答えは3つ以上出す | プラクティス

答えは3つ以上出す

あまりにも大、大、大前提で、各ブログの記事にあえて記載しないのですが、この世の中にこれが正しい唯一の答えなどと言うものはありません。

なので、このブログに書かれていることが正しい、それ以外は間違え、なんてこはありえません。

逆に、あなたの言っていることが正しいが故に、このブログが間違えということにもなりません。


日本以外の国の、たとえば、アメリカ人などと話すと、すぐに「なんで?」「どうしてそう考える?」と聞いてきます。

アメリカは人種のサラダボールと言われるくらいで、多種多様な価値観の人がいて、人の意見は違って当たり前と言う、本来、そうに決まっている文化で育っているから、です。

人の数だけ意見はあって良いのです。


一方、日本では、意見の合う者が仲間、それ以外は仲間じゃない、あるいは敵みたいな村社会の甘え文化が、いまだに根強く残っています。


たとえば、あなたがアニメのワンピースが好きだとして、相手がアニメのドラゴンボールが好きだとします。

その際の会話で、相手が「私はワンピースが好きじゃない」とか、「私はワンピースが嫌い」とか言っても、それは否定したことにはならないのです。

あるいは、あなたが「私はワンピースが好きなんだ」という意見に対して、相手が「なんで?」「なんでワンピースが好きなの?」と聞いてきても、それは責めている訳でも、「あんなののどこが良いの」的なニュアンスで言っている訳でも無いのです。


分りやすく説明すると、成熟した大人は、自分と、自分の意見を分けて考えられるのです。


その点、日本は単一民族なので、自分と、自分の意見を分けて話し合う努力をしないで生きてこられたので、いつの間にか、自分と自分の意見が同化してしまって、意見を否定されると、まるで、自分が否定されているみたいに勘違いしてしまう人が増えてしまいました。


このブログを読んで、自分が否定されているように感じることがあったら、そのためです。

言うまでも無く、こちらはその人が読むことを想定して、その人を否定するように書いている訳では無いのですから、それは読み違いです。


たとえば、夫婦で、妻が「あなた何処へ行くの?」と言うと、旦那の耳には「行くなってことか」みたいに、ものすごく否定的にとる傾向があるのですが、妻はごくごく普通に行き先を聞いているだけで、否定しようという気はさらさらなかったりするのです。

それで不機嫌になられても、妻としては困ってしまいます。

でも、旦那は情動が発火していますので、自分が今どうなっているか見えなくなってしまうのです。

念のために言っておきますが、こういう例は男女を逆にしても、沢山あります。


このブログのコンセプトは、戦争と差別を無くしていくことです。

前回では、メディアが煽り立てるナショナリズムの危険性について書きました。

間違っても、個人を名指しして、そいつの意見が間違っているなんて、どこにも書いていません。

でも、日本人の読み手は、自分の意見を否定された、さらには、自分を否定されたと早合点してしまう人も中には居るのです。

これは、先の妻が「何処に行くの?」という言葉が曲解され、相手には行くなに聞こえ、「うるせえなオレが何しようと勝手だろう」と、キレられるのと似ています。

妻としては、旦那が出かけるのはもちろん旦那の勝手で、それを妨害している訳でもないのに、変に曲解してとられてしまうのです。


最近、変な事件が多いのは、こういう風にIQが下がってきているからです。

IQが下がるのは、今までの日本人が、価値観の違う人と話す経験が少なく苦手意識をもっているところに、時代がそれを許さず、多様な価値観の人が増えていて(分り易りのが外国人労働者など)、労働環境、あるいは社会が、生きづらくなっていることが、挙げられます。

「そんくらい解れよ」

「そんなの常識でしょう」

「普通、これくらい」

「当たり前」

こういう甘えが、徐々に通じなくなってきているのです。

そして、それに腹を立てたり、嘆き悲しんだりして、情動脳が発火、イコールIQが下がっているのが、今の日本なのです。

そこかしこで、甘えたい相手に、甘えが通じず、可愛さ余って憎さ百倍で傷つけあう人が後を絶ちません。

それは、とても悲しいことです。


このIQの低下にどう歯止めをかけるか。

それは、答えを3つ以上出すこと、です。


怒る人は、往々にして、答えが1つだと思うから、怒るのです。

悲しむ人も、往々にして、答えが1つだと思うから、悲しむのです。


答えが1つなんて、学校のペーパーテストぐらいで、現実社会においてはありえません。

いろいろな意見をもとに、最適なものを探っていくのが、人間社会と言うものです。


そのためにまずすることは、最初に、自分の意見というものをたてる。

その次に、自分の意見をボコボコにして、ぼろっかすにする。

その上で、その2つを併合した意見を作り上げる感じです。


多くの人は、この2番目をとても苦手としています。

と、言うか、そんなことしようという発想そのものが無いのでしょう。

でも、これは考える力を養成する上で、外すことの出来ないくらい重要なファクターです。


自分を壊すのではなく、自分の意見を壊すのです。

この違いが解りますでしょうか。


ただ、これは一朝一夕には身に付きません。

しっかり、鍛えることが必要です。


簡単なのは、文系なら、囲碁か将棋など相手がいるもの。

体育会系なら、剣道、柔道、野球、サッカーなどの相手がいるものをすると良いでしょう。


だいたい、職場で使えるのは、こういう発想が出来る人、です。

こういう発想とは、

自分がAと動いたら、相手はBと動く、

あるいは自分がCと動いたら、相手はDだろう、

そうやって何通りか考えて、一番良さそうな手を打つ発想です。


これが、Aしか考えない人は、Aに意見されると、えらい怒るのです。自分が否定されたと思うのです。決して悪い人ではないのですが、職場にこういう人がいると、生産性はすこぶる落ちてしまうのです。

あるいは、Aになるハズと思い込んで、当てが外れて、挫折したり、心が折れてしまう人も沢山います。

でもこれは、サッカーで言うと、ここからキックを打てば入るハズと思い込んで、予想に反して外れて、そこで試合がまだ続いているにも関わらず、挫折したり、心が折れてしまうようなものです。

この前者も、後者も、そんなことしている場合では無いのですが、当人は、逆にそれどころではないのです。


繰り返しますが、答えは最低でも3つ以上出しましょう。

デートなら、晴れの日プランだけ作って、雨になったら絶望するみたいなのは、無しです。

まず、晴れのプランを練って、それがダメダメだった場合を考えて、だったらどうするかというプランを練って、それではじめて「考えた」になるのです。


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