この記事は
こう言う乗り方が良いとか指南する内容ではなく、こう言う乗り方をしてきたと後で思い出す為のメモです。
■CB50の乗り方
最初に乗ったバイクが50ccのバイクだった
小学生になって自転車に乗れるようになったのもラッキーだったが16歳の時に原付免許取得して自転車の二輪からバイクの二輪と言う乗りものに乗ってみる機会があったのは人生での一番のラッキーだったと思っている。
当時、何がきっかけで原付の免許を取りに行こうと思ったのかはもう覚えていないが
当時は安全運転技能講習と言うものは必須ではなく、免許センターの建物の外でちょっとした説明を受けて免許証もらって解散って感じでお金払って買って来たって感じだった。
と思う。
よく乗り方を教わらないで事故に遭わなかったものだと思う。
原付免許を取得した当時は北海道に住んでいて通学の便が良くなかったけどバイク通学が許可されていたのもラッキーだった。
学校の敷地内に自転車置き場とバイク置き場とあってバイクを敷地内に乗り入れて止める事ができたので盗難の心配もなかった。
バイク通学者は多くはなかった。
通学のバイクはCB50を購入した。かなり気に入ってて雨の日も乗っていた。
この経験からか今でも雨の中でバイク乗るのは気にならない。
自分がのってたバイクは特に目立ったカスタムした訳でもないが動かなくなった、動かなくなった後はエンジンを分解してみるとヤクルトサイズのピストンが出てきた。こんな小さなピストンで動いていたんだと感心したのを覚えている。
そんなピストンでも最高速度は95kmくらいまで出せた。この頃は50ccのバイク仲間がいて楽しい時期だった。
高校卒業頃に近所の友人がペケJを乗り回しててスゲ〜〜大きいと思った。この時に中型バイクを見てなかったら、その後に続かなかったのかも。
こんな広告を見つけてしまった(笑)
■VF400Fの乗り方
学生時代に両国でアルバイトしてた時に中古車を購入した。
スタイルも良くV型で回転数も上がりいいバイクだった。
ただ音がつまらなく何かもの足りない感じのバイクだった。
この頃のマフラーって自分にはかなりの高額に感じた。
このバイクでは、ツーリングで遠くに出かけた記憶がなく主に三つ目通りを通って夢の島に行き、357通ってお台場まで行って自宅に帰ってくるだけの走りを楽しんでいた。
この当時の夢の島は、単なる巨大なゴミ捨て場としての場所でゴミの山になっていた、太陽に吠えろで証拠品がゴミに捨てられてて主人公の刑事達がゴミの山に登って証拠品を探すシーンがあった。
そしてこの当時のお台場は草むらや林で何もなく、行き先の突き当たりで折り返すだけのつまらない道だった。自分みたいにつまらない奴が数人来てるだけの寂しい場所だった。
船の科学館はあったと思う。
フェリー埠頭も何もなかったので暴走族も居なかった。
■RZ350の乗り方
26才の頃に仕事もある程度覚えてひと段落した頃にYAMAHA RZ350を購入した。あの頃はセンタースタンドが気に入らなかった。
このバイクは上野のバイク街で購入したバイクでセパハンが気に入って乗ってた。
ライディングスタイルは好きで楽しかったのだが、電気系統の調子が悪かったので手放してしまった。
それ以外のエピソードとして自宅前に止めておいたら、日に々、各部のネジが緩んで行って、誰かが部品盗難すべく、日々ネジを一本づつ緩めにウチに通ってる感じだった。
ついに
ある日ナンバープレートが無くなった。
新しいナンバーが届くまで仮ナンバーを発行してもらって乗っていた。
チャンバーのサウンドは懐かしい。
写真は250
リピしたい一台だけど、低速トルクも無いし今乗ると不満だらけなんだろうなぁ〜〜
と思う。
■Z400FXの乗り方
RZからの乗り換えで次に乗りたかったバイクを購入した。
このバイクは楽しかった。
週末はいつも下道で横浜か、相模湖あたりまで走りに行ってた。
ただ、このバイクも一年くらいでエンジンの調子が悪くなり、押しがけしないとエンジンがかからない程の不調を経験した。
真夏の朝に5回くらい押しがけにチャレンジしてもエンジンがかからない時は、体力を消耗し切っているのでその日はもう出かけれなった。
押しがけの最初のチャレンジは転倒が怖かった。
股がる瞬間に乗り込む反対側の右側に倒れてコケるんじゃないかと恐る恐る跨るとふらつくので、勢いに任せて倒れるのを覚悟でまたがるイメージだった。
押しがけの祭に、勢いよくバイクを押してスピードが載ってきたところで足がもつれる前に左足を左ステップに乗せて
(これが自転車と違って難しい)
