ペットは自分でエサをとらない | プラクティス

ペットは自分でエサをとらない

もともと動物には、自分でエサをとる能力があります。

ただ、あまりにも代わりにエサをとってもらう状態が続くと、その動物は、その条件反射に慣れてしまって、自分でエサをとらなくなってしまいます。

たとえば、お腹が空いたら、外へ行くのではなく、冷蔵庫の前に座るという風になってしまうのです。


これは、良く言えば「しつけ」が出来ていると言うことですし、

悪く言えば「しつけ」が出来ていることです。


両方、同じじゃないかと言われれば、その通り。

良い悪いを、人間側にとってか、ペット側にとってかにするだけです。


ペットを飼う側にとっては、外へ出ようとするより、冷蔵庫の前に居てくれた方が良いでしょう。

動物にとっては、冷蔵庫の前に行く体になるより、外へ出て食べ物を得る方が、自然でしょう。


特に、ペットの場合は、飼い主が亡くなってしまうと、

「お腹すいた」→「冷蔵庫の前に座る」

という行為が、まったく意味をなさなくなってしまいます。

でも、ペットは、今までそれで満たされていたので、忠犬ハチ公のようにやり続けるのです。


これは、エサを自分でとっている動物からすると、謎すぎる行動です。

なぜなら、

「お腹すいた」→「冷蔵庫の前に座る」

この行為に、因果関係が見えないからです。

動物にとっては、

「お腹すいた」→「外でエサを探す」

これが、自然で、「冷蔵庫の前に座る」ことが何の意味を持つのか、わかりません。

特に、飼い主が亡くなったら、なおさらです。


このように、「しつけ」とは、おそろしいものです。

昔から、手のかかる子ほど可愛いというように、相手が自分1人で生きられないで頼ってくれると、可愛いのです。

男性からすると、何もできず頼ってくれるお嬢様ほど可愛いわけです。

それと年配者が、何もできず頼ってくれるペットを飼うのは、心情的には一緒です。


ただし、ここで大、大、大問題があります。


それは、可愛い動物の場合で、何もできない人間は可愛くも何ともない、ということです。

特に、若さを無くしたら、それは顕著です。

普通、マザコンが大好きな女性なんて居ません。

「お腹すいた」→「冷蔵庫の前に座る」

こういう男性が好きな女性も居ません。

女性が好きなのは、

「お腹すいた」→「外でエサを探す」

という男性なのです。


でも、母親は、往々にして、

「お腹すいた」→「冷蔵庫の前に座る」

という男の子を育ててしまうのです。

そう「しつけ」てしまうのです。

「お腹すいた?」「今日は何が欲しい?」みたいな。

そう「しつけ」ておきながら、体がでかくなった途端に、外へ放り出すのです。


それは、家で飼ってたペットを突然、山へ捨てるようなものです。


で、これが女の子なら、まだ良いのです。

女の子は、

「お腹すいた」→「冷蔵庫の前に座る」

としても、男性に好かれれば大丈夫だからです。

また、ずっとバイトをしていくという手も使えます。


しかし、男の子は、

「お腹すいた」→「冷蔵庫の前に座る」

これがプラスに評価されません。

むしろマイナスなのは、先に示した通りです。


でも、「しつけ」というのは、そう簡単に変化しないから、「しつけ」なのです。

大人になったら口で言えば良いという簡単なものではありません。

それは、家で飼っていたペットに、外でのエサの捕り方を「しつけ」るぐらい大変なことです。

また、今は昔のように仕事が溢れてたり、間違った「しつけ」の矯正を会社がやる余裕がありませんから、どうしてもそういう子は、職にあぶれてしまいます。


言うまでも無く企業は、「外でエサをとってくる」人が欲しいのです。

「冷蔵庫の前に座る」のは、逆にみんながとってきたエサが減るのですから、居て欲しくないのです。


例外は、若くて可愛い子(ジャニーズ系、アイドル系)くらいで、そういう子なら、若くて可愛い間だけは、居ても良いかもしれません。

このポジションを狙う若い子は本当に多いのですが、論外としか言いようがありません。

何故なら、若い間だけでお先真っ暗ですし、仕事とは「外でエサをとってくる」のが本質だからです。


