自殺の増加と猟奇事件の連続…
そして、とうとう起こってしまった“大量殺人”
「“命”の軽視」という点においては、“自殺”と“他殺”は、表裏一体の関係にあるように思っています。
絶望のエネルギーが、自身の内面に向かうか、それとも、外側に向かうか。
言い換えると、
自身の命を絶つ方向に進むか、それとも、他人の命を絶つ方向に進むか。
そもそも、社会もしくは世間との不適応を起こした時、自分を変えるか、社会もしくは世間を変えるかという問題になります。
本来は、自身を変えていく中で、自身を取り巻く環境との相互作用によって、周りに変化をもたらすものだと思います。
そこのところで、“自殺”に進む方は、「変わらない、もしくは変えようのない環境」に絶望して、“怒り”のエネルギーを消し去るように、自分を攻めるのかも知れません。
一方、他殺に走る人は、“怒り”のエネルギーを吐き出すように、周りもしくは相手を攻めるのかも知れません。
そこには、自身を変えること無しで、いきなり周りもしくは相手を変えようという、大きな“勘違い”が、心の底にあるような気がしてなりません。
余りにも“短絡的”な感覚です。
自殺する方にも、もしかしたら、その“勘違い”があるかも知れませんが…。
他人の命を奪う輩は、そこに、自分の命だけは“棚上げ”されているのが、余りに“自己中心的”で、許し難い気持ちを強くします。
そこが自殺する方との、大きな違いであり、生きている間、ずっと背負わなければならない“罪”だと断じます。
今回、亡くなった方々は、その時、“死にたい”とは、決して思わなかったでしょう。
自分の意志とは裏腹に、無念にも、強制的に、一生を終わらせられたのです。
死んでもイイ人が、この世に存在するのかどうかは、私には分かりません。
でも、亡くなった方々は、間違いなく、そんな範疇に入る方々ではなかったでしょう。
誰にも、他人の一生を終わらせる権利などありません。
“命”への敬意を失わせる社会に、責任のあるような言い方をする評論家の言葉を、私は信じません。
“命”の尊さを、心に刻めなかった本人の不幸を思いますが、それなりの裁断を受けないと刻めない人だったとも思います。
だからこそ、現在も“命”を大切に出来ない人たちが事件を起こす前に、厳しい現実を示して、“命の大切さ”を心に刻める“きっかけ”を作っていかなけれはなりません。
間違っても、同じ事件を起こすことに“興味”を呼び覚ますような、下手な報道をしないで欲しい。
マスコミも、今度こそは、デリケートに扱って欲しいと思っています。
そして、とうとう起こってしまった“大量殺人”
「“命”の軽視」という点においては、“自殺”と“他殺”は、表裏一体の関係にあるように思っています。
絶望のエネルギーが、自身の内面に向かうか、それとも、外側に向かうか。
言い換えると、
自身の命を絶つ方向に進むか、それとも、他人の命を絶つ方向に進むか。
そもそも、社会もしくは世間との不適応を起こした時、自分を変えるか、社会もしくは世間を変えるかという問題になります。
本来は、自身を変えていく中で、自身を取り巻く環境との相互作用によって、周りに変化をもたらすものだと思います。
そこのところで、“自殺”に進む方は、「変わらない、もしくは変えようのない環境」に絶望して、“怒り”のエネルギーを消し去るように、自分を攻めるのかも知れません。
一方、他殺に走る人は、“怒り”のエネルギーを吐き出すように、周りもしくは相手を攻めるのかも知れません。
そこには、自身を変えること無しで、いきなり周りもしくは相手を変えようという、大きな“勘違い”が、心の底にあるような気がしてなりません。
余りにも“短絡的”な感覚です。
自殺する方にも、もしかしたら、その“勘違い”があるかも知れませんが…。
他人の命を奪う輩は、そこに、自分の命だけは“棚上げ”されているのが、余りに“自己中心的”で、許し難い気持ちを強くします。
そこが自殺する方との、大きな違いであり、生きている間、ずっと背負わなければならない“罪”だと断じます。
今回、亡くなった方々は、その時、“死にたい”とは、決して思わなかったでしょう。
自分の意志とは裏腹に、無念にも、強制的に、一生を終わらせられたのです。
死んでもイイ人が、この世に存在するのかどうかは、私には分かりません。
でも、亡くなった方々は、間違いなく、そんな範疇に入る方々ではなかったでしょう。
誰にも、他人の一生を終わらせる権利などありません。
“命”への敬意を失わせる社会に、責任のあるような言い方をする評論家の言葉を、私は信じません。
“命”の尊さを、心に刻めなかった本人の不幸を思いますが、それなりの裁断を受けないと刻めない人だったとも思います。
だからこそ、現在も“命”を大切に出来ない人たちが事件を起こす前に、厳しい現実を示して、“命の大切さ”を心に刻める“きっかけ”を作っていかなけれはなりません。
間違っても、同じ事件を起こすことに“興味”を呼び覚ますような、下手な報道をしないで欲しい。
マスコミも、今度こそは、デリケートに扱って欲しいと思っています。