やろう歴 | プラクティス

やろう歴

「やろう歴」とは、何かを「しようと思ってしてない歴」のことです。

この前、何年かぶりに知人と会ったのですが、ビックリしたのが話題がまったく更新されていないのです。

「~したい」

「~しようと思っている」

「~するつもり」

「~が夢」

この「~」に入る言葉が、何年か前に会った時と同じなのです。


よく、ゲームなどで登場人物に何度話しかけても同じことしか言わないのと似ています。

時間が経っても同じことしか言わない。

時が止まったままなのです。

これは言い方を変えると、年だけとってまったく成長していない、ということです。

ただ、当人はそれに気が付かないのです。

なぜならば、周りもみんなそういう人たちだからです。


誰しも田舎へ里帰りなどをすれば、おじいちゃん、おばあちゃんで、こういうのはあるでしょう。

まるで村の中で時間が止まってしまっているかのような、あの感覚。


でも1つ違うのは、相手はまだ30代なのです。

しかも、都内に住んでいます。

お金だって、時間だって、何かする分くらいは十分に持っています。

それなのに、言ってることが、以前と同じなのです。


ただ「やろう歴」だけが、どんどん増えています。


巷では、「彼女居ない歴」とか「彼氏居ない歴」ばかりが注目されています。


でも、そんなのは、ぶっちゃけどーでも良いのです。

それより深刻なのは、「やろう歴」です。

やろう、やろうと思って、やらないでいる月日の長さです。


これは長くなれば長くなるほどホラーになっていきます。

なぜなら、「その人の脳内では、時が止まっている」からです。


TVとかで、精神病の人を見たことがある人は解ると思うのですが、

こういう患者を見たことがありませんか。

学生生活が終わっているのに、成績のことを気にしてたり、

同級生とデートしたいと(その人は既に結婚しているのに)思い描いていたり、

バイクで世界一周とか言いながら(数年経っても)運転免許さえ持っていなかったり、

まともなようで、まともでない。

たぶん、どこかで一度は見たことがあると思います。


これは、「やろう歴」が長すぎて、時間の感覚がマヒしてしまっているのです。


精神病までいかなくても、まだ時間の概念がよく理解できない子供は、これをします。

「宿題はしたの?」

「いまやろうと思ってたんだよ!」

というお決まりの、あのパターンです。


大人からすると、言う前にちょっと観察しているのです。

で、5分だか、10分だか見てても、やる気配がなかったから言うのです。

学校から帰ってきた途端に「宿題はしたの?」と言う親なんて居ません。

ちゃんと、「なかった」という事実を根拠に子供に言うのです


でも、子ども側には、伝わりません。

「いまやろうと思ってたんだよ!」と、いつでも「今」がベースで、「今」しか見えていません。「今から遡ること10分間に何もしなかった」=「やろうと思ってない証拠」なのが理解できないのです。

