幻想というメガネで
心の病や、精神病は、外傷が無いので、当人も気が付きにくいものです。
でも、これは確実に病んでいるというポイントがいくつかあります。
初期の初期なら、自分で自覚して自力でなおすことも可能ですので、チェックしてみましょう。
まず危ないのが、「この世に完璧なものがある」とイメージもないのに信じている系です。
それは、「この世にウンコもゲップもオナラもしないアイドルが居る」と信じるくらい危険な発想です。
このブログでは、「アイドルも人間なんだからそれくらいするのがふつう」というスタンスなのですが、そう言うと、「お前、何様のつもりだ」みたいになる人も居るのです。
その人の中では、アイドルは神聖だからそういう汚らしいこととは無縁だと信じたい気持ちがあるのです。
でも、果たして、その人は、本当にそのアイドルが人間として好きなのでしょうか。
ただ、自分の中に作り上げた妄想を愛しているだけではないでしょうか。
完璧なもの。それを者じゃなくて物としても一緒で、たとえば、完璧な料理なる万人に好まれるような料理なんて作れっこないのです。
そういう料理は、この世に存在しません。
三ツ星のフレンチでも、人によっては口に合いませんし、インスタントラーメンが最高と言う人も中には居るのです。
で、たとえば、このブログがイタリアンだとして、それが味わった人の口に合わなくても、だからと言ってイタリアンが最悪なのではなく、マズイという奴が悪い訳でもないのです。
お店も、アイドルも、その人、一人のために生きている訳ではないのです。
ですから、その人の好みに合わせる義理も必要も無いのです。
なのに、なぜこういう思考になるかは、簡単です。
頭で考えてばかりで、体を動かしてないから、です。
頭で考えると「完璧な料理」も「完璧なアイドル」も居る気がするのです。
想念の中でなら、それはあるような気がするのです。
で、それのイメージをどんどん膨らましていくと、現実に居るハズだということになり、さらに膨らますと、現実に居ないならこんな世界なんてぶっ壊してやる、と、こうなるのです。
最近、ニュースなどでも多いですよね、こういうの。
体を動かさず、頭でっかちになると、心も体も病んでしまうのです。
先日、「虫が嫌いだから、この世から消えて欲しい」とかキレている女性を街で見ました。
なんか、何かの虫が服についたみたいでした。
で、この時。「虫が嫌い」までは良いのです。でも、その後の「この世から消えて欲しい」という破壊の衝動が怖ろしいのです。
何故なら、そういう言葉を日ごろから口にすると、いつの間にか人間にも使うようになるから、です。
「子供が嫌いだから消えて欲しい」という体の大きな年取った子供は、冗談じゃなくリアルに居ます。
言うまでもなく、虫が居なかったら、この世は絶滅してしまいます。
逆に言うと、虫が居たからこそ、人間はここまで豊かな暮らしが出来るようになったのです。
何が言いたいのかと言うと、虫が居るのが自然だ、ということです。
それを人間の頭で作り出した「虫の居ない天国」が正しいと信じて、そうじゃないこの世は最悪だみたいな発想は、恐ろしいことなのです。
それは、アイドルはウンコすんな、したら殺す、とか言うのと一緒です。
アイドルがウンコするなんて、幻滅した、裏切られた、騙されたとか言うのも同様です。
自然を否定して、頭の中の想念の自然(現実の不自然)を肯定して、自然にその不自然を強要するのはおかしいことなのに、おかしいどころか正しいと思い始めるのです。
部活でも、学校でも、会社でも、先に諸先輩方が大勢いるのです。
で、わがまま言う奴は、後から入ってきたのです。
なのに突然、「自分の思い通りに周りが動かないのはおかしい」とか言い出したら、頭がおかしい人でしょう。
何で、後から入ってきた1人のために、前から居た何十人が従わなければいけないのでしょう。
民主主義の多数決でもないし、そいつが金を払っている訳でもないのに、周りからすると何故、という話なのです。
で、その何故の理由は、その人の中には「こうあるべき」みたいな「虫の居ない天国」みたいなのがあって、それが真で、そうでないココは間違っている、という理屈なのです。
独善を通り越して、不自然です。
