tom-tom-tのブログ
今、私の左側臀部に大きなアザがある。
ハンドモップくらいの大きさだ。
今日、ジムのお風呂の鏡で初めて見た。
ほとんど黒に近い紫色のアザ。
蒙古斑ではない笑。打ち身です。
リビングで
キャスターのついた椅子に座っている時、
床に落とした消しゴムを拾おうとした。
横着をして、椅子に腰掛けたまま俯いた。
でもあと少し手が届かなかった。
無理をして更に身体を下に伸ばした途端、
キャスターが予想外な転がり方をして
私と椅子が一体になって勢いよく倒れた。
そのとき、椅子の肘置きの部分に
左臀部を強かに打ちつけたのだった。
激痛が走り、一瞬先の不安がよぎった。
「このまま動けなくなったら、、、」
慌ててこの無駄な想念を打ち消して
おそるおそる起き上がってみたら、
大したことはなかった。
倒れる瞬間、心の奥で、
「きっとギリギリで立ち直るだろう」と
いう思いが浮かんだのを覚えている。
けれども、
残念ながら私の虫のいい期待は
みごとに外れたのだった。
そのあと仕事に行ったが
特に問題なし。
左臀部のことは忘れていた。
たまにその場所に圧がかかると痛かったが、
ただの打ち身だ。
そして、やっと2日経って鏡を見たのだ。
アザだけを見ると痛々しい。
実際、本当に痛い思いをした。
でもその後は忘れるくらいだったのだ。
臀部の肉を触りながら、
「これに守られたんだな」と思った。
いたわる気持ちがなかったのにも関わらず。
人の身体は、
薄い皮膚一枚で覆われているだけで
とても壊れやすいものだと感じる。
それでも人を生かすために
全力で守ってくれるのだ。
この世の生き物はみんなこうして
守られて生きているのだなと、
しみじみ思った。
子育ての最中、私はずっと忙しかった。
自分のことなんて
ゆっくり考える暇などはなかった。。。
と思っていた。
ところが、ふと実はとてつもなく
暇だったのかもしれない気がしてきた。
今、私は時間があれば川原を歩く。
歩きたいから歩く。
昔は、
子供が喜ぶ食事を考えて作り、
子供が気持ちよく過ごせるように
家の中を片付け掃除をし、
子供が清潔でいられるように洗濯をする。
楽で早く移動できるように
塾や習い事の送り迎えをする。
頼まれてもいないのに
私がそれがしたかったからやっていた。
のではないか。。。暇だから。
人は根本は暇なのだと思う。
暇のなかにいてどれだけ満足するか、
どれだけ人を喜ばせるか
(喜ばせたつもりになれるか)
を、明らかにしていくことが
生きることなのかもしれない。
昔、私は退屈なとき罪悪感を抱いた。
何か役に立つ事をしないと価値がない。
などと思っていた。
でも今は全く違っていて
昔の私を思い出すと
「誰だよ!」
と言いたくなる(笑)
元はみんな白い紙。
お天気の良い日は河原を歩く。
歩きながら青い空を見て
気持ちの整理をする。
半年ほど前のこと。
あまりに清々しい天気だったので、
立ち止まって、川と遠くの山を背景に
いつものように空をスマホで撮った。
再び歩き始めたとき、
私より年配と思われる女性から
すれ違いざまに話しかけられた。
「あの尖った高い山は大門山、
その横にある3つの瘤のような山は
タカサブロウヤマですよね?」
咄嗟にそう言われて
私は頭が真っ白になった。
突然だったのと、
山のことは何も知らなかったからだ。
山といえば若草山か富士山くらいしか
咄嗟には浮かばない。
「スミマセン、私は山のことは
何も知らないのです。」やっと答えた。
彼女は、
「山の写真を撮っておられたから
よくご存知なのかなと思いまして」と言った。
「いえいえ、何となく
きれいだから撮っていただけなんです」と私。
私はスマホでその山の名前を検索した。
どちらの山もはっきりと画像があり
説明がなされている。
山の名前、ちゃんとあるんだな。
当たり前のようだが考えたことがなかった。
2人でスマホの画面を見ながら
「なるほど」と言い、
暫く遠くの山の話をした。
わずかな時間だったが、
いろんなことを話した。
それからどちらからともなく、
それでは、と挨拶をして別れた。
今また同じ道を歩いている。
いつものように川の遥か向こうに
大門山とタカサブロウヤマが
浮き出して見える。
一度知ってしまったらいつでも
目の前に現れる。
知らなければ、
いつもの景色の中の「山」でしかない。
あの日彼女に会わなければ
私は今日も「山」を見ている。
世の中の全てのことはそうなのだろう。
知らなければ無いのと同じ。
今見ているものはいつか知った物。
それ以外は知らない物。

