本命
問題です。
もし、ある人が、一か月間、恋人を放置していたとしたら、
その人は、本当に恋人のことを好きだと思いますか?
どうでしょう?
仮に、あなたがその恋人だとします。
相手は、メールや電話など具体的な行動をしてきませんでした。一か月間も。
その件について聞くと、「でも君のことを思っていた」とか力説しています。
その話を聞いて、「本当にそうだ」と思えますか?
どうでしょう?
行動は雄弁ですよね。
思いはいくらでもウソをつけます。
人間は、浮気の現場を見られたって、「これは浮気じゃない」と言える生き物です。
で、ここからは夏らしく、ちょっと寒気がする話をしましょう。
人間は、こういうことを「夢」に対して、いくらでもやっているのです。

どうでしょうか?
心当たりの無い人は、居ないと思います。
でも、ここまでは、全人類共通ですから良いのです。
問題は、「恋人」を放置していた後にとる行動です。
放置していた事実があるのに、それを認めず「でも君のことを思っていた」と言うのはどうでしょうか。
うそつきで、きたなくて、見苦しくないですか。
本当に思ってたなら、まず謝って、行動ができなかった理由を言って、次は連絡をするようにする、くらいの誠意を見せるでしょう。
あるいは、興味がなくなったことを正直に伝えるでしょう。
どちらかです。
「自分はこんなに思ってるから」と、「思い」を「行動しなかったことへの免罪符」として使い、自分は悪くない、自分は良い人で居続けようとする自己保身、自分に酔ってる姿が、他人から見ると………なのです。
それって、人を玩ぶ(もてあそぶ)ホストやキャバ嬢がよくやることです。
で、これも夏らしく、ちょっと冷気を送りましょう。
人間は、こういうことを自分に対して、いくらでもやっているのです。

で、ホストやキャバ嬢のように、自分から行動しなくてもあっちから「お金」が来ないかな~とか夢想したりします。
酔っちゃってるのです。
酔ってしまうと正常な判断が出来なくなります。
小学生でもわかることが理解できなくなるのです。
「酒」と「金」と「若さ」を失うまで正気に戻らない人も沢山居ます。
こうならないために、しっかりと「恋人」と向き合いましょう。
ずっと放置してきた「恋人」と真剣に付き合うのか、別れるのか。
もう、2つに1つ。「思ってはいる」は、ナシです。
散々放置しておいて、「思ってはいる」も何もありません。
付き合うなら、行動する。別れるなら別れる。
ハッキリして、もし次に、行動しなかったら別れる。
将来のことを真剣に考えるなら、これくらい当然です。

ここで言う「恋人」は「夢」です。
保留や放置してきた人は、いったんお別れです。
そうした方が、お互いのためになります。
一回、全てと別れてみて、本当にやりたいことを考えてみるのです。
その答えが、前と同じだったら、また改めて、それをすれば良いのです。
今まで、やってこなかった全ての夢を捨てましょう。
昨日、今日、描いた夢でなければ、
長い期間があったのですから、できたハズ、やったハズです。
こういう話は、いくらでも、どこまでも、延ばすことが出来ます。
死ぬまで先送りする人もいます。
するのは自由ですが、事故にあったり、死期が近づいた時になって、猛烈な後悔に襲われます。
夏休みが終わって、あれをすれば良かったと後悔するのは誰でも出来ます。
でも、人間は時空を超えられるのですから、
夏休みが終わる前に、あれをすれば良かったと後悔することも出来るのです。
いつまでも、あると思うな、親と金です。
脅す訳では無く事実として、親も金も会社も若さも健康も、いつまでもあると限りません。
親孝行したい時には、親は無しと言います。
夢も一緒です。
現代人は、大事なものを放置して、どうでも良いものを追いかけています。
しっかり自分の胸に手をあてて考えてみれば、思い当たる節があるハズです。
どうでも良いものを追いかけて、どうでも良いものを手に入れて、それで幸せになるでしょうか。
どうでも良いものを追いかけて幸せになる道理はないのです。
これは、本当に腑に落ちるまで何度でも、考えてみてください。
どうでも良いものを追いかけて幸せになる訳がない。
どうでも良いものを追いかけて幸せになる訳がない。
どうでも良いものを追いかけて幸せになる訳がない。
逆に、不幸になる確率は、年を取るほど高くなります。
周りを見回して、本当にそうか、しっかり考えてみると良いでしょう。
ホントにそうだなと腑に落ちれば、それは一生の財産になります。
良い人生は、大事なものを追及する人生です。
大事なものを追い求めれば幸せになれるのです。
そりゃ、不慮の事故等ありますから100%ではないかもしれませんが、
どうでも良いものを追いかける人生よりは、絶対に幸せになれます。
たとえ、志半ばで倒れたとしても、です。
だから、大事な「夢」を決めましょう。
それにはまず、放置していた「夢」と「さよなら」することです。
放置していたというのは、「夢」を追いかける時間の代わりに、
どうでも良いものを追いかけるのに時間を使ったということです。
大事なものより快楽を優先させた。
まず、その事実をしっかり認識しなければなりません。
でないと、どこぞの二股で泣く芸能人と同じになってしまいます。
後で泣かないためにも、大事なものに絞りましょう。
そのために、まず、全てと別れるのです。
別れてみることで、本当に大事なものが見えてきます。
見えてきたら、今度こそは、それを大事にして生きましょう。