実際の社会では、あんた馬鹿じゃないの、と言われてお終いですが、思考回路を丁寧に解説すると、こういう訳です。
温室で育てられ、過保護に甘えて育ったので、周りが親か何かと勘違いしたままなのです。
いくらその人が、「フレンチは最高だ!」と言ったところで、周りはイタリアンだったり、寿司が食べたかったりするのです。
それを「フレンチがわからないなんて最低だ、消えちまえ」みたいな人が多いのです。
こういうのが多くなったのは、頭で考えてばかりで、体を動かしてないから、です。
体を動かせば、そもそもの歪な食の煩悩は、薄れるのです。
簡単に言うと食べ物なら何でも美味しく感じられるようになるのです。
アイドルの幻想などもそうで、生身の人間とスポーツしたりすれば、歪な妄想は、薄れるのです。
幻ではなく、人間が好きになるのです。
現代は、幻を愛している人が、本当に多い。
でも当人は気が付いていなのです。
アイドルが好きだからこそ汚れて欲しくないと本気で思っています。
でも、ウンコをするのは自然ですし、別にそれが汚れでもないのです。恋愛だってするでしょう、人間なのですから。
でも、現実は受け入れたくない、自分の幻の方が本当だと思い込むのが、心の病、精神病なのです。
(思春期の一時は、誰でもそんなものなので、ここで言っているのは大人になっても幻を追っているのは病気だってことです)
このブログは、人々の幻想を満たすためにやっているのではありません。
むしろ逆です。
あなたが現実的に幸せになればそれで良いのです。
他のブログの方が役に立って、現実に幸せになるなら、むしろそっちを選んでくださいというスタンスです。
その人には、そっちの方が口に合うのでしょう。
現実的に、万人に合う料理なんてありません。
想念で考えるといかにもありそうなのですが、現実的にはありません。
無いものは作れません。
三ツ星のフレンチでも、イマイチという人が居ます。
流行っているイタリアンでも、イマイチという人が居ます。
おそらくそういう人は、日本食の方が口に合うのでしょう。
だったら、他店の日本食を食べてもらった方が、お互いハッピーなのです。
あなたが現実的に幸せになればそれで良いのです。

でも、これは確実に病んでいるというポイントがいくつかあります。
初期の初期なら、自分で自覚して自力でなおすことも可能ですので、チェックしてみましょう。
まず危ないのが、「この世に完璧なものがある」とイメージもないのに信じている系です。
それは、「この世にウンコもゲップもオナラもしないアイドルが居る」と信じるくらい危険な発想です。
このブログでは、「アイドルも人間なんだからそれくらいするのがふつう」というスタンスなのですが、そう言うと、「お前、何様のつもりだ」みたいになる人も居るのです。
その人の中では、アイドルは神聖だからそういう汚らしいこととは無縁だと信じたい気持ちがあるのです。
でも、果たして、その人は、本当にそのアイドルが人間として好きなのでしょうか。
ただ、自分の中に作り上げた妄想を愛しているだけではないでしょうか。
完璧なもの。それを者じゃなくて物としても一緒で、たとえば、完璧な料理なる万人に好まれるような料理なんて作れっこないのです。
そういう料理は、この世に存在しません。
三ツ星のフレンチでも、人によっては口に合いませんし、インスタントラーメンが最高と言う人も中には居るのです。
で、たとえば、このブログがイタリアンだとして、それが味わった人の口に合わなくても、だからと言ってイタリアンが最悪なのではなく、マズイという奴が悪い訳でもないのです。
お店も、アイドルも、その人、一人のために生きている訳ではないのです。
ですから、その人の好みに合わせる義理も必要も無いのです。
なのに、なぜこういう思考になるかは、簡単です。
頭で考えてばかりで、体を動かしてないから、です。
頭で考えると「完璧な料理」も「完璧なアイドル」も居る気がするのです。
想念の中でなら、それはあるような気がするのです。
で、それのイメージをどんどん膨らましていくと、現実に居るハズだということになり、さらに膨らますと、現実に居ないならこんな世界なんてぶっ壊してやる、と、こうなるのです。
最近、ニュースなどでも多いですよね、こういうの。