バイクに跨るって動作が一番難しかった。
押しがけって何を身をもって体験出来て良かった。
このバイクは集合管がとっても似合う。
車と違って、出来ればワンオーナーで定期的にキメ細かくメンテしていないと朽ちるのが早いのかもしれない。
■ゼファー400の乗り方
同棲する前の相方が乗ってたバイク
クラッチ切ってるのに前進するので両足で踏ん張っていないといけなく、気が抜けないバイクだった。
一度だけ、跨がせてもらったが、うっかり気を抜いてしまって立ちゴケしてしまった事がある。本人も倒した事がなかったみたいなので当然かなりムッとされた。
■ゼファー750
この頃会社のあるトラブルを解決した事が評価され月額6万昇級した。
その差額でスカイラインを購入しローンを組んだ。
この頃、相方はゼファー750に乗り換えてツーリングを楽しんでいた。
この頃、自分は大型自動二輪の免許を持ってなかったので、このバイクに乗った事はなかった。
相方は750で出かける時は、いつもキッチリメイクでお出かけしてた。メイクも30分くらいかけてキッチリメイクしてたのが印象的だった。
ある日ヘルメットにファンデーションが付く心配はないのかと聞いてみたところ、排気ガスで顔が汚れるのが嫌なんだと返答があった。
相方は身体の線が細くいつもヒール履いてて夜の銀座で働いている風のファッションが多かったのでバイクに乗ってるってイメージがつかない人も多かった。
ある日バイク乗ってるの見かけた同僚が「〇〇ちゃんすごいね〜〜バイクに乗るんだ〜〜これ250cc?」と質問されると「ううん750だよ」って返すんだけど、ナンシーした人がビックリして仰け反る姿が面白かった。
■教習所のバイクの乗り方
以前からバイクの限定解除に憧れていたがようやく大型自動二輪免許を取得する日がやってきた。
初CB750、めっちゃ乗りやすいバイク。
教習時のヘルメットは、10年前に購入してほぼ未使用だったアライのフルフェイスを教習用に使った。
アライのヘルメットをかぶったマンガの主人公の影響を受けて購入したものである。
大型自動二輪免許の取得は、すごく困難なイメージがあったが、以外とあっけなく取得できた。
教習前に10年以上バイクに乗ってなかったので近所で400ccのスーパーボルドールをレンタルバイクで借りて感覚を取り戻そうとした。
頭ではひょいひょいっと乗れるイメージだったが、シーズン初めのスキーみたいな感じで正直怖かった。
にりんかんの駐車場から環7に出るには
車通りも多くスーッと出る事が出来なかった。
しかもバイクは新車おろしたてのレンタルバイクと店員さんに聞かされてて余計緊張した。
倒さないように努めるのが精一杯だった。
大型二輪教習のイメトレは主に自転車で行うことにした。
大型免許取得して5年たった今ならスーパーボルドールも当時よりもっと楽しめるんじゃないかって気がする。
ただ、所有してみたいのはゼファー1100なのです。
■FXDBの乗り方
大型自動二輪の教習に通いつつ、せっかくなのでバイク屋さんも数軒立ち寄ってみた。
気がついたら
以前の上野バイク街も無くなっていて、
いつもの手取り早く中古バイクを購入する事もできなくなっていた。バイクブームは去ったのです。
免許は取得してもバイクは買うつもりは無かったが、結果は買った。国産はやめてハーレーを購入した。
メガ松に行った際にスポーツスターのどれを買おうか迷った挙句にタンク容量のアドバイスを受けてビッグツインの中で良心的価格のストリートボブを選んだ。
ストリートボブはスポーツスターっぽいデザインで気に入っていた。
この洗車場のある場所に引っ越してきた際は、バイク置き場の抽選に外れたのでバイクは持てない状況だったのだが、
大型自動二輪免許取得後にバイク置き場を確保出来たりした事も購入の後押しとなった。
駐車場代は
スクーターが300円/月額
大型は500円/月額
洗車場は、駐車場を借りてる人のみ利用可能。
この頃まで好きなバイクの色は黒、ウェアーも黒がカッコいいと思ってて、
いろいろ揃えた結果、写真の通り影みたいに真っ黒になってしまう事に気がついた。
この写真をきっかけに黒は買わない事にした。
ハーレーに乗り始めて気になってる事
はじめてのチャプターツーリング参加で、首都高で風に煽られながら全然スピード出せなかった自分
その自分に片手を軽く上げて颯爽と追い抜いて行った人がいた。カッコ良かった。
チャプターベスト着てて、結構高さのあるエイプハンドルだった。同じチャプターのワッペンを見て手を振ってくれたんだろうか?
