空と色、そして風の記憶 -5ページ目

空と色、そして風の記憶

ALSのこと最近知りました。そして58歳でALS患者の仲間入りです。
これまでの人生を感謝し、今日を精一杯に生きて行こうと思います。
生きているということは、生かされていること、そう思う今日この頃です。

すべてを許すこと…… 2012/11/6

昨夜は寝付けなかったせいかベッドで色々なことを考えていた。《風の記憶》について昔のことを丹念に思い起こしているうちに現在の境遇や家族のこととか‥‥様々なことを。

そうしているうちふと先般観た『モリー先生との火曜日』のなかでALSになってしまったモリー先生が教え子に話していた言葉で『すべてを許すこと……』というセリフを思い出した。映画だけしか観ていないのでうろ覚えのまま何となく気になっていたのだ。

今までの人生のなかで沢山遭遇した許せないこと‥‥ただそれら全てを許せたにしても何故かしっくりこなかったのだ。それが昨夜はそのことを必要以上に考えていた。そしてようやくたどり着いたのが『自分をもゆるす』ということだった。今までは他人や家族は許してきたが、ふと気がつくと自分を許すことを忘れていたのだ。山のようにある自責や悔い…特に家族に対しては家庭をかえりみず働いてきたことを悔いている。そうしたなかで昨夜は『そうだ!自分をも試しに許してみよう』と試みた。するとどうだろうか、今まで解けなかったパズルが一気に解けていったのだ。感激で涙が溢れてくる。だけど手が届かず涙がふけない…

そうだったのか『すべてを許すこと……』というのは……

菩薩になったかのような気にさえさせられた一夜だった。

[610] 家が建った!


1990
(平成2)この年はバブル期最後の年だ。後になって解ったことだが、もうこの年にはバブル経済が破綻することが明らかになっていたようだが、ぼくにはまったくわからなかった。 この年の出来事で象徴的と言えば、やはり『東西ドイツの統一』と『イラクのクエート侵攻』だろう。当時は仕事に忙しくとてもそれらをじっくり考える余裕なぞ無かった。

僕はこの年の2月に新居を建てた。30坪の敷地に二階建ての家だ。僕が先に住み、長男の卒園にあわせて後から妻と子供がやってきた。この新しい地で長男が小学校に、そして長女が幼稚園に入学した。ぼくは36歳妻は30歳だ。

たっぷりの住宅ローンを抱え、翌年にバブルが破裂することも知らず、船は航海に乗り出したのだ。


・赤字決算

やがて3月の決算期に入り僕の課は赤字ということが決定した。ただこれは初期段階の決算でもあり立ち上げコストを見れば当然の話だったし、上杉部長は部として採算をみるから気にするなと言ってくれていた。しかし、ここで途中から入った山崎部長が会議の席で「大変申し訳ありません。」と皆の前で深々と頭を下げたのだ。ぼくもつられて頭を下げてしまった。その夜山崎部長とぼくは品川の江南口の居酒屋にいた。ぼくは山崎部長に「何で会議であんなにわざとらしい言い方したんですか?」と食ってかかった。山崎部長は酒をゴクンと飲み干しぼくに酒をつげと合図をすると、「あんたはやっぱり技術者だなー、あの時俺がああ言ったのは白河社長のために言ったことだよ。わかるー?」と上目ずかいにぼくを見た。「はー?」とぼく。山崎部長はぼくの顔を眺めてゲラゲラと笑い、そして言った。

「君は白河社長のコネで入ったんだろ、まあこの俺もそうだが…、ああやって数字が出てあんたの課だけが赤字で、それを社長として黙っているわけにいかないだろー」ぼくはここまできてやっと解ったのだ。だから先回りして自ら白河社長に向かい詫びを入れたと、顔から火が出るほど恥ずかしかった。いかに会社組織内の人間関係、いや社会人としの未熟さをぼくは露呈してしまった。

