娘に頼まれた物を送るために荷造りした。

どうしても全部入り切らず、少し大きめの箱を探さなければならなくなった。

でも、もう仕事に行く時間になったので荷造りは後回しにした。

その日、仕事が7時に終わり、8時まで開いている通りがかりのスーパーに立ち寄った。

その店では空の段ボール箱を誰でも自由に持ち帰れるからだ。

欲しいサイズの段ボール箱があれば、それだけもらって真っ直ぐ帰るつもりだった。

入り口から入ってすぐ左側にたくさんの段ボール箱が置かれており、普段あまりない少し大きめの箱が2つあるのが見えた。

あれをもらって帰ろう。そう思った。

が、なぜかその前に、せっかくだから何か食品を買って行こう。という気になった。

サッと買い物を済ませてカートを押して入り口に向かう。

段ボール置き場に入ろうとして一歩足を進めるか否かの瞬間、入り口から学生風の男の子が急いで駆け込んできた。

彼は私の前を横切り真っ直ぐ私が欲しかった箱に向かった。

そしてその箱をひとつサッと取り自分の前に置いた。そのとき私は、まだ一つ残ってるから。と思ったが引き続き残りの一つも自分の前に重ねた。

呆気に取られてみていると、あと二つ小さめの箱も取って重ね、箱を抱えて彼は足早に店を出て行った。

目の前で起きた10秒ほど(多分)の出来事に、私は口を開けた途端トンビにサンドイッチを攫われた時のように頭が真っ白になった。

仕方がないので帰ることにし車を走らせていると、さっきの男の子が、自転車の前カゴに大きな箱の山を乗せ、片手で支えながら自転車を押して坂を登っていた。

引っ越しでもするのかな、と思いながら通り過ぎ、思いついて少し遠回りをしてもう一つのスーパーに立ち寄ってみた。が、そこには全く欲しい箱はなく帰宅。

結局、家に、物を入れてあるちょうど良い箱があったので中身を出してその箱を使ってうまく行った。

この絶妙なタイミングの逃し方、これまでにもあった気がする。これが私の人生を象徴してるとしたら、、、へなへなと力が抜ける。


でも結果良ければ全てよし。ということで。

この地に嫁いで以来

夏になると町中の至る所にある貼り紙が

とても気になっていた。

半紙いっぱいに墨で

「四万六千日」と書いてある。

当時はネットもなく、

すぐには調べられず、聞く人もいなかった。


四万六千日ということは、

126年余りになる。

126年以上の何を表してるのか。

そんなことを考えた。


四万六千日の法要は

東大寺二月堂でも浅草寺でも須磨寺でも

沢山のお寺で行われてきたそうなのに

知る機会がなぜか全くなかった。

というより、ただ無知だった。


この日にお参りをすると、

四万六千回お参りをしたのと同じ功徳がある。

ということらしい。

たまたま訪れたカフェで、

その四万六千日の法要が近くの寺院で

行われると聞き、初めて参拝した。


早朝から大勢の人々が、

参拝の列をなしていた。

寺院の中では護摩が焚かれ、

その前で僧侶が読経している。


126年分のお参りをした私は、

この世を去ってからも功徳があることになる。


そういえば昔拝観した奈良の寺院で

弥勒菩薩は、お釈迦さま入滅後

56億7千万年経って人々を救済する。

との説明書きを見たことがあった。

途方もない数に宇宙を感じた。


大きな流れの中で、

ただいるということ。

何も知らなくても、

私たちは途方もなく大きな数字の中にいる。



いつも通勤で広い公園を通り抜ける時、

空を見上げてみる。

ふと見慣れないものが目に入ったので、

よく見ると、鶏の卵くらいの黄緑色の実が

松の枝に、先を天に向けて並んでいる。

こんな松ぼっくりは見たことがない。


と言っても、

私は植物にはものすごく疎いので、

普段は、まとめて「木」として見てきた。

私が生まれ育った田舎の家には

雑木林も前栽もあり植物は

かなりの種類があった。

にも関わらず私はそれらに

殆ど興味を持たなかった。


松の実の意外さに驚いた私は

思わずスマホを取り出してズームで

その写真を撮った。

あとでスマホを何度も眺めて、すごいな、

こんな出来方をするものもあるのか。

と感心していた。

松ぼっくりについて調べたりしたが、

何かちがう、けどそんなものかなと片付けた。


その後、私の中では発見だったので、

黄緑色の松ぼっくりの写真をsnsに載せた。

「大きな黄緑の松ぼっくりを見つけた」

という言葉を付けて。

すると誰かが、

「これはヒマラヤスギです。

球果は最後には木の上でバラバラになって

落ちてきますよ」とコメントをくれた。

松ぼっくりのことを球果というのか。。。

私は「大きい松ぼっくりになった時に

見て見たいです」と返した。


すると、その後また別の人が、

「松ではないです」とコメント。

そこで初めて「ヒマラヤスギ」、、、杉!


思い込みはおそろしい。

その後通るたびに真っ直ぐに伸びた

ヒマラヤスギの球果を確かめるようになった。


あの木にも、こちらの木にも、

同じような球果がたくさん付いている。

いちいち写真にとって満足している。


日頃見えていても何も見ていなかったな、

とつくづく思う。

ものを知らない私に教えてくれた人が

いたことがありがたい。


この先、私の目はヒマラヤスギを

探すことになるだろう。