絆忠則
いつのまにやら仲間はきっと増えてる
明日がそっぽをむいても走りまくれよ
そうしてたまには 肩を並べて飲もうよ
Getting better Begin to Make it Better


「絆忠則」を知っていますか?
「絆忠則」は、「きずなただのり」と読みます。
今、私が作りました。
たとえば、あなたと私が同じ部活で共に汗を流したとします。
その上で、卒業旅行へ行ったり、飲み会に行ったりすると、とても楽しいでしょう。
でも、そこにまったく知らない第三者が参加したらどうでしょう。
旅行も、飲み会も、お互い気を使ってしまって、疲れて楽しめないでしょう。
なのに、多くの人は、こういうことをしようとします。
「旅行自体が刺激的かどうか」、「飲み会自体が魅力的かどうか」、そういうことばかり考えます。
普段の付き合いは省いて、美味しいところだけもらおうと思っているのです。
それは、部活の時は出ないけど、部活の旅行や飲み会の時にだけ顔を出す人と同じです。
で、今回の震災のように何かがあった時になると、いきなり「絆」とかを持ち出してきて、紡いで来なかったものを、突然、あることにし始めるのです。
部活の例で言えば、いつも部活に来てなかったのに、自分に何か困ったことがあった途端に、「同じ部活の仲間同士で頑張ろう」とか何とか言いだすようなものです。
こういうのを「絆のタダ乗り」と言います。
略して、「絆忠則」です。
突然、「絆」とか言い出す人って、こういうのが少なくありません。
ミュージシャンでも、アーチストでも、文化人でも、絆のタダ乗りを煽る人が本当に多いです。
普段の付き合いは省いて、美味しいところだけもらおうと思っている性根がいただけません。
こういうのって、家族を顧みない生活をしてきて、三行半を食らってから、突然、「家族の絆」とか言い出す人にソックリです。
普通に考えても、いつもの部活の時は来ないけど、旅行や飲み会など楽しそうなの時にだけ顔を出す人と「絆」なんて生れないでしょう。
辛い部活の日々を共に乗り越えたからこそ、「絆」が生まれるのです。
辛いところを避けて、美味しいところ(絆)だけ得ようって、そうはいきません。
そういうことをしようとすると、類友の法則で、そういう人達が集まって、ちょっとでも嫌なことがあると、蜘蛛の子散らすように、さ~っと居なくなるのです。
それでいて、絆(美味しいところ)を求めたりします。
困ったことに、そういう人が、幻想の本だったり、幻想の歌を作ると、意外とヒットしたりするのです。
だいたいそういう人は、ご都合主義で、嫌なことは避けて、社会と関わらない人が多い。
そのクセに、「絆」的なことを連呼するのです。
それは、「絆のタダ乗り」です。
自分は嫌なことしないで(世間と関わらないで)、美味しいところだけ得よう(綺麗ごとでまとめよう)としているのです。
本当の「絆」は、お金では買えません。
お金で買える「絆」は、お金で失います。
本当の「絆」は、地位でも買えません。
地位で買える「絆」は、地位で失います。
本当の「絆」は、容姿では買えません。
容姿で買える「絆」は、容姿で失います。
「絆」は、買えないのです。
タダでも買えませんし、大金でも買えません。
自分と相手との相互関係の中でしか生まれないのです。
「絆」は、植物みたいなもので、日々、水をやることでしか育まれないのです。
お金を出そうが、宇宙と繋がろうが、歌を歌おうが、それに応じで植物が一気に育たないでしょう。それと一緒です。
辛いことを避け、普段の交流を避け、「絆のタダ乗り」をしようとする「絆忠則」になるのはやめましょう。
それは、どこの部活にも参加しないで、部活の仲間を欲しがるようなものです。
共に辛いことを乗り越えるから「絆」が生まれるのに、辛いことは避けて「絆」だけ欲しいみたいな、お金は出さないでダイヤが欲しい、くらい甘い考えは捨てましょう。
良い人は、辛いことは避けて、美味しいところだけ得ようとしません。
ですから、もし、良い人と付き合いたいなら、同じように、辛いことを避けないことです。
いつのまにやら仲間はきっと増えてる
明日がそっぽをむいても走りまくれよ
そうしてたまには 肩を並べて飲もうよ
Getting better Begin to Make it Better