山崎部長は酔いが回ってくると「まああんたなんか俺の若いときに比べたらまだましだよ」と言って笑っている。

それからぼくはこの山崎部長のことを一目置くようになったと同時に、損益勘定にはかなりシビアになり、ハートスタッフ社という組織の風景も変わって見えてくる自分を感じたのだった。


そしてこの年の4月に新入社員が8人程入った。これでぼくの課は16人程に脹れた。今にして思うと信じられない。こんな沢山素人を集めてと思う。実は当時もぼくはそう思っていたのだが上杉部長にどうしても君の課で採ってほしいと懇願され採用したのだった。ところが、山崎部長が入ってきたのでまた話が変わってきてしまったのだ。山崎部長はぼくに鋭く迫った。「あんた、こんなに沢山新人入れちゃってどうするつもり?」ときた。

実は去年のうちからこの新人の受け入れ先、つまり派遣先は用意していた。ぼくは派遣ビジネスはやらないつもりだったが、上杉部長に説得され受け入れたのだ。以前横浜で接待した会社で当時横浜に本社をおくSL社(14)で、そこの山本部長と広瀨課長と何回か会い話をつめてきたのだ。山本部長はぼくの考えを気に入ってくれて、どうせパートナーを作るのならぼくの様な考え方をした上司の部下を受け入れたいと言ってくれていた。ぼくの考え方とは、新人を受け入れてもらい教育してもらい3年後に帰してもらう、そしてその後SL社の仕事をハートスタッフ社が請け負って行うという、まことに勝手な理屈だったが、その当時の人手不足の状況ではまかり通ったのだ。更に要望として新人にはUNIXの教育並びに仕事を与えてほしいと申し出た。この我がままな要求も山本部長と広瀨課長は飲んでもらったのだ。

そうしてその年の4月の新入社員は一人を残し7人がSL社へ、一人はどうしてもCGをやりたいということで、経緯は忘れたが某建設会社のCG室に派遣が決まった。


一方佐伯ひとみがリーダーを務めるプロジェクトも現地テストを迎えようとしていた。

しかし、設備の搬入が大幅に遅れカットオーバ(納期)に支障をきたしていた。請負契約でのリスクはこの辺にあるのだ。スケジュールが順調なら良いが、何らかの理由で遅れるとたちまち利益に悪い影響が出てしまう。この辺を含めて受注先つまりFC社と交渉を行っていくのだ。ぼくはこの辺でも非常にやりやすかった。FC社はぼくが20代の頃からお付き合いで当時の仲間は皆主任以上の地位になっており、ぼくの交渉の相手は昔の仲間の部下だったのだ。おまけに佐伯ひとみは若く美人タイプで仕事ができたのでFC社の担当者からの受けが非常によかった。




森の病院なのに都会の病棟? 2012/11/3

ところでここ23日、この森の病院は騒がしかった。111日オープンした新病棟への引越があったからだ。今までの古ぼけた二階建ての病棟から一気に六階建ての近代建築に移ったものだから、それはもう大騒ぎだ。まして看護師たちの人事異動や患者野移動も大幅におこなわれたり、新コンピュータシステムの導入だったりで静かだった森の病院も騒然とした空気に包まれた。

看護師たちのストレスも大変なものだが患者も大変だ、見たことも無い看護師が突然来るし、とりわけぼくはトイレに泣かされた

古い病棟のトイレのドアは無くカーテンになっているので、何かあったら声を出せば助けを求められるし、ウォシュレットやナースコルも一人でできたが、今度は全自動とは良いのだがナースコルやウォシュレットに手が届かないのだ。その上直ぐに電気が消えるし、当日は真っ暗なトイレに30分ぐらい閉じ込められてしまたった。まさしくトイレ恐怖症!

