釣った魚にエサはやらないという言葉がありますが、

心優しいボケ松君は一生懸命エサをあげました。

           (*^_^*)

 

 あれから50年、釣った時はか弱そうに見えたのですが、今では体重は〇倍に態度は5倍以上に立派に育ちました。

           (;^_^A

 

 結果、家の片隅で小さくなって生きているボケ松君です。

 

 もう、二人とも70代です。この年になると子供も独立し

 、夫婦だけの静かな生活になっています。

 

 少し生活に賑わいをとペットショップへ、しかし驚きの金額 (◎_◎;)

 

 ボケ子さん 

  『 売ってるペットは誰かが買って幸せが待ってる。

    殺処分にされそうなワンちゃんやニヤンちゃん

    を飼うほうが良いんじゃない 』(*^_^*)

 

  ということになり、ボランティア団体主催のペット

  頒布会へ ・・・ 驚きの事実が ((+_+))

 

  老人世帯だと、ペットの方が長生きしてしまう。

  もしもの時、年老いたペットが残されて

  年老いたペットの次の飼手が見つかりませんので・・・

 

  と、丁寧なお断りのお言葉を頂戴致しました。

  ペット業界では常識のようす。

 

  自分より長生きするものは飼ってはイケない

  ということなんです。・・・ で ( *´艸`)

  

  ボケ松君はボケ子さんに言いました。

 

 ボケ松君 『 あれっ、どうしよう

        自分より長生きする生き物

        飼っちゃいけないんだって 』(´艸`*)

    

    なんて言ったて女性の方が平均寿命はね・・・

 

 ボケ子さん『 大丈夫、あんたは、

        私が飼ってるのだから 』(^。^)y-.。o○

 

 ボケ松君 『 ・・・・・・・・・ 』Σ(・□・;)

 

   一緒になって50年初めて知らされた真実 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家は最近までお嬢様(長男坊の娘)と私たち夫婦の3人家族でしたが、お嬢様が他県の大学へ行ってしまい、いまはボケ松君とボケ子さんの夫婦二人暮らしになりました。( ノД`)シクシク…

ボケ子さん 「 二人っきりの生活って新婚生活みたいね~ 」( *´艸`)

ボケ松くん 「 えっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」((((((ノ゚⊿゚)ノ

 

 お嬢様は長男坊が離婚して大阪から3歳の時に長男と一緒に帰ってきました。そのあと、長男坊は関西の方に働きに行って、何年か前から音信不通の状態です。(;^_^A

デジカメを初めて買った頃のお嬢様のピンボケ写真です(;^_^A

高校の卒業式です。

 

今年3月に高校卒業して、大学受験 ・・・・本命と滑り止めと滑り止めの滑り止めで3校受験しました。本命はちょっと背伸びしすぎで残念賞でしたが、滑り止めのほうは何とか受かり授業料の安いほうの大学へ入学することに (;^_^A

滑り止めの滑り止めで受けた大学も普通に比べればかなりお安いところだったのですが、こちらに比べればね (≧▽≦)

 

将来目標とする仕事に必要な資格が取れるところを選んで3校受験して、交通費・宿泊費・受験料・入学金設備費諸経費は2校分で驚くほどの金額になりました。入学辞退の学校からはいくらか返金があるようですが (;^_^A

 

お引越しは次男坊君の車で、

お部屋は後期受験でいい部屋はみんな決まっていて、ちょっとお高いオール電化の新築物件しか空いていませんでした。(ノ_・。)

本当は2階以上の部屋を探していたのですが、1階の部屋しか ・・・ヽ(;´Д`)ノ

 

入学式へ私が行ったのですが、会場に入りきれなくて何か所かに分かれて映像での参加になりました。入学式が終わった会場前、大きくない大学で約1300名の新入生になります。

市役所へ転入届を出しに行きました。

昼は学食で、夜は自炊を始めたのですが、何を食べているのやら (;^_^A

 

心配なのが、サークルの先輩連から居酒屋や食事に誘われてついて行っていること、

明日も、花見の買い付けで先輩の男子3名とお嬢様の4人で出かけるって

娘が大学へ行ったときは、しっかり者の娘で心配はしなかったんですよ

でも、世間知らずでちょっと奥手のお嬢様ですので心配で~す ヽ(;´ω`)ノ

 

今日、我が家は少しの不安と小さな幸せの入り混じった

             時の流れの中を漂っているようで~す。σ(^_^;)

 

 

Mちゃんです。

Mちゃん 『 一生ついているわけにもいかないし

        こんな風に閉じ込めておくわけにもいかないでしょ

             お嬢様を信じて、孫離れをしないとね 』v(。・ω・。)ィェィ♪

 

 

我が家は高校2年生のお嬢様(長男の娘)と私たち夫婦の3人家族です。

 

11月1日はお嬢様の17回目のお誕生日でした。

学校のお友達からは持ちきれないくらいのプレゼントを ・・・・ o(^▽^)o

いつもはケーキなのですが、お嬢様のリクエストで宅配ピザに

私からのお嬢様へのプレゼントは・・・・・・

だいぶ前

ボケ松君 『 お誕生日のプレゼント何が欲しいの~ 』(´∀`)

