大宮氷川神社は、とても古く歴史ある神社ですが、「アラハバキ」の名前を消し去ったり、ちょっと納得いかない流れを感じます。
創建は紀元前の話しらしいですが、歴史的文化財は殆ど所蔵していない。
それに比べ氷川女体神社は鎌倉時代辺りからの文化財がたくさん残されているらしい。
…なんで?
ちなみに、大宮氷川神社は、3社で1つとも言われています。
中央にある中山神社は中氷川とも呼ばれ、氷川神社、氷川女体神社は、それぞれ、冬至、夏至のレイラン上に位置するそうです。
氷川女体神社では、龍を祀る御祭りが古くから行われており、江戸時代に土地の開拓が進むまでは実際に見沼に船を浮かべ、龍神様に御供えなどをしていたようです。
スサノオのヤマタノオロチ伝説を元にして始めたお祭りなら、スサノオを称えるお祭りになって、龍は主役にならないよね?…という素朴な疑問。
そして、オタケさんと呼ばれる女性の龍の祟りの話し。これは江戸時代。龍の住みかの見沼の埋め立て事業をしたら祟られたって話しがある。
そもそも、スサノオに退治されてないじゃん…
一方、中氷川と呼ばれる中山神社では、古くから火のお祭りがある。
火渡りの行事。
あれって今はお寺でやるやつよね???
古代出雲は鉄の民族だから、火とは切っても切れない間がらとも言える。
主祭神が大己貴命、オオクニヌシだしね。(スサノオの義理の息子)
見沼のオタケって、…オタケってことは、御岳のこと?
火渡りってことは、やはり山岳信仰?
氷川神社はあまりにもスサノオの影が薄い。
スサノオというか、アマテラス『太陽』が似合わなすぎるのか???
山岳信仰も含めて、火(カ)と水(ミ)で神とする、縄文からの信仰を感じる。
調べていくと、昔は武蔵の国の一の宮は小野神社で、氷川神社は三の宮だった事が判明!!!
一の宮の小野神社の祭神は、ニギハヤヒが天孫降臨の際にお付きだった神様。アメノシタハル。
日本書紀では、かなりマイナーな感じ…。
事実上、ニギハヤヒがやはり一番上だったって事かしら?(想像です)
奈良の大仏を作った聖武天皇の時代に、なぜかか武蔵国一の宮は氷川神社になる。
それと同時に五の宮だった金鑚神社の神様も二の宮に昇格。一緒に祀られることになったらしい。。
この時代の氷川神社は、大己貴命、つまりオオクニヌシが主祭神だったようです。
氷川が、出雲の簸川(ひかわ)から付けた名前と言われているので当然よね。
ちなみに金鑚神社は、大神神社や諏訪大社と一緒で本殿がない、山そのものが御神体で原始信仰の形に近いと言われる神社。
古来の火に関係する神様を祀ってると思われます。
その後、経緯は定かでないけれど、金鑚神社の神様は姿を消し、江戸時代には、中央には大己貴命が祀られ、その両親のスサノオとクシイナダヒメが両隣に配置されていたという記述があるそうな。
つまり、主祭神をスサノオとしたのは、歴史がかなり浅いという事だけは確かだ。
出雲の国津神の神様が武蔵国一の宮の主祭神というのが、もしかして明治政府は気に入らなかった??
だから、出雲色を塗り替えようと、アマテラスの弟であるスサノオを主祭神として、大国主の色を薄くしたのかしら。
明治になると、すぐに明治天皇が訪れているから、氷川神社とその当時の権力者との結び付きはかなり強そうな気もする…。
この辺は歴史のタブーに足を突っ込むことになりそうなので、深堀りは止めておこう…。
次回は、ちょっとファンタジーな視点から大宮氷川神社を見てみたいと思います