今だって看護師たちは手探り状態。

人間は環境に束縛されるが、また新しい環境にも順応する動物だ。ぼくの治験も後5日で第4クールが終了だ。次のクールで入院する頃には看護師たちも都会の病院のナースになっているかな?(^_-)

不思議な映画? 【ある愛の詩 】





監督:アーサー・ヒラー

音楽:フランシスレイ

公開:197136


当時この映画を見たのは確か丸の内ピカデリーか松竹セントラルだった。ちょうど今の有楽町マリオンが建つ前に日劇があり、その裏にこの映画館が二軒あり、そこにはよく通ったものだった。叔父が松竹に勤務していたので、この二軒の映画館と東銀座にあった東劇とその前にあった、名前は忘れたが映画館の計4軒は毎月のように招待券を貰い見に行った。この映画もちょうどぼくが高校2の時にロードショー公開された。その時の事は《風の記憶 青春編 [308]映画のこととバイクのこと 》に書いた。

ぼくはとりわけこの映画への思い入れは無いのです。ただその当時はやたら感激していたことを覚えています。たぶん音楽がヘランシスレイだったことが原因でしょう。あの雪のセントラルパークを二人寄り添って歩くシーン。カメラは真上から、白いスクリーンの右下から左上までの対角線を歩いていく。このシーンだけの記憶しかなかったけど、やはり今見てもこのシーンは絶品ですね。

あとは映画事態そんな大したことはない。当時としてもあの時代であのアメリカでよくこんな映画を撮ったもんだと不思議がるぼくでした。






秋雨の空の下、寿司に想いをよせるのだ 2012/10/28

この森にある病院は秋雨にけむりながら静かに息づいているかのようだった。

なーんて具合に小説だったら始まるのですが、本当に今日は日曜日だというのにどんよりとした雲が重くのし掛かっています。 先ほど昼食を看護師のTさんから介助を受けながらの会話。

Tさん 「おやつなんかは食べるんですか?

ぼく 「いや、1600kcal制限されているんで間食は禁止されてます。」

アップでTさんの不思議そうな顔。その顔を見つめるぼく。

ぼく 「何かこんな病気の患者に食事制限なんて意味ないよね」

Tのスプーンがぼくの口元で止まる。口を開けたままのぼくの顔をアップで

Tさん 「私もそう思います。いいじゃないですかねー、だって○○さん(ぼく)はいつ口から食べられなくなるか判らないのにねー」

  そういうといきなりスプーンをぼくの口のなかに入れる。ビックリしたような顔でもぐもぐ口を動かしながらTの顔をみつめるぼくの顔。

ぼくの声インサート

『はっきり言うなーこの人。でもその言葉は当たっており‥‥』

  そんな二人の窓越しの光景をカメラ病棟の外から、ズームアウト。

  音楽忍びよる

ドラマだったらこんな感じかしらん。(*^_^*)

ということで、突然昔行きつけの渋谷の寿司が無性に食いたくなった。むかし大阪に単身赴任していたことがあり、その時に解ったことで《寿司・蕎麦・うなぎ》これは絶対に東京に限るということ。ぼくはその寿司やの寿司が一番だと思っているのだ。

今でも廻り寿司は食べるが、あれは寿司ではない。寿司というのは昔から高級なもので、廻り寿司のようにあんなに安易なものではない。かといって銀座の三つ星寿司やで一人数万も払って食べるものでもないだろう。 ぼくの寿司はあくまで街の小さな親父と息子そして奥さんがお茶やお酒の担当でまかなっているような街角の寿司やで食する寿司のことを言う。

夕暮れになれば親子喧嘩まじりの仕込みも終え、親父にどなられてせがれが暖簾をだす。

店の灯りを灯す頃、ぼくは勢いよく暖簾をかき分ける。

「こんばんわ」

すると咄嗟に親子全員の声響きわたる。

「っらっしゃーい!! 」

ぼくは出口のそばのカウンター席にひょっこりと座る。これが合図で『今日は寿司を一人前ほど、お酒は二合程度』ということが全員にわかるのだ。たまに親父が

「今日はね、いいキス入ってるから、ほら!」なんて言いながら、ひょいと出してくれるのをすかさず頬張ると急に笑顔がほとばしり出る。

「んーっ、旨い!!!

