3カ月で人は変わる
「水泳教えて!」から3か月。
あれだけ暑かった陽気もすっかり秋めいてきて、今では肌寒いくらいになってきました。
さて、このブログは、プラクティス(実践)と言って、苫米地博士のメソッドを生身で実験しています。
これまでに、資格だったり、仕事だったり、免許だったりに挑戦するときに、活用してみたのですが、どれも効果絶大。
分り易いのが資格で、およそ半分の期間で、国家資格に合格したりもしました。
だから、みんなも実践すると良いと思います。
で、今回は、自分自身、最も苦手であろう「水泳」への挑戦です。
大人になってから、カナヅチからの挑戦です。
で、結論から言うと、3カ月で4泳法を泳げるまでに至りました。
3カ月はカナヅチで、今はバタフライです。
おそらく3か月前に自分を見た人は、「この人は泳げないんだ」ですし、
いま自分を見た人は、「この人は泳げるんだ」となるでしょう。
たった3カ月で、別人の扱いをうけるのです。
事実、周りの反応も180度変わって、3カ月前は誰も話しかけてこなかったのに、今ではバタフライってどうやって泳ぐのですかと、話しかけられたりもしています。
で、ものすごーーーーーく重要なポイントをお話しします。
それは、「3カ月前は誰からも見向きもされなかった」という事実です。
このブログは、苫米地博士のメソッドを活用していますが、それでも、「3カ月前は誰からも見向きもされなかった」のです。
なぜ、このことを力説するかと言うと、この話を聞いても、自分がやる時になると、このことをすっかり忘れて、お膳立てを求める人が、とても多いからです。
たとえば、こういうのです。
「極秘のノウハウが手に入ったらやる」とか。
「みんなが応援してくれるならやる」とか。
「お金がもらえるならやる」とか。
「すぐモテるならやる」とか。
特に多いのが、「みんなが協力してくれるなら」とか、「みんなと一緒に」系です。
これらは、ドラマの見すぎ、マンガの見すぎです。
何か自分の脳内に、自分だけに都合の良いドラマを作っちゃっているのです。
さえない男の子が、何故か可愛い女の子達にモテモテくらい有り得ません。
さえない女の子が、何故かイケメン達にモテモテくらい有り得ません。
カナヅチの子が、プールに飛び込んだら何故か天才的な才能があって、努力せずに泳げたくらい有り得ません。
カナヅチなのに、プールサイドから黄色い声援が飛んでくるくらい有り得ません。
自分は何もしてないうちから、外に膨大な好待遇を求め過ぎなのです。
もし、あなたが逆の立場だったら、それをするでしょうか。
しないのなら、他人だって、する訳がないのです。
特に、何か新しいことを始める時は、自分に一番近い人でも、「無理しない方が良いんじゃない?」とか、「どうせ続かないでしょう」とか、言うものなので、本当に一人からのスタートなのです。
で、これは悲しいことでも、寂しいことでもなくて、当たり前の普通のことなのです。
一人でやるのが普通。
一人でやるのが当たり前。
ここをきちんと踏まえてないと、自分の心細さを他人のせいにして、こうでなきゃやらない、一緒じゃなきゃやらない、できないのは環境のせい、できないのはみんなのノリが悪いから、みたいになってしまうのです。
それは、最初の、最初の大前提が間違っています。
やるのは自分一人で出来るのです。
やるのは自分一人でやるものなのです。
もう幼稚園児じゃないんですから、保護者が居なくても出来るでしょう。
もう大人なんだから、補助輪なしで乗れるのでしょう。
補助輪がなきゃ自転車に乗れないとか言う方が、おかしいのです。
なぜなら、自転車は、補助輪なしで乗る物だからです。
人生も一緒です。
親、友達、同僚、恋人、先生、白馬に乗った王子様、運命の人、など、
補助輪をあてにして、補助輪のせいにしてる時点で、根底から間違っています。
やるのは自分一人で出来るのです。
やるのは自分一人でやるものなのです。
やって恥ずかしいところを見られたくない気持ちはわかります。
でも、何かのせいにして、やらないで逃げる方が、よっぽど恥ずかしいのです。
やるは一時の恥。
やらぬは一生の恥です。
正々堂々とやって、失敗しても何も恥ずかしいことはありません。
恥ずかしいのは、失敗を怖れるがあまりやらずに逃げることです。


・注意
この記事は、水泳をすすめているのではなく、苦手なこと、避けていること、やらなきゃいけないことなどを「やること」をすすめています。
「自分は水泳が出来るから良いや」じゃなく、人によって、ITだったり、営業だったり、勉強だったり、三段腹解消の運動だったり、必要なのに、あれこれ言い訳をして、やらないことがあると思います。
それを「やる」のです。
いま「やる」のです。
すぐに「やる」のです。
今年中に「やる」のです。
そうすることで、清々しい気持ちで、新年を迎えることが出来るのです。
