秋の大きな大気がわたしの肩に手を置き、
二人で小さな花に目をやる。

そのわたしたちは、広大な青い空の下で、
緑と土色と波の輝きと花たちの幼い華麗さの中で
ひとつの印のように、ここにいる。

風がわずかばかり、草の葉をそよがせる。
なんて微妙な声で語るのだろう。

花の中の細胞たちは飛び散って
大気の中に拡散することをわくわくと待っている。

そしてわたしの心は、
たくさんの顔の、優しい表情や、深遠からのように射るまなざしや
握った手のぬくもりや、生活の中のちょっとした事に感謝している表情や
欲望を秘めた誘う瞳や、子供たちのこの上ない美しい声に、
たくさんのはじめての出会いに、
千の多重人格のように惹かれる。


あるときに、わたしたちはあることを思い、別なときにはそのことが小さくなる。

わたしは、わたしの中の、すべての者たち、
未だ顔を見せぬ者たちも含めて、
そのすべてでありたいと思っている。

それはこうだと思うや、こうだと解釈することではなく、
それらが共存するステージでもなく、むしろ、ステージがないこと、
そして、それは主観的なことではなく、
客観的なことだと思っている。

こうではないかと思う。
たしかに一瞬しか生きない小さな命があり、悲惨もあるけれど、
どの命も、この上ないときめきを
存在したその一瞬にでも、感じるのではないだろうか?

それが1秒なのか、100年なのかのわずかな差。
おそらく、いつの間にか、はるかな高さへ戻っていった、
この秋の大気はそう思っているのではないだろうか?