ブログネタ:思い出のバイトは?
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むかし、東京東村山市小平のボロアパートに住んでいたことがあります。このアパートの2階の住人は4人、入り口から美大生(男)と女子大生、私が3軒目で奥が大工さんでした。
4人は、今では考えられないような交流をしていました。お互いの部屋の鍵は掛けず、何か必要なものがあれば、留守中でも部屋に勝手に入り無断で借りていく、そんな仲でした。
あるとき、美大が『ダスキンのアルバイトを申し込んだが、営業は自信が無いから行かないことにする』と話しているのを聞き、ちょうど何もしていなかった私が『じゃ、俺が変わりに行こうか』ということになった。なにせ、若かった。
翌日から、美大生に成りすましダスキンのアルバイトに出かけた。これ、時効ですよね。名前も友人の名前でバイトしていましたので、ちょっと気になるところです。
営業報酬は、5件まではいくらで8件以上はいくらと、件数が増えればそれに伴って報酬の額が上がっていくシステムでした。基本的には申込金が手当てになるのですが、一定の基準を超えると回収してきた金額よりも多くもらえます。
私は、小平の駅向こうにブリヂストンの社宅があるので、そこを歩くことにしました。後で聞いたけど、この団地には専属の人がいて他の人が行っても難しい地区だったそうです。
私は、営業のことは何も分からないので、とにかく軒数を歩くことを考え最上階に上り下がってくるということの繰り返しを、延々と続けました。
初日、私の契約数は18件でした。会社に戻る電車の中では、皆はもっと契約できているんだろうと、ちょっと暗い気持ちでした。でも、会社に戻ると5件も契約を取れていない人がほとんどでした。本業の人はわかりませんが、バイトの中ではトップでした。
それから、毎日20件前後の契約を上げていきました。一日あたりの給料は7~8千円位あったと思います。1年位前に辞めた田舎の市役所では、月給が2万円くらいでしたので、結構な収入でした。(月給2万って、何十年前の話だ!!と突っこまれそう)
半分冗談ではじめたバイトでしたが、『あまり必要ではないようだけど、ちょっと押せば契約してくれる』と見えるようになり、『1件取れば基準が変わり収入が増える』と計算し押して契約を取るようになり、なにか自分が大切にしているものを自分で壊す作業をしているように思うようになりました。
それで、収入は良かったのですが、自分が変わっていくのが怖くなり辞めました。このときの収入は、アパートの皆で酒を飲んだりワイワイやったりで使ってしまい、何も残りませんでした。
この後は、家賃が払えなくなり、しばらく近くの製パン工場に住み込みで働いて家賃を払ったりとか、結構スリリングな生活でした。パン屋さんでは、残業を月に130時間くらいしていました。俺って、頑張り屋さんでしょ。
このときも、給料を貰うと家賃を払いに帰って、アパートの友人とワイワイ酒を飲んだりして、何も残りませんでした。なにせ、みんな財産は若さだけで、誰もお金は持っていませんでしたから『払える奴が払う』そんな感じでした。
私も、食べものが無いときは食べさせてもらったり、具合が悪くなり寝込んだときは、おかゆを作って貰ったりしていました。あの時は、大家さんも心配して薬を持ってきてくれました。 あの頃が、懐かしい、皆はいまどうしているだろう・・・・・。
むかし、東京東村山市小平のボロアパートに住んでいたことがあります。このアパートの2階の住人は4人、入り口から美大生(男)と女子大生、私が3軒目で奥が大工さんでした。
4人は、今では考えられないような交流をしていました。お互いの部屋の鍵は掛けず、何か必要なものがあれば、留守中でも部屋に勝手に入り無断で借りていく、そんな仲でした。
あるとき、美大が『ダスキンのアルバイトを申し込んだが、営業は自信が無いから行かないことにする』と話しているのを聞き、ちょうど何もしていなかった私が『じゃ、俺が変わりに行こうか』ということになった。なにせ、若かった。
翌日から、美大生に成りすましダスキンのアルバイトに出かけた。これ、時効ですよね。名前も友人の名前でバイトしていましたので、ちょっと気になるところです。
営業報酬は、5件まではいくらで8件以上はいくらと、件数が増えればそれに伴って報酬の額が上がっていくシステムでした。基本的には申込金が手当てになるのですが、一定の基準を超えると回収してきた金額よりも多くもらえます。
私は、小平の駅向こうにブリヂストンの社宅があるので、そこを歩くことにしました。後で聞いたけど、この団地には専属の人がいて他の人が行っても難しい地区だったそうです。
私は、営業のことは何も分からないので、とにかく軒数を歩くことを考え最上階に上り下がってくるということの繰り返しを、延々と続けました。
初日、私の契約数は18件でした。会社に戻る電車の中では、皆はもっと契約できているんだろうと、ちょっと暗い気持ちでした。でも、会社に戻ると5件も契約を取れていない人がほとんどでした。本業の人はわかりませんが、バイトの中ではトップでした。
それから、毎日20件前後の契約を上げていきました。一日あたりの給料は7~8千円位あったと思います。1年位前に辞めた田舎の市役所では、月給が2万円くらいでしたので、結構な収入でした。(月給2万って、何十年前の話だ!!と突っこまれそう)
半分冗談ではじめたバイトでしたが、『あまり必要ではないようだけど、ちょっと押せば契約してくれる』と見えるようになり、『1件取れば基準が変わり収入が増える』と計算し押して契約を取るようになり、なにか自分が大切にしているものを自分で壊す作業をしているように思うようになりました。
それで、収入は良かったのですが、自分が変わっていくのが怖くなり辞めました。このときの収入は、アパートの皆で酒を飲んだりワイワイやったりで使ってしまい、何も残りませんでした。
この後は、家賃が払えなくなり、しばらく近くの製パン工場に住み込みで働いて家賃を払ったりとか、結構スリリングな生活でした。パン屋さんでは、残業を月に130時間くらいしていました。俺って、頑張り屋さんでしょ。
このときも、給料を貰うと家賃を払いに帰って、アパートの友人とワイワイ酒を飲んだりして、何も残りませんでした。なにせ、みんな財産は若さだけで、誰もお金は持っていませんでしたから『払える奴が払う』そんな感じでした。
私も、食べものが無いときは食べさせてもらったり、具合が悪くなり寝込んだときは、おかゆを作って貰ったりしていました。あの時は、大家さんも心配して薬を持ってきてくれました。 あの頃が、懐かしい、皆はいまどうしているだろう・・・・・。