それはまだ時間という概念がよくわかっていないからです。

子供は良いでしょう、これで。

夏休みの宿題で泣きをみるのも、良い勉強です。


でも、大人になっても、「いまやろうと思っている」というのは問題です。

なぜなら、大人なのに、小学生以下の思考だからです。

これをすると、夏休みという超大型連休があったって、「やろうと思って何もしない」という風になってしまいます。

連休でもやらない人は、平日はもっとやりませんから、その調子で休みがあっても無くても、なにもせずに1年が過ぎ去ってしまうのです。


もし万が一、自らに心当たりがある人は、


「『やろう歴』の全てを捨てて、忘れましょう」


今まで、さんざん時間があったのにやらなかったのですから、それらは「やりたいことじゃない」可能性120%です。

本当にやりたいことなら、やってますよ。

「やろう歴」は、金魚のフンみたいなものなので、一回、切り離しましょう。

それって、宿題をやってこなかったのに、やろうと思っていたと言うのと同じですから。

夏休みの宿題のように長い間、たとえば40日間以上やらなかったという確固たる証拠があるのに、宿題をやろうと思っていたと言うのは、大人のすることじゃないです。


それって、精神病か、犯罪者の思考法に、近づいちゃってます。


ニュースで流れるのは、だいたいこの思考法でしょう。

ナイフで刺したという確固たる証拠があるのに、傷つけるつもりはなかった、とか。

一か月間、職安に行くでもなく、家でだらだらしてた確固たる証拠があるのに、「何もしてない」と言われて「やろうと思ってるんだ」とキレるとか。


「やろう」だけが夢遊病のように漂っていて、体は動いて無い。

「やろう歴」を長くすると、人生、ほんとうに狂ってしまう恐れさえあります。


なので、「やろう歴」が長いものがあったら、捨てましょう。

今までさんざんやる時間があったのに、やらなかったのですから。

一度、捨てる。

全部、捨てる。


で、白紙に戻して、あらためて、したいこと、やりたいことを思い描けば良いのです。


その際に、くれぐれも昔の「やろう歴」を拾ってはいけません。

それはもう腐っていますから、みかん箱にくさったみかんを入れるようなもので、それをすると脳がまたおかしくなってしまいます。

今やりたいことと、昔やりたかったことは、絶対に違います。


昔なら、かつどんを腹いっぱい食べたいと思っていたことも、年をとれば違うでしょう。

それと同じで、好きなタイプ、行きたいところ、やりたいことも変わっているハズです。

今のあなたが、昔のあなたがかつどんを腹いっぱい食べるのが夢だったからって、わざわざ胃がもたれるのを承知で、無理してかつどんをかっこむ必要は全然ないのです。


他にも、学生の頃に勉強ができる奴を見て羨ましいと思ったとか、そんな理由で勉強ができるようになりたいと思ったって、社会へ出たら違うんです。

すごい資格をもっていたって仕事が出来ない人は沢山います。そうなってもモテません。

そんなことより、ダイレクトに仕事が出来た方が良いんです。

あるいは、黄色い声援をうけたいというのが、本当にやりたいことかもしれません。

その場合は、勉強とは全然関係なく、舞台に立つとか、演奏するとかの方がいいでしょう。


あと、この逆もあります。

学生時代に、異性に悪口を言われて、それで異性はイヤとかいう人が居たとしましょう。

でもそれって、小学校の頃の悪口をまだ根に持つようなものです。

学生のうちなんか子供ですから、それと大人は全然違うのです(同じ人も居ますが)。

それを踏まえて世の中を見た時に、異性と付き合うのも良いかもと思うかもしれません。


ひきずるのは人間だから誰しもあることですが、ひきずりすぎは病的です。

せめて3年。中学生のことで引きずるのは、高校生まで。それ以上は、今やるべきことから現実逃避するための口実に利用しているだけです。

過去は変えられませんから、いい加減、水に流しましょう。


そのためには、一回、白紙に戻してみる。

一度、捨てる。

全部、捨てることです。


部屋の模様替えをしたければ、まずそこらじゅうのゴミを全部、捨ててからでないと始まらないのです。


なので、捨てるのに判断をしちゃいません。

「やろう歴」が長いものは、賞味期限が切れているのです。

賞味期限が切れているものを、要るかな、要らないかなと判断するのは超ナンセンスです。

今まで溜め込んだのがあなたの場合に、あなたに聞いたら、ほとんど要るって言うに決まってるじゃないですか。

判断しようとすること自体が、諸悪の元凶なのです。

だから判断しちゃダメ。

「やろう歴」が長いものは、判断せずに、全て捨てる。

腐った生ごみですから、全部まるごとゴミ箱へGO! です。


これでスッキリ♪

気分爽快です♪


で、白紙に戻したら、新鮮な気持ちで、白いキャンパスに、あらためて、したいこと、やりたいことを思いっきり描けば良いのです。


素敵な未来を描きましょう♪


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(^人^)

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