それを親父、奥さん、せがれが観ていて全員で笑う。そうして街角の寿司やが始まるのだ。

ある日の渋谷の片隅にある寿司やの風景だ。 ひょんなことから寿司の話題になったけど、男には食い物に、ある拘りが必要だと言いたかったのだ。なにもグルメになれなんて言っていない。だけど今日の様に寿司と言えば100円廻り寿司一点張りじゃー情け無い。

そうなんです。寿司だって鰻だって昔から高級なもので年がら年中庶民の口には入りずらかった。だからそこから拘りが生まれた。

とは言ってもこんな体になってしまっては強がりにしか聞こえないですね。

あー何でもいいから寿司食いたい!(^_^)/

世の中こんなに美しい可憐な人がいるなんて…【 ロミオ&ジュリエット 】


出演者:レナード・ホワイティング/ オリヴィア・ハッセー

音 楽:ニーノ・ロータ

公 開:19681123


この映画ぼくのブログの《 風の記憶 思春編 [213]ジュリエットに恋をした 》で当時の思い出を回想している。今回思い切って44年ぶりにDVD鑑賞した。やっぱいいわーオリビア!!(*_*)

特にあのベランダでのロミオとの逢いびきシーンでのオリビアの豊満な胸の映像は当時を思わず思い出してしまい…

こうして今見ると結構力いれて作った映画だったんだなと感心しました。特にセットや衣裳は絶品ですね。

それと、なんと言っても音楽があのニーノロータですからね(^_^)v

やはり、こういう映画もいにしえの遺産になってしまったんですね。



懐かしきかな自分 2012/10/27

早いもで、治験も4クールに入りました。早いものですね。しかし、今回は思わぬ番狂わせで、入院して解ったことですが楽しみにしていたリハビリが全く無いとのこと。「えーっ! ホント?(>_<)

家で全く動けなかったので入院したらと考えていたのです。

新棟への移動と重なりリハビリ科事態が休診とのことで致し方なく

諦めました。時間もできたし、、ちょっと久しぶりに病状をチェックしてみようと思いました。

上肢

もうまったく駄目です。両手握力が4程度、つまり何も出来ない状態。かろうじてマウスに手を乗せられ、何とかボタンが押せる程度。30分やったら限界です。

体の痒いところはかけません。これが辛いんですよね。字は書けません。ペンを握れないのです。つまり日常動作が出来なくなりました。

下肢

今まで何とかなっていたのですが、ここ23ケ月で急速に悪化したようです。

以前は何とか、ヨチヨチ歩きでも自力で可能でしたが、現状は何かに捕まらないと歩けなくなりました。それも10mも歩いたら疲れちゃいます。

つまり歩けなくなりました。屈伸の力も無くなり便座からの立ち上がりが自力困難。先週の救急車騒ぎもこれが原因で、何とか一人でやろうとしたところ反動のつけすぎで転倒!流血!死ぬかと思いました。

嚥下等

徐々に悪化しているようで、最近よくむせるようになりました。だけど、まあ何とか食べられています。

かなりろれつが回らなくなり、おしゃべりが辛くなってきた。妻に瀬川瑛子ににていると言われた。くやしーい!(@_@)

呼吸機能

まだ自覚症状はありません。まあ、時間の問題でしょうけど……


何とか動いているようです。ホントかな?!(^_-)

こうして自分の体の機能が一つずつ壊れていくのをただ黙って見つめていくことしかできないのがALSなんですね。昨年の今頃はALSを疑い毎日を悶々と過ごしていた。だけど車を乗り仕事をしていた。酒も煙草もできた。好きな酒場で友達と笑っていた。ああ、一年前が恋しい。私の一年前は何処に行ったのかな…‥

[609]新しい上司登場!

