日本ワイン誕生のまち甲府 | ドラゴン日記

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 今ではEUに輸出されるまでに発展した山梨のワイン産業ですが、明治4年に広庭町(甲府市武田2丁目あたり)にあった「大翁院」の住職・山田宥教が副業として製造したのがその始まりです。
(1858年横浜港が開港し、外国人居留区が作られましたが、山田はたびたび横浜に足を運び、ここでワインやビールなどの洋酒にふれ、その醸造を志したものと考えられます。)

 その後、明治七7年には八日町(城東通の中央2丁目バス停あたり)にあった「詫間酒造」において山田宥教と詫間憲久が醸造したワインが販売されました。山梨日日新聞の記者が購入しその記事も現存しています。
  「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」  江戸時代においても、徳川家の直轄地として文化の香り高かった甲府の街は、明治になってもとてもハイカラな街だったことが想像され、思わず笑みが浮かびます。

出典:仲田道弘著「日本ワイン誕生考」(2018年、山梨日日新聞社)