日々ぼくの言っている眼鏡というのは抽象的な理念ではありません。生活という基礎がなければ本当の眼鏡とはよべないのです。だけど生活する為だけの眼鏡なら、もうそれは毒にも薬にもならないたんなる眼鏡です。ぼくらのいう眼鏡はそれではない。そうじゃねーんだよ、と。そうじゃないでしょ、って。しつっこい酔っぱらいのように俺ら、なんべんでもクリクリにクリ返そ う! そうじゃないでしょ、って。
世のあらゆる美徳のうち、なぜかしらん眼鏡の美徳だけを、常軌を逸して神秘化し、ほとんど不条理に到るまで誇張してみた結果、いくつかのやや度のつよめな眼鏡歌が得られましたのです。あれは晩秋であった。で、格言。
むざんやな眼鏡の下のきりぎりす、って。
そもそも眼鏡とは、苦界なるこの世の花鳥風月をながめるため、つかのまの極楽気分を味わうため、に必須の品。
しかしながらそこには地獄の裏づけがあることを常に忘れてはならぬ。と、そんなことを昨夜遠山と酒を酌み交わしながら語っていたらお互い感極まって少し泣いてしまった、おたがい得意の眼鏡をはずして涙をぬぐったりなんかして。かわいいんだ。