[407] 入 院
ドライブから帰った翌日、僕は熱と咳がでて、仕事を休みました。昼にAさんが勤務地からぼくが寝ているところに来て「皆にうつったら大変なので、病院に行って来い」と言いました。ぼくも納得したので旅館の女将さんに聞くと網走中央病院が近くにあるからそこへ行けと言いました。
病院に行って先生に診てもらうと「風疹だね」と言われて、今直ぐ入院しなさいと言うことになってしまいました。Aさんに連絡すると、ぜひ入院してほしいとのことでぼくは網走中央病院に入院することになってしまったのです。とりあえず親にも連絡をしました。
実は本当に風疹だったのかどうかぼくは疑問でした。というのも翌日には平熱に戻ってしまったのです。ぼくの入院した病室は6人部屋で、同室にタクシーの運転手と船乗りが入院しており、ぼくはこの2人と仲良くなり、よく色々な話をしていました。船乗りは地元の人で若いときは東京で働いていたらしいのですが、直ぐにこちらに戻ってきて船に乗ったらしいのです。何でも金に困ったら船に乗れば、直ぐ金になるからと言っていました。二人とも気さくでとてもいい人でした。2~3日するとぼくは完全に復活し、看護師に退院させてくれと頼んでも、「先生がまだダメ―って言ってるでないかい」とあしらわれるのです。その看護婦は“みどりちゃん”と言って僕と同い年か、一つ年上だったと思います。
非常に気立ての好い子でした。
ある日ぼくは夜に病院を抜け出し、いつも行っていた港に近いスナックに行きました。
その日は雪がしんしんと降っていました。ドアを開けるとママが一人しかいません。ちょど都はるみの“北の宿から”がかかっていました。ママはこちらを見るなりびっくりいた様子で「あれ?どうしたのさー、入院してたんでないかい?」と言いました。「いやー実はまだ入院中なんだけどね…こう暇と言おうか…」と言いつつもじもじしていると
「病院、抜け出てきたっしょ。まっ、早く座んな」と言って一番奥の席に座らせてくれました。こうしてママを独占して話をしていました。1時間ぐらいすると、急にドアが開いて「イヤー今日は雪でまいったよねー」と言いながら漁師のような客が5~6人ドカドカと入ってきました。しんみりママと二人で飲んでいたのに、またいつもの店の雰囲気に戻ってしまい、ぼくは早々に切り上げて病院にもどりました。
ところが病院に戻ると、廊下でばったり、みどりちゃんに会ってしまい「どうしたの?何処へ行っていたのさー?」と顔が怒っています。「あれっ?お酒飲んでるんかい?臭うよー」と僕の顔を見ながら言いました。ぼくが頭を下げながら病室に向かうと「先生に言いつけるからね!」と言って去って行きました。
結局1週間目で退院することができました。退院の時みどりちゃんは「また来るんだよ。」と笑いながらぼくを送ってくれました。短い入院生活とはいえ同室の人、それから旅館の女将さんが夏みかんを持ってお見舞いに来てくれたこと。それから忘れられない看護婦のみどりちゃん。北国の暖かい人情に出会えた1週間でした。
そういえば、あのみどりちゃんも還暦が近いんですね。今どうしているのでしょうか?
退院したぼくは仕事が溜まっていた。またカットオバーがまじかと言うこともあり、全員が不眠不休の毎日でした。
網走での思い出は、この程度しか覚えていません。仕事も一線を外れていたので、あまり覚えていませんでした。ぼくが網走を去る時は4月下旬だったと思います。銀行の人達がぼく達全員にお土産をくれたのです。この時代、仕事をする方も、また依頼する方も一生懸命でした。特にお客様から非常に感謝してもらったことを覚えています。
この時に貰ったニポポ人形は今でも大事に飾ってあります。人形の裏に”網走刑務所”という焼印が押されているもので、実際に刑務所の囚人が掘ったものだそうです。
最後の夜、KAさんと何処かにドライブに出かけました。真夜中にオホーツク海の海沿いを走っている時、車を止めて海を眺めていました。車のラジオが鳴っていて、そこからサンタナの”哀愁のヨーロッパ”が流れていました。上を観ると満天の星空です。オホーツクの遥か彼方が白々としており、まさかあれが白夜なのか?と思いました。
ぼくにとって初めての経験でしたが、北の街で働く人々の機微に触れた3カ月の出張でした。