体を動かさず、頭でっかちになると、心も体も病んでしまうのです。
先日、「虫が嫌いだから、この世から消えて欲しい」とかキレている女性を街で見ました。
なんか、何かの虫が服についたみたいでした。
で、この時。「虫が嫌い」までは良いのです。でも、その後の「この世から消えて欲しい」という破壊の衝動が怖ろしいのです。
何故なら、そういう言葉を日ごろから口にすると、いつの間にか人間にも使うようになるから、です。
「子供が嫌いだから消えて欲しい」という体の大きな年取った子供は、冗談じゃなくリアルに居ます。
言うまでもなく、虫が居なかったら、この世は絶滅してしまいます。
逆に言うと、虫が居たからこそ、人間はここまで豊かな暮らしが出来るようになったのです。
何が言いたいのかと言うと、虫が居るのが自然だ、ということです。
それを人間の頭で作り出した「虫の居ない天国」が正しいと信じて、そうじゃないこの世は最悪だみたいな発想は、恐ろしいことなのです。
それは、アイドルはウンコすんな、したら殺す、とか言うのと一緒です。
アイドルがウンコするなんて、幻滅した、裏切られた、騙されたとか言うのも同様です。
自然を否定して、頭の中の想念の自然(現実の不自然)を肯定して、自然にその不自然を強要するのはおかしいことなのに、おかしいどころか正しいと思い始めるのです。
部活でも、学校でも、会社でも、先に諸先輩方が大勢いるのです。
で、わがまま言う奴は、後から入ってきたのです。
なのに突然、「自分の思い通りに周りが動かないのはおかしい」とか言い出したら、頭がおかしい人でしょう。
何で、後から入ってきた1人のために、前から居た何十人が従わなければいけないのでしょう。
民主主義の多数決でもないし、そいつが金を払っている訳でもないのに、周りからすると何故、という話なのです。
で、その何故の理由は、その人の中には「こうあるべき」みたいな「虫の居ない天国」みたいなのがあって、それが真で、そうでないココは間違っている、という理屈なのです。
独善を通り越して、不自然です。
実際の社会では、あんた馬鹿じゃないの、と言われてお終いですが、思考回路を丁寧に解説すると、こういう訳です。
温室で育てられ、過保護に甘えて育ったので、周りが親か何かと勘違いしたままなのです。
いくらその人が、「フレンチは最高だ!」と言ったところで、周りはイタリアンだったり、寿司が食べたかったりするのです。
それを「フレンチがわからないなんて最低だ、消えちまえ」みたいな人が多いのです。
こういうのが多くなったのは、頭で考えてばかりで、体を動かしてないから、です。
体を動かせば、そもそもの歪な食の煩悩は、薄れるのです。
簡単に言うと食べ物なら何でも美味しく感じられるようになるのです。
アイドルの幻想などもそうで、生身の人間とスポーツしたりすれば、歪な妄想は、薄れるのです。
幻ではなく、人間が好きになるのです。
現代は、幻を愛している人が、本当に多い。
でも当人は気が付いていなのです。
アイドルが好きだからこそ汚れて欲しくないと本気で思っています。
でも、ウンコをするのは自然ですし、別にそれが汚れでもないのです。恋愛だってするでしょう、人間なのですから。
でも、現実は受け入れたくない、自分の幻の方が本当だと思い込むのが、心の病、精神病なのです。
(思春期の一時は、誰でもそんなものなので、ここで言っているのは大人になっても幻を追っているのは病気だってことです)
このブログは、人々の幻想を満たすためにやっているのではありません。
むしろ逆です。
あなたが現実的に幸せになればそれで良いのです。
他のブログの方が役に立って、現実に幸せになるなら、むしろそっちを選んでくださいというスタンスです。
その人には、そっちの方が口に合うのでしょう。
現実的に、万人に合う料理なんてありません。
想念で考えるといかにもありそうなのですが、現実的にはありません。
無いものは作れません。
三ツ星のフレンチでも、イマイチという人が居ます。
流行っているイタリアンでも、イマイチという人が居ます。
おそらくそういう人は、日本食の方が口に合うのでしょう。
だったら、他店の日本食を食べてもらった方が、お互いハッピーなのです。
あなたが現実的に幸せになればそれで良いのです。
