ヘンリー・ミラーとジェームス・ジョイスに似たところがあるかと言えば、どちらかというともともと比較対象ではない、というところだろう。
わたしの好きなこの二人の作家は、心の中の現実を意図してあるいは意図せずに反映させる試みをしている。
小説と現実の違いは、絵画と現実の違いのように見える。
絵画となると詳細で複雑で取りとめのない現実を画家の目の中で抽出して描いていることがわかりやすいが、小説はどちらかというとひとつのサンプルのように思ってしまう。
例えばある人のある時間を描いたかのように。

わたしが何を言いたいのかというと、わたしの一日の中に浮かぶ無数の思いやイメージや考えのことだ。
一日と言わず一瞬の中にも、同時に。

それは書ききれない。
そしてそれが現実のわたしたちの心であり、何らかのイメージの流れが物語りを作っていったとしても、そのほかのものたちも侮れない。

会話や意見というようなものでも一緒だ。

ひとつのストーリに纏め上げて話すのだが、実はそれはさっと書いた似顔絵やシルエットだ。

猥雑で取りとめがなく、発散しかねなく、連想が飛び交う。
それらがそれでもひとつの全体像を持っている。

わたしはそのことを悲観的に考えているわけではなく、飛んだ記憶と深く関係があるような気がすると考えている。