隣の芝は青い
隣の芝は青い。

隣の芝は青いと強く憧れる人が、隣の芝に行ったら、こうなる。

上は、かなり極端な例だとしても、ほぼ確実に散らかる。
すぐ物とかを置いてしまって、綺麗な状態を維持できない。
なぜなら、散らかすような人だから、強く憧れるからだ。

このことは、本当に、伝わらない。
一瞬、伝わっても、すぐ忘れ去られてしまう。
夢が、隣の芝は青いになっている人は、とっても多いのだけれども、もしそれが叶ったら当の本人が、それをぶち壊してしまうのだ。

部屋で言うなら、万が一、上の部屋を手に入れても、1年も経たずに、物だらけ、ほこりだらけにしてしまう。
で、また隣の芝は青いを繰り返すのだ。
なぜなら、散らかすような人だから、憧れるからだ。
夢を壊しているのは誰かという自覚が無い。
終いには、お手伝いさんが欲しいとか言い出して、もっとお金があればお手伝いさんを雇えるのにとか言い出す。
この類の例は、本当に多い。

夢が、隣の芝は青いになっていないかのチェックは、とても重要だ。
なぜ重要かと言えば、その可能性の方が遥かに高いから、だ。
仮に、広くてきれいなお部屋に憧れる人は、いま現時点に住んでいる部屋が、そうなっていないと、おかしいのだ。
いま現在、住んでいる部屋を綺麗にするのが「夢」で、いま居るところは掃除しないで、隣の芝に憧れるのが「怠け」だ。
花嫁なら、素敵な奥さんになるのに今いるところをピカピカにするのが「夢」で、いま居るところは掃除しないで、豪邸に憧れるのが「怠け」だ。
「豪邸だったら掃除する気も出てくる」とか、住んだこともないのに口だけで言う人が居るが、小さい部屋をピカピカに出来ない人が、大きい部屋はもっと出来ない。
さらにそういう人は、余計な物を買ってしまう悪癖があるので、数年も経たないうちに、物だらけ、埃だらけにしてしまうのだ。
でも何故か、そうなったのは自分のせいではないとか、平気で言う。
で、隣の芝は青いに憧れるのだけれども、それは夢でも何でも無い。
ただの「怠け」だ。

で、部屋だったらまだ目に見えるから良い。
これが、仕事だったら、どうだろうか。
年収の高いピカピカなポジションを、そういう人に与えると、どうなるか。
そう、時間とお金をかけて、ボロボロの汚部屋の状態にしてくれるのである。
ただ、当人にその自覚がない。
で、当人は周りのせいにする。
周りの社員が使えないとか、商品が悪いとか、忙しい、とか。
汚部屋にしてしまう人が使うような言い訳を、ずら~っと並べるのだ。
誰がそうしたのか(=当人)、という自覚が無い。
何をしたのか(=余計なことをして複雑にした)、という自覚が無い。
やることは目の前にある(=整理整頓)のに、見えてない。
で、外に何か良いことがないかなと、隣の青い芝を探す。
これは、夢ではなくて、現実逃避だ。
仮に、自分が部屋だったり、仕事だったりを汚部屋の状態にしてしまう人だったら、どんなラッキーがあっても、活かせないし、チャンスを殺してしまうのだ。
この不況の折、知人の紹介で運よく就職できても、仕事を汚部屋の状態にしてしまう人は、周りに多大なる迷惑を与えて、知人の顔に泥を塗って、終わることになってしまう。
あるいは、知人の紹介で運よく結婚できても、家事なんかしたくないと、どんどん汚部屋にしていく人は、長くは続かなくて、結局、周りに多大なる迷惑を与えて、知人の顔に泥を塗って、終わることになってしまうのだ。
で、外に何か良いことがないかなと、隣の青い芝を探す。
このように、どんなに幸運があっても、ラッキーがあっても、チャンスがあっても、それを自らの手で、ぶち壊してしまうのである。

世界有数のバイオリンは、1つで何千万円もする。
自分もそれを得れば、ものすごい演奏が出来るかもしれないと妄想する人が多い。
実際は、そんな訳はない。
それを活かせる人は、普通のバイオリンで、超絶テクニックを奏でられる人、なのだ。
仕事でも、家事でも、それは一緒で、いま居るところで上手に出来なければ、隣の芝へ行ったって、上手く出来ないのだ。
大事なことなので、繰り返すと、いま居るところで上手に出来なければ、隣の芝へ行ったって、上手く出来ない。
いま居るところで上手に出来なければ、隣の芝へ行ったって、上手く出来ない。
いま居るところで上手に出来なければ、隣の芝へ行ったって、上手く出来ない。
古いプールで上手に泳げない人は、新しいプールに行ったって上手に泳げないのだ。
仮に、草野球ではやる気がしないとか言う人が、プロの環境を与えられたって、練習についていけなくて首を切られるのがオチなのである。
仮に、クリエイティブな仕事がしたいとか言う人も、職場に関係なく、ものすごく上手なイラストやらを描けなければ、環境が良い大手に行っても、活躍の機会なんか無いのだ。
逆に言えば、いま居る環境で、ものすごく上手になれば、チャンスはいくらでもある。
今は不況だけれども、このことに気が付いている人は、とても少ないからだ。
企業側としては、草野球でやっていた人だろうと、零細企業に勤めていた人であろうと、上手ならばそれで良いのだ。
逆に、どれだけ長年、大手にいたとしても、下手だったら要らないのである。
だから、隣の青い芝を探すのではなく、今いるところを青い芝にすること、である。
あなたの居る場所が、あなたの手で、青い芝になりますように☆彡
(^人^)