お嬢様  『 嵐のコンサート、抽選でなかなか当たらない 』(´_`。)

ボケ松君 『 やる前からあきらめちゃ駄目でしょ 』(^_^)

 

なんて言っていたら、あたってしまって

かみさん 『 あんた、チケット代と交通費に宿泊代

           いくらかかると思ってるの・・・ 』ヽ(`Д´)ノ

ボケ松君 『 俺の約束だから、俺がお金だすから ・・・ 』(;^_^A

かみさん 『 あっそう、だったら私もついいくから ・・・ 』(´0ノ`*)

ボケ松君 『 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 』( ̄_ ̄ i)

札幌にかみさんのお友達がいるんです。

 

交通費を節約するために11日フェリーで苫小牧経由で札幌へ向かいました。

乗員は99%が女性で、部屋に男は私一人でした。

ピンクの帽子がお嬢様のお友達です。

 苫小牧からレンタカーを借りて札幌へ、二人ともお疲れのようで寝てしまいました。

山のように見えるのが札幌ドームです。

嵐のコンサートは6時からだというのに、

早めの昼食を食べ二人は札幌ドームへ向かいました。

かみさんをお友達の待ち合わせの札幌タワーでおろし

私は時間つぶしのドライブです。

ドームへ行ってみると、まだ早い時間なのに長だの列が

夜は、近くのガストで待ち合わせ

8時45分に、終わったと連絡があったのですが、着いたのは9時45分

こんな状態ですので、出てくるのに時間がかかるのは分かります。

うれしそうに話すお嬢様を見ていると、疲れも飛んでいきます。v(^-^)v

苫小牧のホテルに泊まって朝一のフェリーで

向かって右側がお嬢様です。

フェリーの部屋は来るときも帰るときも男性(私)一人でした。

ただ違うのは、来るときはかみさん除いて他全員若い女性

帰るときは私以外は誰もいませんでした。

お嬢様たちはレディースルームに行きましたのでね

かみさんが、私が船酔いしていないか心配でやってきました。

老後資金が少し減りましたが、かみさんは5年ぶりにお友達に会えて

お嬢様はお友達と札幌まで嵐のコンサートを見に行ったという

一生ものの思い出ができました。

私は、出資者なのに運転手に荷物運びと時間つぶしに

大変な思いをしたらしいのですが、これもいい思い出です。

全員がいい思い出が出来たようなので、

安い出費かもしれません (;^_^A 

 

そうそう、最近お嬢様はお化粧をするようになりました。ヾ(@^(∞)^@)ノ

ボケ子さん 『 あんた、私のファンデーション持って行ったでしょ 』ヾ(。`Д´。)ノ

なんて話が時々あるんですよ。

ばあさんのファンデーションなんて、若い子がつけるんですかね ( ´艸`)

 

今日も我が家は幸せのときの流れに漂っていたようです。

 

 

母は死なないものと思っていました。

市民病院・日赤・労災と市内の大きい病院で

それぞれ別の病名で助からないと

身内の人に連絡をと医師から言われ

そのたびに元気になり退院してきました。

今回もそうだと思っていました。

酸素濃度が低くなって

救急車で市民病院へ

医師から『 肺に水がたまっていて・・・・ 』

母が暴れて吸引できなくて

 私   『 麻酔をかけて吸引してくれませんか 』(ノω・、)

医師 『 94歳の人に麻酔をする麻酔医はこの病院にはいません 』( ̄∩ ̄#

医師 『 あと何年生きろというんですか、94歳ですよ 』(゙ `-´)/

なんて、言われました (ノ_・。)

でも、私は心の中で 『 母親に生きていて欲しいと思う気持ちに年齢なんて関係ないよ~ 』(ノ◇≦。)

って、思っていました。

医師 『 年齢も年齢ですから、身内の方に連絡を・・・ 』

なんて、聞きなれた台詞を聞かされ ・・・・・ ( ´(ェ)`)

 

でも、やはり4日後に退院 ヾ(@°▽°@)ノ

いつもの事と思っていたのですが、

それから、3日後の夜に施設から電話が

施設 『 夜の見回りでお母さんが心肺停止状態で・・・・ 』(ノ゚ο゚)ノ

事前の打ち合わせでは、心肺停止等の事が起こったときは

蘇生措置はとらないと決めていたのですが、

 私 『 蘇生措置をとってください ・・・・ 』(つД`)ノ

施設へ向かう車のなかで、色々な事が頭に浮かびました。

車から電話しました 『 すみません、気持ちが動転して ・・・・ 』

蘇生措置をやめてもらいました。

 

母は、穏やかな顔で眠っていました。

三十年以上母と暮らしてきました
いま、母の事で思い出すのは
私が子供の時のことばかりです。
駅が停車場と呼ばれていた時代
駅通りがまだ石畳で、我が家は宝屋という
お菓子屋を営んでいた頃の事です。

 

