巷の【演技系】のワークショップなどをみていると【表現力】をメインにした物が多いと感じるのですが…




僕は【表現力】も大切だとは思うけど、それよりも【何】を表現するかの方が圧倒的に大事だと思っています。

それは【表現力】をいくら身に付けたとしても【何】を表現するのかが間違っていたら、その【表現】自体が間違っている事になると思うからです。

確かに【演技】には【表現力】は必要不可欠です。しかし、それだけでは決して良い【演技】にはならないのです。

では、【演技】に必要なものとは【何】かを考えてみましょう。

正しさを通すことと、支配することは、最初は同じ顔をしている。最近、自分の中でそれがはっきり分かれて見えるようになった。





正しさを通すこと自体は、悪いことじゃない。誰かに「それはおかしい」と思って、伝える。それは普通のことだ。


問題は、相手がそれをどう受け取るかを、一切考えずに押し付けた時だ。


そうなった瞬間、それはもう「正しさ」じゃない。「支配」に変わる。


俺はそれを、長い間、わからなかった。


最初の結婚の時の話をする。


許せないことがいくつもあった。

平気で嘘をつくこと。誤魔化すこと。

子供を作るならタバコはやめた方がいいと言っても、隠れて吸っていたこと。


使っていない部屋で、吸い殻を見つけたことがあった。それを問い詰めたら、誤魔化された。しらを切られた。それで喧嘩になった。


一度喧嘩になると、それだけじゃ済まなかった。部屋が片付けられないこと。車の中が汚いこと。押入れの中に洋服が投げ込まれて、満載になっていること。


普段は黙っていたことまで、全部一緒に持

ち出した。


今思えば、俺は「正しいこと」を言っていたつもりだった。

タバコはやめた方がいい。

嘘はつかない方がいい。

片付けた方がいい。


どれも、間違ってはいない。でも、それをどう伝えていたかが、問題だった。


強い言葉で言った。何度も。喧嘩のたびに、過去の不満まで全部引き出して、ぶつけた。


相手がどう感じているか、どう受け取っているか。そこへの関心が、俺にはなかった。


ただ「正しいことを言っている自分」がいただけだった。


決定的だったのは、ある夜のことだ。


普段、彼女は俺に「連絡してよ」とよく言っていた。それは彼女が俺に求めていたことだった。


その夜、彼女自身が連絡もせずに、帰りが遅かった。俺は腹が立った。「自分はいつも俺に要求するくせに」と思った。


その怒り自体は、別におかしくはなかったと思う。でも、俺はそれを話し合いに持っていかなかった。


「帰って来るな」と言って、それから家に入れなかった。これが、俺のやり方だった。


タバコや部屋の件では、自分の正しさを相手にぶつける力だった。この夜は、相手を関係から断つ力だった。


形は違う。でも、根っこは同じだ。


自分が「正しい」と感じた瞬間、相手の事情や言い分を聞く前に、力で押し切るか、関係を断つかしか、俺にはできなかった。


それから何度か、彼女から「話したい」と言われた。でも、その時にはもう、やり直せる気がしなかった。だから応じなかった。


そのまま別居になり、しばらくして家庭裁判所から離婚調停の呼び出しが来た。


調停で、彼女は復縁を望んだ。それが無理なら、ということで、こちらに途方も無い賠償の話を出してきた。


嫌がらせだとしか思えなかった。払えない事を理由に復縁を迫ってきたのだ。それで、完全に別れる決意をした。


賠償金の額に反応したというより、もう一度ちゃんと向き合うこと自体から、逃げたんだと思う。


ここまで書いて、ようやく見えてきたことがある。


俺は、嘘やタバコや汚れた部屋を、正そうとしていたつもりだった。


でも、相手に手渡していたのは、正しさじゃなかった。力だった。


そして、自分が正しさを求められた時も、同じだった。話し合うことより、関係を断つことを選ん

だ。


正しさをぶつける時も、正しさを求められた時も、俺は同じことしかできなかったんだと思う。


これは、結婚に限った話じゃない。


職場でも、友人関係でも、誰かと誰かの間でも、同じことが起きていると思う。


自分が「正しい」と感じた瞬間、相手がどう感じているかが、見えなくなる。


そうして、力で押し切るか、関係を断つかのどちらかを選んでしまう。


それは、正しさを通したことにはならない。ただ、相手を支配したか、相手を切り捨てたか、そのどちらかだ。


じゃあ、どうすればよかったのか。


正しさを、いったん手放すことだ。


いや、正しさを伝える前に、相手の感じ方を先に置くこと。それが、どういうことなのか。


次は、そこを具体的に書いてみようと思う。




からの続き




20代の頃、アメリカ留学中に同棲していた彼女がいた。




彼女が俺の友達を通じて好意を持っている事を伝えて来て交際が始まり、海外ということもありすぐに同棲し始めた。


ちゃんと彼女のお母さんには電話で二人は真剣であることを話して許可を得ての同棲だった。


3、4年位一緒にいたかな…


その間にうちの母親が遊びに来たこともあったし、彼女の母親、弟、従姉妹が遊びに来たこともあった。


一時帰国した時には、うちの実家にも泊まりに来て両親にも会っていたし、アメリカへ帰る時には成田で彼女の父親にも会った。


当人も周りもいずれ結婚するんだろうと思っていたと思う。


しかし、そうはならなかった。


ある時に大喧嘩をした。何が原因だったかも覚えていない。ただ、その後、同じ部屋にいながら、一切口をきかなくかった。


お互いにではない。彼女は何度も話し合いをしようとしてきたが俺が無視をした。


一日や二日じゃない。一週間でも、二週間でもない。一ヶ月以上、続けたと思う。


そしたらある日、バイトから帰ったら、彼女は荷物を持って出ていった。


めちゃくちゃ頭にきた!


