冷めた体ロックで解凍できるかな
たとえば、読書1つに絞っても、冷たい人の読書と、温かい人の読書があります。
冷たい人の読書する本は、感動的で、面白く、熱い言葉や、友情やら愛やらに溢れています。
これって、当人が気が付くことは一生ないと思いますが、傍からみると、それって現実が逆だから、求めてしまうと思いませんか。
あたかも、寒い日に、温かいコーンポタージュを求めるように。
たとえば、恋愛でアツアツな時に、わざわざ恋愛ものを読もうとするでしょうか。
友情で感動的に生きている時に、わざわざ感動ものを読もうとするでしょうか。
…しませんよね。
逆に、求めてしまうというのは、どういう時でしょう。
…わかりますよね。
自分が、あるいは自分の人生が冷たい時です。
面白いことを求める人は、間違いなく、現実に面白いことが無いのです。
現実がメチャクチャ面白い人が、何となくTVをつけて、何か面白い番組がやってないかなとは、思わないのです。

で、昔のように、寒い日に、温かいコーンポタージュを求めるなら良いのです。
何故なら、現実に自分が温かくなるからです。
でも、現代のように、自分が冷たい時に、温かみを仮想世界に求めるとどうなるでしょう。
そう、2次元オタクや、マッチ売りの少女みたいになってしまうのです。
で、なっちゃった人は空想の世界へと行っちゃってますから、この声は届きませんが、行っちゃった人でも、本当はそうはなりたくなかったのです。
本当は違うのです。本当は。
でも、当人は、これを求めていたんだとか言うのです。
マッチ売りの少女が、幸せな空想から目覚めないようなものです。

現実的に、具体的に考えましょう。
マッチ売りの少女が、本当に欲しかったのは、空想ではなく暖かい家だったハズです。
でも、マッチ売りの少女の場合は、まだ小さく、ネットもなく、現実逃避するしか他に道はありませんでした。
しかし、現代人は、それはもう、ありとあらゆる好条件が揃っています。
でも何故か、その好条件を使って、現実逃避に活用しているのです。
恋がしたい人が、現実ではなく、空想世界にそれを求めるようになったのです。
友情でもそうですし、愛でもそうですし、感動的でもそうでしょう。
まるで、映画館のスクリーンを見て涙するように、あくまでも他人事として鑑賞するのです。
これって、冷たいですよ。
冷たいって、自分が自分自身に、です。
本質的な話で言えば、マッチ売りの少女とやっていることが変わらないから、です。
恋は盲目になってしまった人は認めませんが、その人の人生は、カヲルくんとか、綾波レイが最高とか言うために生まれてきたのではありません。
そういう二次元コンテンツは腐らずにいつまでもあるのですから、老後の死ぬ前の楽しみにとっておけば、それで良いでしょう。
それより、それは現実に求めた願望だったことに、気が付くことです。
マッチ売りの少女の場合は、それが無理だから空想に走ったのです。
でも、現代人は、それが出来るのに、空想に走っているのです。
それって、すぐそこに暖かいコンビニがあるのに、行ける訳がないと最初から諦めて、寒い中で空想にふけるようなものです。
自分が自分自身に冷たいって、そういうことです。

マッチ売りの少女が、幸せな空想から目覚めないのは、目覚めない間は幸せです。
でも、いつかは醒めてしまうのです。
たとえば、ジャニーズのおっかけをしていた仲間が、次々と彼を作って、どんどん結婚していったら、どうでしょう。
あるいは、アイドルやらアニメのおっかけをしていた仲間が、次々と彼女を作って、その彼女が可愛かったらどうでしょう。
それでも目が覚めずにいられる人は、ものすごい稀ではないでしょうか。
その時に、自分は裸の王様なことに気が付いちゃったりするのです。
でも、自分自身を裸の王様にしたのは、他でもない自分自身なのです。
自分が自分自身に冷たいって、そういうことです。

冷たい人の読書する本は、感動的で、面白く、熱い言葉や、友情やら愛やらに溢れています。
これって、当人が気が付くことは一生ないと思いますが、傍からみると、それって現実が逆だから、求めてしまうと思いませんか。
あたかも、寒い日に、温かいコーンポタージュを求めるように。
たとえば、恋愛でアツアツな時に、わざわざ恋愛ものを読もうとするでしょうか。
友情で感動的に生きている時に、わざわざ感動ものを読もうとするでしょうか。
…しませんよね。
逆に、求めてしまうというのは、どういう時でしょう。
…わかりますよね。
自分が、あるいは自分の人生が冷たい時です。
面白いことを求める人は、間違いなく、現実に面白いことが無いのです。
現実がメチャクチャ面白い人が、何となくTVをつけて、何か面白い番組がやってないかなとは、思わないのです。

で、昔のように、寒い日に、温かいコーンポタージュを求めるなら良いのです。
何故なら、現実に自分が温かくなるからです。
でも、現代のように、自分が冷たい時に、温かみを仮想世界に求めるとどうなるでしょう。
そう、2次元オタクや、マッチ売りの少女みたいになってしまうのです。
で、なっちゃった人は空想の世界へと行っちゃってますから、この声は届きませんが、行っちゃった人でも、本当はそうはなりたくなかったのです。
本当は違うのです。本当は。
でも、当人は、これを求めていたんだとか言うのです。
マッチ売りの少女が、幸せな空想から目覚めないようなものです。

現実的に、具体的に考えましょう。
マッチ売りの少女が、本当に欲しかったのは、空想ではなく暖かい家だったハズです。
でも、マッチ売りの少女の場合は、まだ小さく、ネットもなく、現実逃避するしか他に道はありませんでした。
しかし、現代人は、それはもう、ありとあらゆる好条件が揃っています。
でも何故か、その好条件を使って、現実逃避に活用しているのです。
恋がしたい人が、現実ではなく、空想世界にそれを求めるようになったのです。
友情でもそうですし、愛でもそうですし、感動的でもそうでしょう。
まるで、映画館のスクリーンを見て涙するように、あくまでも他人事として鑑賞するのです。
これって、冷たいですよ。
冷たいって、自分が自分自身に、です。
本質的な話で言えば、マッチ売りの少女とやっていることが変わらないから、です。
恋は盲目になってしまった人は認めませんが、その人の人生は、カヲルくんとか、綾波レイが最高とか言うために生まれてきたのではありません。
そういう二次元コンテンツは腐らずにいつまでもあるのですから、老後の死ぬ前の楽しみにとっておけば、それで良いでしょう。
それより、それは現実に求めた願望だったことに、気が付くことです。
マッチ売りの少女の場合は、それが無理だから空想に走ったのです。
でも、現代人は、それが出来るのに、空想に走っているのです。
それって、すぐそこに暖かいコンビニがあるのに、行ける訳がないと最初から諦めて、寒い中で空想にふけるようなものです。
自分が自分自身に冷たいって、そういうことです。

マッチ売りの少女が、幸せな空想から目覚めないのは、目覚めない間は幸せです。
でも、いつかは醒めてしまうのです。
たとえば、ジャニーズのおっかけをしていた仲間が、次々と彼を作って、どんどん結婚していったら、どうでしょう。
あるいは、アイドルやらアニメのおっかけをしていた仲間が、次々と彼女を作って、その彼女が可愛かったらどうでしょう。
それでも目が覚めずにいられる人は、ものすごい稀ではないでしょうか。
その時に、自分は裸の王様なことに気が付いちゃったりするのです。
でも、自分自身を裸の王様にしたのは、他でもない自分自身なのです。
自分が自分自身に冷たいって、そういうことです。