1990年前後にそれまで僕の上司、上杉部長の下に山崎(16)という人が入社し、実質ぼくの上司になった。実はこの人物がハートスタッフ社をかき回すことになる。それまでのぼくと上杉部長とは信頼関係が築かれており、ソリも合っていたのだ。この山崎という人は白河社長が連れてきた人で自称プロの営業マンと言っていた。それまで商社で長年営業マンをやってきており、漲る自信と馬鹿でかい声、デリカシーの欠片も無い程のずうずしさ。

ノンポリ、コンピュータについては無知、全て仕事を取るということだけに突進していくタイプなのだ。この人が頭が上がらないのは、たった一人、それは白河社長だけだった。

さて、こういう人だから上杉部長とも合わず、その他の幹部からも嫌われた。こういう人がぼくの上司になってしまった。僕と初めて会ったときのことは忘れられない。

いきなりぼくを会議室に連れて行きこう言った。

「実はねーぼくはある政治家の私設秘書をやっているんだ。こんだ君に会わせようと思うんだけど、あんた政治に興味ある?」と、馬鹿でかい声で言った。

ぼくは「はい」と応えると「あーわかった」と言って勝手に会議室から出ようとしてまたぼくのところに戻ってきて、今度は小声で「ところでさー君今まで上杉部長の部下だったんだろ、あの人の弱みって何?」と、藪から棒に聞いた。ぼくが困っていると「だから駄目なんだよなー自分の上司の弱点ぐらい知ってないでどうする!」と、一喝して出て行ってしまった。

これが初めて会ったときの出来事だった。

それからこの山崎という部長がぼくの上司になった。後にも先にもこういう人物は初めてで、豪快なとも違う、まったく営業だけしか頭にないような人だった。だからこれから何年とこの人と付き合っていかなくてはと思うとぞっとする思いがした。しかしぼくにとって幸運だったのはこの人は営業だけの人でコンピュータのことは一切解らない人で、事業の計画や運営については全て僕任せだったことだ。

このノンポリ上司をどう使っていくか、それがぼくの新しいテーマにもなった。

また、この山崎という部長は後々ぼくの味方になってくれもした。馬鹿っぽい反面隠された信念もあり、辛いこともあったが結果的に出会えて良かったと思える人物の一人になった。



2012/10/24  明日からまた入院です。

ハッキリ言って今回の帰宅は辛かった。最悪の事態を招いてしまい、寝たきりの生活になってしまったのだ。つまり便の処理をどうするか?‥‥これに今日まで費やしてしまった。結局紙オムツが無難であることが解った。(-_-;)

しかし、ぼくのチャレンジ精神はあまりにもリスクが大きすぎるので諦めた。と言うよりは諦めさせられたと言った方がいいかもしれない。

まあ、入院中はオムツじゃないので、これからは入院時と帰宅時の生活の再設計をしなければならないだろう。

葉巻を薫らすチャールトン 【 猿の惑星 】

1968年公開の名作。ちょうどぼくが中学3年の時です。いやーあの頃は衝撃的でした。それからも何回も見ました。ただ今回見て驚いたのは映画の始まるシーン。宇宙船内でテーラー(チャールトンヘストン)がこれから長い眠りに入る前のシーン。何と宇宙船内のチープなセットなんだろうと、そして何と事もあろうにテーラーは宇宙船内で葉巻をくゆらせているのだ。禁煙じゃねーのそこ!!(@_@)

そしてスリープカプセルに入る前に宇宙服の胸のポケットに吸いかけの葉巻を入れてからお休みしてました。すごい宇宙服だ!!!(?_?)

そして、猿の惑星の湖に不時着後、三人のクルーは宇宙船を脱出し、岸にたどり着く。そこから陸を歩き始めるのだが、一人のクルーが小さな星条旗を立てるシーンがある。その姿を見たテーラーがバカ笑いするシーンがある。何か自分たちの愚かさを笑っているように。

こんな何でも無いシーンの発見をした。後は言わずもがなだ。ぼくのSF映画No.1の作品。特に当時、最後のシーンは衝撃的でした。翌日教室内でしきりに友達に解説していた思い出があります。