隣の芝は青いと強く憧れる人が、隣の芝に行ったら、こうなる。

上は、かなり極端な例だとしても、ほぼ確実に散らかる。
すぐ物とかを置いてしまって、綺麗な状態を維持できない。
なぜなら、散らかすような人だから、強く憧れるからだ。

このことは、本当に、伝わらない。
一瞬、伝わっても、すぐ忘れ去られてしまう。
夢が、隣の芝は青いになっている人は、とっても多いのだけれども、もしそれが叶ったら当の本人が、それをぶち壊してしまうのだ。

部屋で言うなら、万が一、上の部屋を手に入れても、1年も経たずに、物だらけ、ほこりだらけにしてしまう。
で、また隣の芝は青いを繰り返すのだ。
なぜなら、散らかすような人だから、憧れるからだ。
夢を壊しているのは誰かという自覚が無い。
終いには、お手伝いさんが欲しいとか言い出して、もっとお金があればお手伝いさんを雇えるのにとか言い出す。
この類の例は、本当に多い。

夢が、隣の芝は青いになっていないかのチェックは、とても重要だ。
なぜ重要かと言えば、その可能性の方が遥かに高いから、だ。
仮に、広くてきれいなお部屋に憧れる人は、いま現時点に住んでいる部屋が、そうなっていないと、おかしいのだ。
いま現在、住んでいる部屋を綺麗にするのが「夢」で、いま居るところは掃除しないで、隣の芝に憧れるのが「怠け」だ。
花嫁なら、素敵な奥さんになるのに今いるところをピカピカにするのが「夢」で、いま居るところは掃除しないで、豪邸に憧れるのが「怠け」だ。
「豪邸だったら掃除する気も出てくる」とか、住んだこともないのに口だけで言う人が居るが、小さい部屋をピカピカに出来ない人が、大きい部屋はもっと出来ない。
さらにそういう人は、余計な物を買ってしまう悪癖があるので、数年も経たないうちに、物だらけ、埃だらけにしてしまうのだ。
でも何故か、そうなったのは自分のせいではないとか、平気で言う。
で、隣の芝は青いに憧れるのだけれども、それは夢でも何でも無い。
ただの「怠け」だ。

で、部屋だったらまだ目に見えるから良い。
これが、仕事だったら、どうだろうか。
年収の高いピカピカなポジションを、そういう人に与えると、どうなるか。
そう、時間とお金をかけて、ボロボロの汚部屋の状態にしてくれるのである。
ただ、当人にその自覚がない。
で、当人は周りのせいにする。
周りの社員が使えないとか、商品が悪いとか、忙しい、とか。
汚部屋にしてしまう人が使うような言い訳を、ずら~っと並べるのだ。
誰がそうしたのか(=当人)、という自覚が無い。
何をしたのか(=余計なことをして複雑にした)、という自覚が無い。
やることは目の前にある(=整理整頓)のに、見えてない。
で、外に何か良いことがないかなと、隣の青い芝を探す。
これは、夢ではなくて、現実逃避だ。
仮に、自分が部屋だったり、仕事だったりを汚部屋の状態にしてしまう人だったら、どんなラッキーがあっても、活かせないし、チャンスを殺してしまうのだ。
この不況の折、知人の紹介で運よく就職できても、仕事を汚部屋の状態にしてしまう人は、周りに多大なる迷惑を与えて、知人の顔に泥を塗って、終わることになってしまう。
あるいは、知人の紹介で運よく結婚できても、家事なんかしたくないと、どんどん汚部屋にしていく人は、長くは続かなくて、結局、周りに多大なる迷惑を与えて、知人の顔に泥を塗って、終わることになってしまうのだ。
で、外に何か良いことがないかなと、隣の青い芝を探す。
このように、どんなに幸運があっても、ラッキーがあっても、チャンスがあっても、それを自らの手で、ぶち壊してしまうのである。

世界有数のバイオリンは、1つで何千万円もする。
自分もそれを得れば、ものすごい演奏が出来るかもしれないと妄想する人が多い。
実際は、そんな訳はない。
それを活かせる人は、普通のバイオリンで、超絶テクニックを奏でられる人、なのだ。
仕事でも、家事でも、それは一緒で、いま居るところで上手に出来なければ、隣の芝へ行ったって、上手く出来ないのだ。
大事なことなので、繰り返すと、いま居るところで上手に出来なければ、隣の芝へ行ったって、上手く出来ない。
いま居るところで上手に出来なければ、隣の芝へ行ったって、上手く出来ない。
いま居るところで上手に出来なければ、隣の芝へ行ったって、上手く出来ない。
古いプールで上手に泳げない人は、新しいプールに行ったって上手に泳げないのだ。
仮に、草野球ではやる気がしないとか言う人が、プロの環境を与えられたって、練習についていけなくて首を切られるのがオチなのである。
仮に、クリエイティブな仕事がしたいとか言う人も、職場に関係なく、ものすごく上手なイラストやらを描けなければ、環境が良い大手に行っても、活躍の機会なんか無いのだ。
逆に言えば、いま居る環境で、ものすごく上手になれば、チャンスはいくらでもある。
今は不況だけれども、このことに気が付いている人は、とても少ないからだ。
企業側としては、草野球でやっていた人だろうと、零細企業に勤めていた人であろうと、上手ならばそれで良いのだ。
逆に、どれだけ長年、大手にいたとしても、下手だったら要らないのである。
だから、隣の青い芝を探すのではなく、今いるところを青い芝にすること、である。
あなたの居る場所が、あなたの手で、青い芝になりますように☆彡
(^人^)
