新聞に古紙の値段が下がりましたと載っていました。若い頃ちり紙交換で収入を得ていたことがあり、そのときも同じようなことが起きました。

 35年位前、東京の小岩でかみさんと同棲中にアルバイトニュースを見て、ちり紙交換を始めました。
 
 アルバイトニュースに募集を出していた○○さんは、アパート暮らしで奥さんと子供さんとの3人で暮らしでした。車は自分が乗る車と、私が乗る車と2台しかありません。

 アルバイトでやっているうちに、新聞の値段がどんどん上がり、最高で1kg70円位になりました。

 私は、専門学校に通いながらのアルバイトでした。その当時、家庭から回収してくる新聞の量は仕切り場ではトップクラスでした。一日働くと車の賃借代やガソリン代ちり紙やトイレットペーパーの経費を払っても、手元に2万位は残りました。その何年か前に田舎の役所に勤めていて月給が2万ちょっとでしたので、結構な収入です。

 ま、アルバイトですので学校の休みとか気楽にやっていましたが、収入は友達とのみに行ったり、週に何度も焼肉食べにいったりとかで綺麗に使っていました。

 かみさんは、小岩の駅ビルの婦人服売り場で働いていましたが、休みの時は一緒にトラックに乗ってちり紙交換に出かけました。

 私は、その当時、誰もやっていないことで量を集めていました。それは、戸別訪問です。独身・学生等の男性の部屋は結構溜まっているんです。回収して結構喜ばれました。おかげで、アパートや民家をみて留守かどうかの判断が出来るようになりました。

 ちょっと、話がずれました。

 古紙の値段が上がっていく状況をみて、○○さんは賭けに出ました。軽四輪のトラックをリースし、アルバイトニュースで人を募集して事業を拡大していきました。1年ちょっとで、○○さんは新小岩駅そばのマンションに住み、そこに○○商事と看板をだし、向かいの空き地に軽四輪のトラックを30台弱置くほどになりました。

 私は、専門学校を卒業して進路も決めていませんでしたので、すこしアルバイトを続けることにして、車の借り賃を払わなくて済むように○○さんから借りていたトラックを購入しました。軽四輪の汚いトラックでしたが、かみさんとよくドライブしました。

 ところが、紙の値段が下がり始めました。今までと同じ量を運んでいって、2万が1万5千円になり1万になり、5千円に下がりついには経費も出ない状態になりました。

 私は、収入が5千円まで下がったときに、見切りをつけて仕事を探しはじめました。3千円くらいまで下がったときに、東神田の会計事務所に勤めることができました。

 そのあと、しばらくして○○さんがアパートを訪ねてきました。今度は、焼き芋をトラックで売る商売を始めたので手伝わないか、というお話でした。もう、勤めているからとお断りしました。いまもマンションに住んでいるんですかとか、あれだけの車どうされたんですか、なんてとても聞けませんでした。

 商売は、環境適応業です。その環境に波がある以上は、波に乗ったら下がる時に備えなえればなりません。波まかせで生きて、喜んだり悲しんだりは、なるべくしたくないと思います。ジェットコースターと同じで、昇っていったら次は下がるぞと、気持ちを下りに備えて引き締める事が大切だと思います。あるいは、別の大きな波を捕らえるとか・・・・・・

 ○○さんが、アルバイトニュースを見て訪ねていった私にいった言葉が忘れられません。

  『10年以上やっているけど、ちり紙交換で食うに困った奴はいない。』

 いま、70歳くらいかな、ちょっと懐かしい