自分が無視し続けて、話し合いにも応じなかったくせに、捨てられた!諦められた!そんな風に感じたんだと思う。


今思えば、めちゃくちゃな話だ。悪いのは全部俺なのに!


二人の関係を【諦めた】のは間違いなく俺だった。


猫にやったことと、彼女にやったことは、同じ形をしている。腹が立つと、相手を力で抑え込むか、完全に無視するか。そのどちらかしかできなかった。


猫が噛んで、引っ掻いて、逃がる猫を俺は箒を持って追いかけて網戸に追い詰めた。


そして、放置した。彼女が出ていくまで、俺は口を開かなかった。


どちらも、相手が「逃げる」か「壊れる」まで、自分の怒りを止められなかった。


それから何年も経った。


うちの猫は、未だに俺の前でビクビクしている。急に手を伸ばすと、びくっと身を引く。声が少し大きくなっただけで、部屋の隅に逃げる。撫でようとしても、最初の一瞬、必ず身構える。


猫はもう大人になっている。それでも、その時の反応がまだ抜けていない。


最近、それを見ていて、ふと思った。

これは、躾の成果じゃない。

これは、トラウマだ。


俺は、あの時、猫に何を教えたつもりだったんだろう。「盗み食いはダメだ」ということを教えたつもりだった。


でも、猫が実際に受け取ったのは、それじゃなかったと思う。


猫が受け取ったのは、「この人は、自分の気に入らないことがあると、力で抑え込んでくるし、時に

は完全に見捨てる」という、もっと単純な、もっと身体的な事実だ。


理屈は通っていない。猫に理屈は分からない。伝わるのは、ただ「強さ」と「怖さ」だけだ。


俺は、自分の中の【正しさ】

――盗み食いはいけない、これは教育だ――

を通すことに必死で、猫がそれをどう受け取るかなんて、考えていなかった。


これは、躾じゃない。

ただの、押し付けだ。


ここまで書いて、気づいた。これ、猫だけの話じゃない。


前回の記事で、俺は何人もの女性と関係を持ってきたと書いた。でも、その関係の多くが、すれ違いや喧嘩で簡単に終わっていったとも書いた。


正直、そこには共通点があった。


俺はいつも、自分が「正しい」と思ったことを、相手にぶつけていた。


「自分の気持ちには嘘をつけない」と思って、本音をそのままぶつけた。


「本当の愛を知らない」とか

「君を愛してるのかわからない」とか


それで何度も関係を壊してきた。


俺はただ「これが恋愛のやり方だ」とハウツー本で学んだことを、そのまま実践して関係を始めてきただけだったんだ。


技術として、ある程度うまくいったこともあった。でも、それは関係の【始め方】であって、相手を【大切にする方法】ではなかった。


猫に対してやったことと、同じだ。


自分の中の正しさ

――こうあるべきだ、こうするべきだ――

を、相手がどう感じるかより先に置いていた。


それは、愛じゃない。支配だ。【愛する】ということが、何なのか。


今、猫を見ていて、少しだけ分かってきた気がする。


それは、自分の正しさを通すことじゃない。


良いところも、困った癖も、矯正できない弱さも、全部含めて、その存在をそのまま受け止めることだ。


盗み食いをする猫を、力で変えようとするんじゃなく、盗み食いをする猫として、まず受け止める。


その上で、どうすればいいかを、一緒に探していく。

それが、愛なんだと思う。


俺はそれを知らなかった。だから、猫にも、人にも、同じことをしてきたんだと思う。


それでも、書いておきたいことがある。


今、猫は俺のベッドに来て、隣で寝る。デスクで作業していると、足元に来る。トイレに入っていると、目の前で出て来るのを待っている。


大きな音がしたり、俺が急に立ち上がったりすると、まだベッドの下に隠れる。あの時のことは、消

えていない。でも、それでも、この猫は俺の隣を選んでいる。


いや、ただ選択肢がないだけなんだろうけど…、それでもそれがどれだけのことか、今は分かる。


これは、俺がやったことが帳消しになるという話じゃない。怯えは怯えのまま、ちゃんと残ってい

る。それを軽く扱ってはいけない。


ただ、その怯えを抱えたまま、それでも隣にいてくれている。その事実だけは、ちゃんと受けめなければいけないと思う。


時間をかけて、信頼を取り戻していくしかない。


それは、簡単なことじゃない。でも、初めて、何をすればいいのか、輪郭が見えてきた気がする。


これは恋愛の話で終わる話じゃない。たぶん、人と人が関わるすべての場面に、同じ構造があるんだと思う。


次は、そのことについて、もう少し書いてみようと思う。