃ、まだ知った状態にさえ、なっていないのです。

1度読んだくらいでは、見たことがあるレベルです。

街で一度、見たことがある人と、普段、よく見て知っている人との間には、同じ知っているでも、大きな差があるのです。


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・知るを理解したい人 ちゃんと学びたい人へ

知るを理解したい人は、まずこれを読みましょう。

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

¥518
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この本は何百年も朽ちずに残っている古典の名作ですから、そこらの勉強法や自己啓発と違って、間違いがありません。

そこらの勉強法や自己啓発の本は、100年後に誰も読んでないと思いますが、『ソクラテスの弁明』は、100年後の人も読んでいるでしょう。それだけ内容が濃くて、流行じゃない、本当のことが書かれているということです。

この本を1度読んで「わかった」つもりにならず、何度も読むことで、いつの間にか知るということがわかってくるでしょう。