いくら勉強ができても、「冷蔵庫の前に座る」のでは、プラスマイナスで、マイナスです。

ただ、エサが減るだけですから。

就職を希望する子も、転職を希望する子も、これが多い。

特に公務員になりたがる子は、十中八九そうです。


「冷蔵庫の前に座る」と安定したエサがもらえる。

「自分から外へ出てエサを捕りに行かなくてもいい」

これを夢見ています。


何度も言いますが、じゃ~そのエサは誰がとってくるんだという話です。

家なら親でしょうし、会社なら社長、国なら国民なのです。

親でも、もてあます子を会社や国におしつけられても困ります。

子が働かないのは、ペットのように「しつけ」てしまったからです。

逆に言うと、外でエサをとるように「しつけ」てこなかったからです。

それは企業や国の責任では、ありません。

しっかり、最後まで面倒をみてください。


ただし、飼われる側は、それで安心している場合ではありません。

なぜならば、エサをくれる人は、先に亡くなるからです。


どこかで勇気を出して、外へ出る必要があります。

早ければ、早いほど良い。

これは、仕事してるしてないと関係ありません。


「冷蔵庫の前に座る」と安定したエサがもらえる人は、全員です。

ニートや、引き籠りも、サラリーマンと大差はないので、安心しましょう。

それは、ただ親が飼い主か、会社が飼い主かの違いくらいしかありません。

公務員なら国が飼い主です。

公務員の安泰もそろそろ危なくなってきてますから、他人事じゃないですよ。


そもそも、仕事は、全て完全歩合制なのです。

いちばん分り易いのが、農業でしょう。

作っただけ売れる。

作らなきゃ売れない。

ものすごい分り易い世界です。

これが当たり前で、ただ単純に、この世界に戻るだけです。

過酷でも何でもなくて、自然に戻るのです。


そもそも「冷蔵庫の前に座る」と何か出てきたことの方が、おかしいのです。

それは、誰かの犠牲の上に、成り立っているのです。

「冷蔵庫に勝手に物は入りません」

エサの方から自然に、冷蔵庫へ入ってくる訳がないのです。

誰かが、外から「エサを捕ってくる」から、「冷蔵庫に物が入る」わけです。

それを労せず捕るのは、盗っているのと一緒です。


ただ、飼われているペットと同様に、その自覚がないだけ。

尻尾か、愛想を振りまいていれば、良いという風に勘違いしています。


何度も言いますが、これは間違っています。

間違っていますが、そういう風に条件付けされてしまったので、気が付けないのです。

何だか飼われているペットに、

「良いかい、エサは外から捕ってくるんだよ」

と言うのに同じくらい糠に釘です。


ただ、自覚があってもなくても、「外でエサを探す」のでなければ、会社の荷物になるのですから、そのうちリストラされます。

リストラされたら、次の職を探すのでしょうが、「冷蔵庫の前に座る」感覚だと何度やっても同じなのです。

お局様もダメだし、お殿様もダメ。

若くて可愛い頃は座ってれば良かった嬢ちゃん、坊ちゃんもダメ。

「外でエサを探す」のでなければ、ダメなんです。

何度も言いますが、「外からエサを捕ってくる」のが仕事です。

で、それ以外は作業です。

作業は、機械とバイトで十分ですから、他は要らないのです。


動物の子育てと、人間の子育ては、基本的には一緒です。

ただ、ちょっと違うのは、動物の親はエサの捕り方を必ず教えるのに対して、

人間は、エサの捕り方を教えない人の方が多い、ということです。

動物的な子育てからすると、これは子育て大失敗です。

動物からすると、信じられません。

そんなことをしたら種が滅亡しかねないからです。


人間の親は、子をペットのようにデコレーションしたがります。

あれこれ飾りを付けようとするのです。

それは、洋服だったり、大学名だったり、響きが良い名前だったり。

でも、それはペットとしては良いですが、ペットじゃない場合は役に立ちません。

それらは、「外からエサを捕ってくる能力」と、何ら関係ないからです。

関係ないところにいくら時間とお金を注ぎこんでも、関係ありません。


エサの捕り方を教えないで、ハタチを過ぎたからって突然、外へ放り出されても、外へ放り出される方は、どうして良いかわからないのです。

