ヘッセのシッダルタの一節にシッダルダが「わたしは待つ事が出来る」というところがある。

若いときは、そうはなかなか出来ないな、と思っただけだったけど、読み返してもいないのに、今日、ふとその意味を思った。

もし、いつまでも待って、年老いて死んでしまったら、待つことがなんだったのだろう、と思うけれど、
そうではなく、
「待つこと」はその時点で問いであり、答えであるのだということではと。
そして、ほかの事柄も。