ミニエイプハンドル
写真を見て分かりように、このバイクのハンドルは肩の位置にあって、最初は自分の中でバイクらしいバイクは前傾姿勢って決めてたけど
だんだん
このハンドルの位置に慣れてくるので不思議なもんです。
このバイクは慣らしから初めて丁寧に操作してきたおかげで20000km走った後はかなりエンジンが調子良く自分のフィーリングに会う良い子に育ってきた。
またこのバイクに乗りはじめてから
ちょくちょくツーリングに誘われる機会が増えた。
近場のサービスエリアである海老名、三芳、蓮田、守谷にも行くきっかけになった。最初は行けるかドキドキした。
車だとそれらの場所に行く必要がなかったから
このバイクでの一番遠い待ち合わせ場所は友部SAだった。東北ツーリングに出かけるのに土砂降りでも中止しないメンバーとのツーリングで朝3:30待ち合わせはキツかったが、いい思い出になった。
このツーリングに誘われていなかったら、今でも福島より先に行ける自信がないままだったと思う。
自信って大事だ。誘ってくれた方々に感謝。
■05 XL883L
キャブ車が欲しくてDラーの中古車情報をチェックしていたら出物が見つかり早速Dラーに行ってきた。
価格が安かったのと、欲しかった色の赤で即決した。
ETCも純正セキュリティも装備してる883です。
購入時に嬉しくてバチバチ写真撮ってたら、フレームに入ってくるおじさんに「チッ」って感じも懐かしい思い出。
カスタムも楽しんでみた。
ナンバープレートのレイダウン、ハンドル、マフラー、グリップ、LEDヘッドライト、ナビ、ETC、ステップ、シーシーバー、それとピンストライプです
シーシーバーの役割は、このバイクにはサドルバッグをつけていたんですがイメージが合わないので土産やキャンプ時はシーシーバーに括りつけて行く運用にしました。荷物がリアフェンダーに当たると擦り傷が付くので保護に透明の保護フィルムかレザーが必要。
課題は、シートでケツが痛い。
自分自身、10年前のバイクを所持して大事に乗ってるなんてこれまでの経験で信じられないけど、これも貴重な経験をさせてもらってる感じです。
このハーレーは鉄部品が多く塗装がしっかりしているので色あせはしても、エンジンの調子も良く、あと数十年はこのまま何も変わらない気がする。
ただ、
自分が10年後も所持しているかは想像もつかない。
■ブレイクアウトの乗り方
写真は予約時の写真
欲しかった赤は前年モデルでこの年のモデルはウイスキーカラーとシルバー
KBさんの影響でソフテイルフレームのバイクにも興味を持っていた。
このバイク納車後、100kmほど下道で慣らしをした後に新潟ツーリングに誘われて往復700km走ってきた。
新潟への往復では、まだまだバイクが各部が硬くぎこちない動きをしていた。
特にサスペンションが硬くかなり身体が疲労した。
道のちょっとした凹凸で腕の骨や背骨に激痛が走るほどの衝撃を受けた。
その後、キャンプ道具など重たい荷物を積んで走る事で、サスペンションの慣らしができサスペンションがとてもしなやかに可動するようになり、とても乗りやすいバイクに仕上がりました。
このバイクでの最初のロングは角島ツーリングに誘われたのをきっかけに九州までの走り方を伝授して頂いた事がきっかけで、その後は一人で岡山、九州、四国と出かけれるようになった。
長距離が楽なバイクです。
このバイクで思い出に残る待ち合わせ場所は、養老SAと山川PAです。
エンジンオイルは、MOTULを使用しています。