新年早々の地震から、早2ヶ月になろうとしています。前回のブログから、いろんなことが起こりすぎて、最近になって少しずつ気持ちが落ち着きつつあります。



まずは・・、ステロイドパルス3回目のため1月に入院予定でしたが、治療に専念できる状態ではなく2月に延期しました。で、先週入院したのですが、同部屋になったババアがうるさいのなんの。部屋からの電話はだめだって言っているのに、毎日懲りずにかけてるし、見舞いに来た家族と喧嘩するし、医者や看護師の話も聞いてないし。そのババアは透析を開始して間もないらしく、水分制限も出ているようでした。だからなのか、自分の病気に対しての理解ができてない様子で、日曜日の午前中院内のコンビニに行って、飴、野菜ジュース、カステラ、お茶等を買ってきて、帰ってきて看護師に見つかり注意されていました。「私買ってきたもの、ほとんどだめなんか?」と言っていたのを聞いて、私はただ呆れていました。ご家族が持ってきたバナナも取り上げられて、とても残念そうにしていたようですが、病気のことを考えると仕方のないことだと思います。これからも生きたいのであれば、主治医の指示は守るべきだと思いますが、果たしてババアにわかる日が来るのだろうか・・。


住居は、天井や壁からの水漏れがひどく、とても住める状態ではないため、一旦母を長姉がいる三重に避難してもらいました。私は金沢に残り、部屋の片付けと仕事を中心に行い、20日間ほどマンスリーマンションで仮住まいをしていました。新居もいろいろ探したのですが、能登から避難してきた方々も部屋探しで金沢まで来ていて、徐々に物件も少なくなり、さらに条件に合うようなところも少ない状況で、最終的に同じマンションの別部屋に転居することになりました。引越しに合わせて母も金沢に帰ってきたのですが、筋力低下が著名で掃除の手伝いは一切できず、私とたまに来てくれると次姉とで片付けをすすめました。幸いにも、今月末まで前の部屋を借りられるので、まだ掃除している最中です。もうひと踏ん張りです。


ただ、タンスやらよけてみると、水漏れがひどいところが多々ありました。畳はカビが発生していたし、クロス剥がれも目立つし、よくこんなところに住んでいたなぁと。テレビも大丈夫でよかった・・と思っていたら、やっぱり水を被っていたようで電源が入らなくなったので処分しました。埋め立てゴミもたくさん出ましたが、可燃ゴミがた〜くさん出てきました。思い出のCDや本等、水に浸かったもの、使えなくなったものは思い切って処分したのですが、ざっと50〜60袋は出したと思います。もったいないから残しておこう!という思いがあると、結局それが捨てられない原因になるので、これがいい機会だと思って捨てました。「15年、一度も使わないものは今後も使うことはない」を合言葉に、ただひたすら捨てました。それでも荷物は多いが・・・。



続きは、次回のブログにて。