「きっかけ」を求めない | プラクティス

「きっかけ」を求めない

成功者のインタビューなどで、よく「きっかけ」を尋ねる人がいます。

おそらく、それが大多数が聞きたいことなのだと思います。


でも、その聞きたい欲求そのものがイケナイことだと理解できる人は、あまり居ません。


なぜ欲求そのものが良くないか。

それは、「自分探し」とほぼイコールだからです。

「自分探し」にしても、「きっかけ」を求めるにしても、その根底には、


「自分にもそれさえあれば…」的な依存が、共通してあるからです。


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・解説

受験でも、スポーツでも、仕事でも、それを成し遂げるのは、「きっかけ」ではなくて、「やり続けること」です。

誰だって、「きっかけ」くらいはいくらでもあるのです。

3日坊主になったことも多々あるでしょう。

「きっかけ」で人生が変わるんでしたら、みんな変わってます。

こう言うと、「きっかけ」ではなくて、「すごいきっかけ」という風に謎のパワーアップをさせる人がいます。

そういう人のために、「すごいきっかけ」で世の中を見てみましょう。

たとえば、マラソンの高橋尚子は、小出監督との出会いの「きっかけ」で変わったと言えなくもないですが、小出監督と出会えた人なんていくらでも居るのです。実際に教わった人もかなりの数になるでしょう。もし、「きっかけ」で変わるならみんなオリンピック級になっているハズです。でもそうなってないのは、「きっかけ」じゃないからです。高橋尚子が優勝したのは、途中で放り投げずに、ず~っと「やり続けた」から変わったのです。

イチローは仰木監督との出会いがあって花が咲いたなんてのもよく言われます。
そして自分にもそういう出会いがあれば、と監督や上司に期待する人もいます。
でも、それを言って良いのは、イチローと同じくらいやった人だけです。
イチローの練習量がまず最初にあって、その上でチャンスがあったから、花が咲いたのです。
一般人が仰木監督と出会っても、どーしよーもありません。

「ips細胞」にしても、「発光ダイオード」にしても、その発想を可能にする土台があって初めて、アイデアという「きっかけ」が生まれるのです。最低でもその分野の学問を納めてなければ閃きも何もありません。

あるいは、「きっかけ」さえあれば楽しく続けられると勘違いしている人も居ますが、実際のところ、どんなに好きな人でも途中で止めようと思ったことは何度でもあるのです。ただ、そこで止めずに「やり続けた」から変わったのです。


「きっかけ」は、よ~いドンのピストルの音みたいなもので、後は自分の足で走っていくしかありません。


それなのに、「きっかけ」に出会った途端に、ゴールに行けるという風に、ぶっとんだ妄想を膨らませるのは、「夢」じゃなくて頭の中にお花が咲いているだけです。


で、先に「その聞きたい欲求そのものがイケナイこと」と言いました。

それは何故でしょうか。

それは、

「『きっかけ』さえあれば」と願うのは、

裏を返せば、

「自分は『きっかけ』がないとダメな奴なんだ」と、

自分にマイナスのイメージを植え付けているのと同じだからです。


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