毎年、何故かこの時期になると思い出す物語があります。📖📖📖
井上靖氏の少年時代を綴った、自伝的短編小説集です。
昨年は、海辺の町で主人公が、都会から避暑にやって来ていた少女(砧きぬ子)に、淡い恋心を寄せる(初恋の)物語・「晩夏」について記しましたが、📖📖📖
今回は、「滝へ降りる道」です。
著者が、小学校の3、4年生の頃に体験をした、小さな出来事が題材です。❔🤗
伊豆の田舎町(湯ヶ島温泉)で育った著者は、
温泉宿に泊まった怪しげな男女に、心中のにおいを嗅ぎ、村の仲間たちと後を着けます。🐤
作品の中では、「J滝」と記されていますが、おそらく伊豆・天城の「浄蓮の滝」でしょう。❔🤗🎵
男女は、滝の茶店が築いた休み処(桟敷)に向かうに違いないと推測した主人公は、先回りして休み処の床下に潜みます。🌰🌰
そして、
予想は見事に当たり、男女はそこに現れるのですが、
床下に潜む主人公には、女性の淋しげな笑い声しか聴こえて来ずに、心中の素振りさえ感じませんでした・・・。❔❓️📖📖📖
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この小説の一部を切り取った文章が、わたしが高校生の時に、
現代国語の試験問題として出されたことがありました。❔🤗
その時、当然わたしはこの物語に初めて触れた訳ですが、
その後で、
どうしてもその物語の全文が読みたくて、
わたしは、町の数件の本屋を探して回った覚えがあります。❔
子供時代に、誰もが一度は経験したことがあるかとは思いますが、❔🤗
蒼い大人の世界を背伸びして垣間見てしまった時の、罪悪感のようなものを、
物語の文字間から感じて、懐かしさに身を浸した記憶があります。📖📖📖
結局、その時の男女は、おそらく別れ話しをしていたに違いないと云う著者の想像譚で、物語は幕を閉じているのですが、
主人公が涙で濡れた頬を、女性の持っていたハンケチで拭ってもらうと、何故かそのハンケチは冷たく湿っており、きっと女性も今まで泣いて居たに違いないと云う、
冷たいハンケチの感触と、
その時のシチュエーションの記憶が、大人になって昇華して、そう思えるように、著者には、
考えが引き込まれている、と語られています。📖📖📖
と云うことで、わたしが初めてこの物語を読んだのが、先ほども記したとおりに高校生の時のことだったのですが、
いま改めて読み返して見ると、あの頃に感じたワクワク感のような高揚した思いが、大分薄れてしまったようにも感じました。📖📖📖
それもきっと、自分が大人の世界を知り尽くしてしまった人になってしまったからに違いありませんが・・・、
何故か、行く夏の寂しさと重なって、
ちょっとずつ感情のピースを失って行く自分が、少しだけ、儚いものにも思えてしまいました。(😢涙)
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病気の維持療法も、33クール目2Qを過ぎてほぼほぼ変化なしで推移しています。❔🤗
ただ、この時期は、どうしてもエアコンで終日身体を冷やしてしまいますので、
下肢の浮腫みの度合いが増すと共に、指先の強張りが強く為るようです。❔
また、夜半就寝中に足首や脛が突然にツッタリ、お腹が痛くなって(ゲーリー)目覚める事も度々あります。(😵)❕❔
出来るだけ身体を冷やさないように努力はしていますが、昼間はどうしても共同エリア(執務室)での作業のために、限界があります。
早く涼しくなると良いですね。🌰🌰
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そして、もう一つ寂しい話題です。
今月いっぱいで贔屓にしていた横浜のお蕎麦屋さん(更級一休)が閉店してしまいました。
このお蕎麦屋さん、横浜駅構内に支店が何ヵ所かあって(ジョイナス、ポルタ店)、みなとみらいにも支店(クイーンズスクエア店)があったのですが、すべてのお店が店終いしてしまいました。
昔からわたしは、
横浜へ映画を観に行った帰り道や、講習会や試験に出向いた帰路に、決まってこのお店(その頃は、西口地下街のダイヤモンド店)に立ち寄っては、盛り蕎麦やカレー南ばんを頂きました。
また、
連れ合いと一緒になってからも(元々連れ合いは横浜の在の者なので、同じく懇意の店でした。)、そして、子供たちも連れて良く訪れたお店です。
自分の感情のピースが削られて行くことと同じ位に、馴染みのお店が無くなって行ってしまうと言うことは、儚くて、得も云えぬ淋しさを感じるものですね。❕❔
永遠が無いことを、改めて知った今年の夏でした。❗️❗️
でわ。