あれだけ暑かった陽気もすっかり秋めいてきて、今では肌寒いくらいになってきました。
さて、このブログは、プラクティス(実践)と言って、苫米地博士のメソッドを生身で実験しています。
これまでに、資格だったり、仕事だったり、免許だったりに挑戦するときに、活用してみたのですが、どれも効果絶大。
分り易いのが資格で、およそ半分の期間で、国家資格に合格したりもしました。
だから、みんなも実践すると良いと思います。
で、今回は、自分自身、最も苦手であろう「水泳」への挑戦です。
大人になってから、カナヅチからの挑戦です。
で、結論から言うと、3カ月で4泳法を泳げるまでに至りました。
3カ月はカナヅチで、今はバタフライです。
おそらく3か月前に自分を見た人は、「この人は泳げないんだ」ですし、
いま自分を見た人は、「この人は泳げるんだ」となるでしょう。
たった3カ月で、別人の扱いをうけるのです。
事実、周りの反応も180度変わって、3カ月前は誰も話しかけてこなかったのに、今ではバタフライってどうやって泳ぐのですかと、話しかけられたりもしています。
で、ものすごーーーーーく重要なポイントをお話しします。
それは、「3カ月前は誰からも見向きもされなかった」という事実です。
このブログは、苫米地博士のメソッドを活用していますが、それでも、「3カ月前は誰からも見向きもされなかった」のです。
なぜ、このことを力説するかと言うと、この話を聞いても、自分がやる時になると、このことをすっかり忘れて、お膳立てを求める人が、とても多いからです。
たとえば、こういうのです。
「極秘のノウハウが手に入ったらやる」とか。
「みんなが応援してくれるならやる」とか。
「お金がもらえるならやる」とか。
「すぐモテるならやる」とか。
特に多いのが、「みんなが協力してくれるなら」とか、「みんなと一緒に」系です。
これらは、ドラマの見すぎ、マンガの見すぎです。
何か自分の脳内に、自分だけに都合の良いドラマを作っちゃっているのです。
さえない男の子が、何故か可愛い女の子達にモテモテくらい有り得ません。
さえない女の子が、何故かイケメン達にモテモテくらい有り得ません。
カナヅチの子が、プールに飛び込んだら何故か天才的な才能があって、努力せずに泳げたくらい有り得ません。
カナヅチなのに、プールサイドから黄色い声援が飛んでくるくらい有り得ません。
自分は何もしてないうちから、外に膨大な好待遇を求め過ぎなのです。
もし、あなたが逆の立場だったら、それをするでしょうか。
しないのなら、他人だって、する訳がないのです。
特に、何か新しいことを始める時は、自分に一番近い人でも、「無理しない方が良いんじゃない?」とか、「どうせ続かないでしょう」とか、言うものなので、本当に一人からのスタートなのです。
で、これは悲しいことでも、寂しいことでもなくて、当たり前の普通のことなのです。
一人でやるのが普通。
一人でやるのが当たり前。
ここをきちんと踏まえてないと、自分の心細さを他人のせいにして、こうでなきゃやらない、一緒じゃなきゃやらない、できないのは環境のせい、できないのはみんなのノリが悪いから、みたいになってしまうのです。
それは、最初の、最初の大前提が間違っています。
やるのは自分一人で出来るのです。
やるのは自分一人でやるものなのです。
もう幼稚園児じゃないんですから、保護者が居なくても出来るでしょう。
もう大人なんだから、補助輪なしで乗れるのでしょう。
補助輪がなきゃ自転車に乗れないとか言う方が、おかしいのです。
なぜなら、自転車は、補助輪なしで乗る物だからです。
人生も一緒です。
親、友達、同僚、恋人、先生、白馬に乗った王子様、運命の人、など、
補助輪をあてにして、補助輪のせいにしてる時点で、根底から間違っています。
やるのは自分一人で出来るのです。
やるのは自分一人でやるものなのです。
やって恥ずかしいところを見られたくない気持ちはわかります。
でも、何かのせいにして、やらないで逃げる方が、よっぽど恥ずかしいのです。
やるは一時の恥。
やらぬは一生の恥です。
正々堂々とやって、失敗しても何も恥ずかしいことはありません。
恥ずかしいのは、失敗を怖れるがあまりやらずに逃げることです。


・注意
この記事は、水泳をすすめているのではなく、苦手なこと、避けていること、やらなきゃいけないことなどを「やること」をすすめています。
「自分は水泳が出来るから良いや」じゃなく、人によって、ITだったり、営業だったり、勉強だったり、三段腹解消の運動だったり、必要なのに、あれこれ言い訳をして、やらないことがあると思います。
それを「やる」のです。
いま「やる」のです。
すぐに「やる」のです。
今年中に「やる」のです。
そうすることで、清々しい気持ちで、新年を迎えることが出来るのです。