これは、動物界では、育児放棄です。

親が子に、エサの捕り方を教えない動物なんて居ませんから。


ただ、ハタチを過ぎたら自己責任でもありますから。子ども側は、それをもって自分はエサを捕りに行かなくても良いという主張は、成り立ちません。

半分は自分の責任ですし、ハタチからは100%自己責任です。

先輩を見て、しっかり学んでいくと良いでしょう。

ただし、完全歩合制でもない限り、先輩も「冷蔵庫の前に座る」の座り方を教えてくれる人の可能性が大なので、気を付ける必要があります。

そういう先輩が優しくても、良い先輩ではありません。


親は、子供にしっかりエサの捕り方を教える必要があります。

まず、ペットにしない。

一緒に、エサを捕りに行く。

魚釣りとか、野菜作りなどが手軽でしょう。

ここで「一緒に」を避けないでください。

「一緒に」を避けて、口で言うか、お金を渡すと、子供も口か金があれば良いみたいなことをちゃんと学びます。

親が子にエサの捕り方を教える、その過程が重要なのです。

だから、ちゃんと一緒にエサを捕りに行く。

動物の親は、みんなやっていることです。

こうすると、そうおかしくはならないでしょう。


子の場合は、それを親に代わって自分にする訳です。

家、会社、国という「冷蔵庫」から盗ろうとしない。

外から捕ってくる。

魚釣りとか、野菜作りなどが手軽でしょう。

他にも、何かを作って、ネットで売ってみるとか。

そういう、やった分だけ目に見える完全歩合制なことをする。

おそらく給料の1/10も稼げないでしょう。

それが本来の給料、本来の実力です。

実際、ほとんどの人は、もらい過ぎている割に、感謝が少ないのです。

実力がないのに、給料が少ないと文句を言っているのです。

これが嘘か本当かは、辞めてみれば解ります。

痛い目に遭わないとわからない人がほとんどです。

こうすると、まともになってくるでしょう。


最後に、出世や転職の場合です。

出世と転職って、全然違うじゃないかと思う人は要注意です。

と言うか、大問題です。

その考え方だと、遅かれ早かれリストラされてしまいます。

何故なら、出世と転職は、キャリアアップという点で、一緒だからです。

本来は、リストラされたら、みんな万歳って思わないといけないのです。

そう思えないのは、実力を養成してこなかったから、です。


キャリアアップの際の転職を考えてみてください。

キャリアアップの場合は、会社を自己都合で辞める訳です。

リストラの場合は、会社を会社都合で辞める訳です。

どちらも、会社を辞める点では一緒です。


ただ、上にあがるか、下にさがるか、という点が違う訳です。

でも、これは勘違いしている人が大多数だからそう感じるのです。

本来は、上も下もなく、ただ単に「実力相応になる」だけです。

実力テストの結果によって、特級クラスに行くか、下級クラスに行くかの違いだけです。

その実力テストを自分から受ければ、キャリアアップですし、会社からリストラされれば、キャリアダウンなだけです。

で、キャリアアップにしても、キャリアダウンにしても、特級、下級クラスかってだけで、やるへきことは一緒です。

「外からエサをとってくる」

これです。

この能力を上げて、実力テストを受けることです。


魚釣りと、野菜作りで言えば、魚が3匹でリストラされた人は、何百と転職を繰り返しても、無駄なのです。

と言うか、相手の会社に迷惑です。

何度も何度も言いますが、会社は「外からエサを捕ってくる」人が欲しいのです。

面接での人当たりが良い人とか、能力が高い人ではなくて、「外からエサを捕ってくる」人が欲しいのです。

魚10匹でトントンになる会社なら、

人当たりが良くても、魚3匹の人はダメ。

能力が高くても、「冷蔵庫の前に座る」(魚0匹の)人はダメ。

企業は、普通の人が10匹釣るところを、魚を15匹釣ってました、という人が欲しいのです。

10匹のところ3匹は、論外。

10匹のところ5匹は、新卒なら。

10匹のところ8匹は、若くていい人なら。

10匹のところ10匹は、給料が低くていいなら。
(と言うか、これでも会社には貢献してません)