・山口百恵~最後の言葉と「さよならの向う側」
もし、ある人が、一か月間、恋人を放置していたとしたら、
その人は、本当に恋人のことを好きだと思いますか?
どうでしょう?
仮に、あなたがその恋人だとします。
相手は、メールや電話など具体的な行動をしてきませんでした。一か月間も。
その件について聞くと、「でも君のことを思っていた」とか力説しています。
その話を聞いて、「本当にそうだ」と思えますか?
どうでしょう?
行動は雄弁ですよね。
思いはいくらでもウソをつけます。
人間は、浮気の現場を見られたって、「これは浮気じゃない」と言える生き物です。
で、ここからは夏らしく、ちょっと寒気がする話をしましょう。
人間は、こういうことを「夢」に対して、いくらでもやっているのです。

どうでしょうか?
心当たりの無い人は、居ないと思います。
でも、ここまでは、全人類共通ですから良いのです。
問題は、「恋人」を放置していた後にとる行動です。
放置していた事実があるのに、それを認めず「でも君のことを思っていた」と言うのはどうでしょうか。
うそつきで、きたなくて、見苦しくないですか。
本当に思ってたなら、まず謝って、行動ができなかった理由を言って、次は連絡をするようにする、くらいの誠意を見せるでしょう。
あるいは、興味がなくなったことを正直に伝えるでしょう。
どちらかです。
「自分はこんなに思ってるから」と、「思い」を「行動しなかったことへの免罪符」として使い、自分は悪くない、自分は良い人で居続けようとする自己保身、自分に酔ってる姿が、他人から見ると………なのです。
それって、人を玩ぶ(もてあそぶ)ホストやキャバ嬢がよくやることです。
で、これも夏らしく、ちょっと冷気を送りましょう。
人間は、こういうことを自分に対して、いくらでもやっているのです。

で、ホストやキャバ嬢のように、自分から行動しなくてもあっちから「お金」が来ないかな~とか夢想したりします。
酔っちゃってるのです。
酔ってしまうと正常な判断が出来なくなります。
小学生でもわかることが理解できなくなるのです。
「酒」と「金」と「若さ」を失うまで正気に戻らない人も沢山居ます。
こうならないために、しっかりと「恋人」と向き合いましょう。
ずっと放置してきた「恋人」と真剣に付き合うのか、別れるのか。
もう、2つに1つ。「思ってはいる」は、ナシです。
散々放置しておいて、「思ってはいる」も何もありません。
付き合うなら、行動する。別れるなら別れる。
ハッキリして、もし次に、行動しなかったら別れる。
将来のことを真剣に考えるなら、これくらい当然です。

ここで言う「恋人」は「夢」です。
保留や放置してきた人は、いったんお別れです。
そうした方が、お互いのためになります。
一回、全てと別れてみて、本当にやりたいことを考えてみるのです。
その答えが、前と同じだったら、また改めて、それをすれば良いのです。
今まで、やってこなかった全ての夢を捨てましょう。
昨日、今日、描いた夢でなければ、
長い期間があったのですから、できたハズ、やったハズです。
こういう話は、いくらでも、どこまでも、延ばすことが出来ます。
死ぬまで先送りする人もいます。
するのは自由ですが、事故にあったり、死期が近づいた時になって、猛烈な後悔に襲われます。
夏休みが終わって、あれをすれば良かったと後悔するのは誰でも出来ます。
でも、人間は時空を超えられるのですから、
夏休みが終わる前に、あれをすれば良かったと後悔することも出来るのです。
いつまでも、あると思うな、親と金です。
脅す訳では無く事実として、親も金も会社も若さも健康も、いつまでもあると限りません。
親孝行したい時には、親は無しと言います。
夢も一緒です。
現代人は、大事なものを放置して、どうでも良いものを追いかけています。
しっかり自分の胸に手をあてて考えてみれば、思い当たる節があるハズです。
どうでも良いものを追いかけて、どうでも良いものを手に入れて、それで幸せになるでしょうか。
どうでも良いものを追いかけて幸せになる道理はないのです。
これは、本当に腑に落ちるまで何度でも、考えてみてください。
どうでも良いものを追いかけて幸せになる訳がない。
どうでも良いものを追いかけて幸せになる訳がない。
どうでも良いものを追いかけて幸せになる訳がない。
逆に、不幸になる確率は、年を取るほど高くなります。
周りを見回して、本当にそうか、しっかり考えてみると良いでしょう。
ホントにそうだなと腑に落ちれば、それは一生の財産になります。
良い人生は、大事なものを追及する人生です。
大事なものを追い求めれば幸せになれるのです。
そりゃ、不慮の事故等ありますから100%ではないかもしれませんが、
どうでも良いものを追いかける人生よりは、絶対に幸せになれます。
たとえ、志半ばで倒れたとしても、です。
だから、大事な「夢」を決めましょう。
それにはまず、放置していた「夢」と「さよなら」することです。
放置していたというのは、「夢」を追いかける時間の代わりに、
どうでも良いものを追いかけるのに時間を使ったということです。
大事なものより快楽を優先させた。
まず、その事実をしっかり認識しなければなりません。
でないと、どこぞの二股で泣く芸能人と同じになってしまいます。
後で泣かないためにも、大事なものに絞りましょう。
そのために、まず、全てと別れるのです。
別れてみることで、本当に大事なものが見えてきます。
見えてきたら、今度こそは、それを大事にして生きましょう。


・山口百恵~最後の言葉と「さよならの向う側」