祖父も祖母も父もいて母も若く
子供4人家族8人ででにぎやかに
暮らしていた頃

私が熱を出して寝込んだときに
店の棚からこっそり持って来た
桃の缶詰を食べさせてくれた母、
友達とけんかして泣いて帰った
時に頭をなでてくれた母、
小学校へ持っていくお弁当は
いつも海苔が二段に甘いピンクの
そぼろと砂糖がたっぷりすぎる甘い卵焼き弁当
遠足に当時は高級品のバナナを持たせてくれた母
夜中にミシンをガタガタ踏んで洋服を作ってくれた母
雪が吹き付けるガラス戸1枚の寒い店で
炭火のコタツで店番をしながらセーターを編んでくれた母
甘党の子供に煮豆を食べさせたくて
早朝、どんぶりを持って煮豆屋を追いかけていった母
小学校の参観日、綺麗にもよってくる母を
教室の後ろに探したものです。

いろんな母の仕草や母の姿が思い出されます。

ちょっと過保護でちょっと見栄っ張りだけど
がんばりやさんの母は、私の自慢でもありました。

一緒に住むようになっての30年間
実の子供より長く深く母にかかわった。
私のかみさん、

掃除洗濯食事の世話と一生懸命にやってくれました
母に生活の負担がなくなると
子供やお店に時間を取られてやれなかった事を
おお急ぎで取り戻すように
今日は、コーラス、明日はダンス、その後は詩吟や書道と
週に5日はでかけ、毎日楽しい生活をしていました。
母は、『 今が、私の青春よ 』 なんて言っていました。

この時間を作ってくれたかみさんに感謝です。

高齢になり記録がおぼろになる頃には
かみさんは、実の子供でもできないようなことまでしてくれ
母は、かみさんを『 お母さん、お母さんと 』頼りにしていました。

施設にお世話になるようになり
薄れ行く記憶の中で
母が、帰りたい帰りたいと何度も言った家は、
三十年前に私が母のためにちょっと無理して建て替え
施設に入所するまで住んでいた家ではなく、
昔し停車場通りに建っていた今は立て替えられて
無くなた古い家の事でした。

家族や子供のために一生懸命に働いていた家
毎日のような兄弟喧嘩で騒がしかった家
鰯を七輪で焼いて、部屋中煙がもうもうとなり大騒ぎした家
お菓子の問屋さんや富山の薬売りが年に何度か尋ねてくる家
柱が斜めになって隙間風が入る家
年中無休のお店で
毎日が忙しく、母は休む事無く動き回っていたあの家

子供を愛し家族を愛した母
母も、あの頃が一番楽しかったのかもしれません。

きっと、いま願いがかなって

母は、若い姿になって祖父や祖母、父が待っている
停車場どおりのあの古い家に笑顔で帰っていったのだと思います。

 

私もいつか、子供の姿になって母が待っ
あの家に『ただいま』って帰ろうと思っています。

 

それまで母にさようならです。

 

我が家は高校2年生のお嬢様(長男の娘)とボケ松、ボケ子夫婦の3人家族です。

高校の文化祭へ行って来ました。v(^-^)v

何のために行ったのか、ボケ子さんは玄関から真直ぐ食堂のある体育館へ (;^_^A

カレーライスを食べる


チヂミを食べる


アメリカンドックを食べる


紙コップにはたこ焼きが


ボケボケ夫婦の会話

ボケ松君 『 ひげそってくればよかった 』σ(^_^;)

ボケ子さんボケ松君の顔を見て

ボケ子さん 『 ひげ綺麗にそれてるよ 』(*^o^*)

ボケ松君、ボケ子さんの顔をじっと見つめる

ボケ子さん 『 何よ。私に言ってるの ・・・・ 』(=`(∞)´=)

ボケ子さんの顔色が Σ(゚д゚;)

ボケ松君 『 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 』(@Д@;

体育館に響き渡る声 ・・・・ ((((((ノ゚⊿゚)ノ

ボケ子さん 『 kjas;idurkjdopiaufjfpioulkjsad;fjf
          l;akjsdkesad;lkjfeijas;diifead  』(゙ `-´)/

ボケ松君 『 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 』。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


腹ごしらえしてから、お嬢様を探しに校内をうろうろ



お化け屋敷は2箇所にありました。
お嬢様は前日に入って両方で泣いてしまい、
みんなから笑われたそうです。

やっと見つけたのですが ・・・・

ちょっと離れた位置で近くには来ないんですよ (;^_^A
右端で後ろを向いているのがお嬢様です。

難しいお年頃のようですので、二言三言で帰ることに

でも、抜け目なくて帰ろうとしたら、
追いかけて来てボケ子さんにお小遣いをおねだりヽ(゜▽、゜)ノ
財布に入れると風のように去っていきました (;^ω^A

帰りの車中

ボケ子さん 『 おなかすいた。なんかおごって 』(=`(∞)´=)

学校で食べたものはボ子さんが払いましたので、
ここは、お返しということで安いラーメンをご馳走しました。

今月、ちょっと財政難のボケ松君なんですよσ(^_^;)

それにしても、○7才よく食べる (=◇=;)


今日も我が家はしあわせのときの流れに漂っていたようです。