機が熟す | プラクティス

機が熟す

「機が熟す」とは、ある機会に、ちょうどよい頃合いになることです。

果物で言うと、実が熟して、収穫の時となります。

人間で言うと、勉強して、合格できそうになったら試験を受けるという訳です。


「機」は、「機会」の「機」ですから、英語で言えば「チャンス」です。

「チャンス」は、ありとあらゆるところにありますが、それを掴めるかどうかは、「機が熟しているか」にかかっています。

よく、「出会いがない」「チャンスが訪れない」みたいなことを言う人が居ますが、往々にしてそれらは、「機会」の問題ではなく、「熟してない」方の問題なのです。


モテない人のところに、どれだけの「チャンス」が訪れたところで、「機が熟す」がなってなければ、失敗体験を積むだけです。

これは、勉強してない人が、受験に落ちまくるようなもの。

仮に、自分が慶応大学が大好きだとして、慶応大学を受験しまくっても、「機が熟す」がなければ、振られまくるのです。


あなただって、まだ青いままの果物や、腐った果物は、買わないのです。いくら安くても。

それと同じように、自分が熟してからでないと、相手も受け入れないのです。


熟すというと、TVがさかんに熟女みたいな馬鹿宣伝をしたせいで、年をとることみたいに勘違いするかもしれませんが、年をとって慶応大学に入れたら世話有りません。

TVの手法は、熟女はもてはやされるという幻想を植え付けて、その幻想を信じる信者に、化粧品やら健康食品やらを売りつけるのですが、ちょっと冷静に考えてみましょう。

それって、本当でしょうか。

仮に、あなたが若作りすることで、5歳若く見られるようになったとしましょう。

その時に、あなたは5年後の未来から今にタイムスリップしてきたと想像してみてください。

5年後はもっと老けているけど、魔法の力で、5年前の容姿に戻った。それが今です。

若いと何か良さそうな気がする、その若くなったのが、まさに今です。

さて、何か変わりましたか。

仮に、若くなっても、今ぐらいの待遇なのです。

今の待遇を覚えておいて、5年後に若作りしたくなった時に、思い出しましょう。


熟すというのは、円熟などに使われる熟すです。

それは、たとえばピアノ、バレエ、日本舞踊、空手、剣道、その他のスポーツや、勉強などの円熟です。

仮に、今からこれらを始めたとしても、5年後には結構なところまで行っているのです。

今どれだけ下手でも、5年後には結構なところまで行っています。

それが、熟すです。

仮に、熟女なるものがあるとすれば、こういうのが熟女です。

若作りに5年間、躍起になるのと、日本舞踊に5年間、躍起になるのと、どちらが良いかは言わずもがなでしょう。

もし、この質問が難しければ、若作りに50歳から50年間つかった人の一生は、一体、なんだったのかを考えれば、わかります。

同じ50年を日本舞踊に使っていれば、大成もしたでしょうに。

TVがこしらえた熟女の幻想にまんまと乗っけられると、化粧品会社の良いお客さんにはなりますが、人生がおかしな方向へ行ってしまうのです。


仮に、お金が欲しいというのも、金メダルが欲しいみたいな話ですから、「機が熟す」になれば、手に入ります。

逆に、どんなに好待遇な求人があっても、その必要条件を満たしてなければ、チャンスは掴めないのです。

日本舞踊の発表会があっても、慶応大学の受験日があっても、美男美女との合コンがあっても、「機が熟す」になってなければ、チャンスを掴めませんし、前向きにアタックしても、当たって砕けるだけ、です。


つまり、自分自身が、チャンスがどうこうとか、相手がどうこうというレベルに達してないのです。

すると、多くの人は、高いところにある果物は(とれないから)マズイんだ、みたいなことを思い始めるのです。

そうやって、自己欺瞞することで自らを慰めるのですが、そんなことをする前に、やることがあるだろう、という話です。

慶應大学なんて大したことないとか言う人は、学歴にコンプレックスがあって、本当は入りたいけど入れないから僻んでいるだけですから、入れば良いのです。

「機が熟す」ことをすれば、誰でも入れます。

アイドルにあーだこーだ言う人も一緒です。要はモテたいんでしょう。その思いをそのままモテるようにすることに使えば良いのです。

「機が熟す」ことをすれば、モテるのです。

それだけです。

それだけのことを複雑にごちゃごちゃ考えるから、精神が病んで、他人を僻んで、良いことがなくて、チャンスもない、みたいな話になります。

そうではなく、チャンスはあるのです。そこら中に転がっています。

ただチャンスを掴む自分自身の力が無いだけ。

それはチャンスがないとは、まったく違うのです。


チャンスが無いことにしようとする自己防衛本能は、チャンスがない自分を守ってはくれますが、その殻の中に居たら、一生、チャンスがないままになってしまいます。

それって、受験生で言うと、慶応大学の受験日は無いと言い張るようなものです。

まぁ、その人にとってはある意味、無いのでしょうが、現実にはあるのです。

ただ今の自分の力では合格しないので、無いことにしたいのです。


その心の奥底には、のび太くんのような怠け心が渦巻いているのです。


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のび太くんを反面教師にしましょう。

のび太くんは、やりもしない最初から諦めています。

あなたにも、そういうものはありませんか。

自動車だって50時間はやらないと運転できません。3時間くらいやって出来ないとか放り投げたら、誰でも運転できないのです。

そして、50時間もやれば、ほとんどの人は運転できるのです。


ですから、どんなことでも、1日や2日で何とかしたいという怠け心を追い払うことです。


現実にはそれで出来た人は誰も居ないのですから、「1日や2日で何とかしたい」と思う心の方が、病んでいるのです。

モテたい、お金が欲しい、痩せたいとかもそうで、「1日や2日で何とかしたい」と思う心の方が、病んでいるのです。


あるいは強烈なモチベーションが欲しいと思うのも、「1日や2日で何とかしたい」という怠け心の一形態です。

実際、プロの世界のモチベーションは、まったく逆です。

強烈なモチベーションが欲しいと思うのはマンガの見すぎです。

プロの世界のモチベーションは、歯みがきをするような感じで、毎日やっているのです。

歯みがきを強烈なモチベーションでやる人は居ないでしょう。

それと一緒です。

自分の勝手で、「強烈なモチベーションがあれば出来る」とか決めつけないことです。

それも、やらないための先送り、後回しのよくある言い訳の1つです。

やる人は、そういうモチベーションでやってません。

歯みがきをするような感じで、毎日やっているのです。


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あなたの願望がどんなものであれ、まず「機が熟す」ことが必要です。

スポーツなら練習、受験なら勉強、仕事なら練習と勉強です。

まず、熟してないことには、代打のチャンスが回ってきても、定員割れで再受験のチャンスが回ってきても、大きな仕事が回ってきても、美男美女の合コンに誘われても、そのチャンスをものに出来ないからです。

逆に言うと、「機が熟してない」人にどんなチャンスが回ってきても不幸な結果に終わるということです。

で、そういう人が不幸を嘆き、その不幸を人のせいにして、「機が熟す」ことを避けると、無限ループにハマるという訳です。


自分の力が未熟だから、ということに気が付かないと一生、不幸のループから抜け出せないのですから、このことは、とりわけ重要です。


よって、あなたの願望がどんなものであれ、まず「未熟をなんとかする」ことが必要です。

未熟をなんとかしようとしないと、何も始まらないから、です。

何も始まりません。ほんと、何も始まりません。

受験生が、勉強しなかったら。

部活の子が、練習しなかったら。

夢を見て、何もしなかったら。


何か始まってますか。

何が始まってますか。


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