田植えの終わった緑の水田を、青い6月の風が吹き渡って行きました。
*注)この記事は、
先日、仕事で県行政へ出向いた帰り道に、田植えの済んだ田舎道を、トコトコと車🚙で走っている途中、フッと思い出した昔のことをネタに書き出したのですが、その主題(テーマ)の持つ本質の重みに、いろいろと自分ながらに悩み、投稿を断念(削除)しようかと考えていたものです。(梅雨入前に書き出しています。)
稚拙な文章では決して伝わらない(内容・気持ち)、もどかしさが募ります。
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当然みんなリバイバル(再演)もので、ただ、学生が400円、大人500円の鑑賞料金を払うと、一日中映画を観ていることが出来ました。❕🤗
アーケード街(商店街)の中の映画館だったので、隣の食べ物屋の物を焼く臭い(海老❔❔)や、肉屋の揚げ物の香りが、映画館の中まで漂って来て、映画を見続けていた、わたしの空腹になったお腹と頭には、少々堪えました。❓️😟
松本清張原作の小説「砂の器」は、云わずと知れた清張の代表作で、わたしが初めて読んだのが、高校生のとき、カッパノベルス(光文社)の単行本でした。
そして、
その映画もまた、清張に「小説では絶対に表現出来ない作品」と言わしめた、野村芳太郎監督の作品です。
映画クライマックスの回想シーンで、加藤嘉さん演じる(本浦千代吉)ハンセン氏病の放浪者(お遍路)の親子の姿に、同一場面を何回観ても涙が止まらなくなってしまいます。
映像と音楽だけの演出(台詞が一切入らない)なのですが、
何故か❔❔哀愁と儚さを感じてしまう、カメラ演出に、感涙を誘われ鱒。❕❔
宿命(フェイト)と云う副題が表すように、親と子の絆は永遠のもの、どんなに断ち切ろうとしても絶対に不可能なことを、映画は伝えようとしていました。❕❔
後にも、
森村誠一の「人間の証明」や、東野圭吾の「祈りの幕が下りる時」等、同一のテーマをオマージュした作品(小説・映画)が、多数ありますが、やはり永遠のテーマなのでしょう。
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そして、
この作品のもうひとつの命題が、偏見・差別(ディスクリミネーション)の問題です。❕❔
ハンセン病と云う今でこそ特効薬が出来て、何でもない疾病ですが、ひと昔前までは、原因不明の不治の病として、人々に恐れられていた伝染病❔❔でした。
発症の原因が分からない、❓️😟 薬がない、人から人に感染する。❔❔
ただそれだけのことで、患者は他の人たちから迫害を受け鱒。❕❔
まるで、現在のコロナ患者や医療従事者が、何も悪いことをしていないのに、偏見の目で見られたり、差別的な態度で接しられたりするのと同じです。❓️😟
映像でも、お遍路姿(ボロボロの衣服)の二人が、石を投げられて追い回されたり、罵詈雑言を浴びせられて押し返されたり、見るに耐えない場面の連続でした。⛄️😵💦
なぜ人は、自分と異なる(この言いまわしもダメです。)・・・、偏見や差別、いつの時代にも「皆、平等」と訴えながら、自分ファーストになってしまうのでしょうか❔❔
黒人差別の問題も同じですよネ。❕❔
本当の「皆、平等」の世の中は、どうしたら築けるのでしょうか❓️😟
どこかの元首のように、常に言葉では「皆さまと共に・・・」と訴えながら・・・・・、
遣られていることは、自分のタメのみ・・・ではネ。😵
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いま話題の「不倫」を描いた作品ですが、まだ
若かりしころのわたしには、少々刺激が強過ぎた作品でした。
有馬さんが妖艶過ぎたことが、強く記憶に焼き付いてい鱒。☀️😵💦❗️❗️
闘病のブログが、映画紹介のブログになってしまいましたネ。
維持療法17クール目、レブラミドの服用無事終了しました。
来週(6/17)は定期通院です。❕❔
天候不順の日が続きそうですので、
☔️皆さまもお身体ご自愛ください。❕🤗
デワ。