10匹のところ15匹は、採用。

という話です。

会社に居て、人並みは、50%から80%以上が会社がゲタを履かせるので、実際の実力は、20~50%くらいで計算しましょう。

給料が30万円なら、6万~15万が妥当ってことです。

嘘だと思うのなら、会社を辞めて、自分でやってみれば解ります。

むしろ、もっと低いかもしれません。

簡単に言えば、給料以上に稼ぐ人でなきゃお荷物だってことです。


なので、お荷物にならないために必要なのは、「外からエサを捕ってくる」ことです。

「冷蔵庫の前に座る」ために、資格をとることではありません。

魚が3匹しか釣れないままで、「冷蔵庫の前に座る」権利(就職)を得ることでもありません。

「外からエサを捕ってくる」ことです。


キャリアアップを目指さないのなら、給料を多く望んではいけません。

実力は上げずに、給料は上げたいというのは性根が腐っています。

ただ、キャリアアップを目指さないのが悪い訳でもありません。

その場合は、社員はキャリアアップしたい人に譲って、バイトとして楽しく生きたら良いでしょう。

日本は、自分でエサを捕れなくても生きていける素晴らしい国です。

自分は1人では魚を3匹しか釣れないのに、給料は10匹分もらえて嬉しいなと思えばよいのです。

これは、事実ですから。


そろそろ本格的に、バイト、派遣、社員などの雇用形態が意味をなさなくなります。

どういう風になるかと言うと、1年更新の年俸制という風になるでしょう。

昔は、馬子にも衣装で、入社させたら一生安泰でしたが、これからは違います。

馬子にも衣装の人(ペットな人)は、即効で首を切られます。

学歴があっても、スポーツが出来ても、魚が釣れなければ用を成さないのです。


話がそれますが、結婚もそういう風になります。

昔は、馬子にも衣装で、結婚させたら一生安泰でしたが、これからは違います。

添い遂げるものではなく、イヤになったら離婚という世界なのです。

そうなってしまうと、未婚、既婚という違いは薄れ、バイト、社員という違いも薄れていくのです。

結婚して1年で離婚。

就職して1年で倒産。

このようになるなら、恋愛も結婚も、バイトも社員も、どっちも大差ないということになるのです。

だったら無理しないで、就職、結婚などのキャリアアップを目指さないのもアリと言えばアリです。


ただーし、そうやって「冷蔵庫の前に座る」ことが出来るのは、誰かに頼っているからに他ならないことを忘れないでください。

それは親かもしれませんし、バイト先の店長かもしれません。

社長かもしれませんし、旦那さんかもしれません。

そのお蔭を毎日、毎日、しっかり認識するならば、その人がいる間はおかしくならないでしょう。

うまくいっている職場、うまくいっている夫婦は、ちゃんとそれが解っています。

そこを自分が魚3匹の実力しかないのに、自分も10匹釣っているとか言い出すと、関係が悪化してしまうのです。

そういう生き方をしたいなら、ちゃんと実力をつけましょう。

ペットのように生きて、エサに文句を言うのは、ペット失格です。

ペットならペットらしく、与えられた物に感謝して、愛嬌を振りまいて生きるのです。


それがイヤなら、鳥カゴから外に出て自分でエサを捕れば良いのです。

人間なら、誰でも等しくその能力が備わっています。

後は、それを磨くか、否か。

やるか、やらないか、だけなのです。


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野生動物は、みんな自力でエサを捕って生きています。

野生動物は、それを厳しいとか辛いとか泣き言を言いません。

野生動物に出来ることが、人間に出来ない訳がないのです。